それは、押し付けられた沈黙ですか? サイレントマジョリティから見る社会の歪(意識高い系)
- 2016/12/09
- 00:51
陰陽座を聴きつつDLで買ったのですが、あまりに名曲過ぎて夜道で泣きそうになりました(笑)。これは友人の結婚式あたりで流されたら確実に泣くわ(笑)。
それはさておきですよ(←関係ないんかい)、今回はまた社会の歪に潜むサイレント・スクリームを見つけてしまったのですよ。
最近よく聞くサイレント・マジョリティなる言葉ですが、この単語が多用されるようになってきた世界の在り方にちと危機感をおぼえています。
というのも、サイレントマジョリティと呼ばれる人達は好きで静かになったのではなく、色々な意味での圧力で黙らされただけなんじゃねえか? という疑惑があるからです。
よく「声のでかい奴が~」なんて言うじゃないですか。ただ、声の大きさ以上に社会のシステムが警察化してやいないかと思うのですよ。
たとえば最近だと頼んでもいないのに、私の名前をググるとグーグルメールのアカウントが出てきてしまいます。アドレスそのものは出てこないですが。ですがメールアカウントを持っているのは明るみに出てしまう。
しかも、さらに頼んでもいないのに(笑)youtubeの動画を見ているとそのアカウントで閲覧しているみたいなんですよね。うっかりキツめのコメントを書こうものなら、月狂四郎名義のディスりがコメントが履歴に残ってしまうわけです。
これで閲覧履歴まで残るシステムが浸透したらエグいですよ。カリ○アンドットコムあたりなんかは身バレを恐れたユーザーが退会しまくって潰れるんじゃないかと(笑)。
「あなたの好きな女優さんシェアしますか?」(あくまで例です)
……ってしねーよ!(笑)
他にもツイッターがAmazonとリンクしていたり、Facebookがヤフーニュースと連結していたりと、ネット社会はなぜか横への繋がりをこじらせているのです。
なぜですか?
私はペンネームと私生活を峻別したいのに……。
さて、こういった流れを見た普通の人はどう思うでしょうか?
ネットは色々なリスクがあります。不用意な書き込みで怨みを買う事もあるし、SNSの位置情報から住所が特定されてしまう事もあります。
そうなるとですね、普通は身バレを恐れてコメントしなくなるんですよね。
ヘタな事を書いて惨禍に見舞われるぐらいなら、最初から何も書かない方がいい。そう考えるのは自明の理ではないでしょうか?
だいたい何から何まで文責を取りたいと思っている人なんかいますか?
いても少数派でしょう。
普通の人だって「まかない料理に毒を盛ったか。言いたい事も言えないこんな世の中だからポイズン盛っちゃったんだろうな」とか、軽口を叩きたい時だってあるじゃないですか(?)
人間なんだから真面目くさって現代の教育をぶった斬りたい時もあれば、しょうもない下ネタでみんなを笑わせたい時もある。そういう衝動は誰でも持っています。
ですが、昨今の炎上を見ていると中世の魔女裁判さながらです。
一度有罪判決が下されると、後は何を言っても無駄です。有罪の発端となった失言よりも酷い言葉を大量に投げつけられる事になります。エアガンで人を撃ったら元気玉をぶつけられるのです。
もはやあなたは魔女でない事を証明するために建物の屋上から飛び降りるしかありません。
(※魔女なら飛んで逃げてしまうだろうと言われて中世の女性は高所から飛び降りさせられた)
とまあ、こんな風になっていれば、普通の人は発言したくなくなりますよね。
不用意な発言でどこの誰かも分からない人に目をつけられるぐらいなら、最初から発言なんかしない方が楽です。そういう思考になるのは分かりきった事なのです。
そうやってまともな感覚の人が表舞台から次々と去っていくわけです。そうするとどうなるか?
答えは簡単です。後先考えないバカか、ろくでもない人が残るのです(笑)。
まるで、牛乳を飲み干したら溺れ死んだハエの死骸が出てくるみたいに。
これがサイレントマジョリティと呼ばれる人種が形成される仕組みで、表だって暴れている人達は氷山の一角に過ぎません。
ですが、海に隠れている氷山、つまりはサイレントマジョリティは決してただ沈黙しているわけではありません。たまに大激怒する時もあります。
そこまで人を怒らせるのも才能っちゃ才能かもしれませんが。
でも怖いのは氷山の一角で頭のおかしい奴が騒いでいると、時々世間の風潮全体がそいつの色に見えてしまう瞬間があるという事です。その時は声を上げないといけませんが、いかんせん今まで声を上げなかった人が急に叫ぶのは難しい。
それならと過激な発言を取り締まると、また世界の警察社会化が進むだけなんですよね。
ネットは私達に自由を与え、同時に奪ったのです。
世界と繋がっているはずの私達は、どこか小さな世界に自分を閉じ込めようとはしていませんか?
以上、ただ野放図に技術を進化させていけばいいわけではないという、日本昔話的アプローチからの社会考察でした(笑)。
作家が描かないといけない閉塞感は、どうやらこの先もずっと残っていそうです。
それはさておきですよ(←関係ないんかい)、今回はまた社会の歪に潜むサイレント・スクリームを見つけてしまったのですよ。
最近よく聞くサイレント・マジョリティなる言葉ですが、この単語が多用されるようになってきた世界の在り方にちと危機感をおぼえています。
というのも、サイレントマジョリティと呼ばれる人達は好きで静かになったのではなく、色々な意味での圧力で黙らされただけなんじゃねえか? という疑惑があるからです。
よく「声のでかい奴が~」なんて言うじゃないですか。ただ、声の大きさ以上に社会のシステムが警察化してやいないかと思うのですよ。
たとえば最近だと頼んでもいないのに、私の名前をググるとグーグルメールのアカウントが出てきてしまいます。アドレスそのものは出てこないですが。ですがメールアカウントを持っているのは明るみに出てしまう。
しかも、さらに頼んでもいないのに(笑)youtubeの動画を見ているとそのアカウントで閲覧しているみたいなんですよね。うっかりキツめのコメントを書こうものなら、月狂四郎名義のディスりがコメントが履歴に残ってしまうわけです。
これで閲覧履歴まで残るシステムが浸透したらエグいですよ。カリ○アンドットコムあたりなんかは身バレを恐れたユーザーが退会しまくって潰れるんじゃないかと(笑)。
「あなたの好きな女優さんシェアしますか?」(あくまで例です)
……ってしねーよ!(笑)
他にもツイッターがAmazonとリンクしていたり、Facebookがヤフーニュースと連結していたりと、ネット社会はなぜか横への繋がりをこじらせているのです。
なぜですか?
私はペンネームと私生活を峻別したいのに……。
さて、こういった流れを見た普通の人はどう思うでしょうか?
ネットは色々なリスクがあります。不用意な書き込みで怨みを買う事もあるし、SNSの位置情報から住所が特定されてしまう事もあります。
そうなるとですね、普通は身バレを恐れてコメントしなくなるんですよね。
ヘタな事を書いて惨禍に見舞われるぐらいなら、最初から何も書かない方がいい。そう考えるのは自明の理ではないでしょうか?
だいたい何から何まで文責を取りたいと思っている人なんかいますか?
いても少数派でしょう。
普通の人だって「まかない料理に毒を盛ったか。言いたい事も言えないこんな世の中だからポイズン盛っちゃったんだろうな」とか、軽口を叩きたい時だってあるじゃないですか(?)
人間なんだから真面目くさって現代の教育をぶった斬りたい時もあれば、しょうもない下ネタでみんなを笑わせたい時もある。そういう衝動は誰でも持っています。
ですが、昨今の炎上を見ていると中世の魔女裁判さながらです。
一度有罪判決が下されると、後は何を言っても無駄です。有罪の発端となった失言よりも酷い言葉を大量に投げつけられる事になります。エアガンで人を撃ったら元気玉をぶつけられるのです。
もはやあなたは魔女でない事を証明するために建物の屋上から飛び降りるしかありません。
(※魔女なら飛んで逃げてしまうだろうと言われて中世の女性は高所から飛び降りさせられた)
とまあ、こんな風になっていれば、普通の人は発言したくなくなりますよね。
不用意な発言でどこの誰かも分からない人に目をつけられるぐらいなら、最初から発言なんかしない方が楽です。そういう思考になるのは分かりきった事なのです。
そうやってまともな感覚の人が表舞台から次々と去っていくわけです。そうするとどうなるか?
答えは簡単です。後先考えないバカか、ろくでもない人が残るのです(笑)。
まるで、牛乳を飲み干したら溺れ死んだハエの死骸が出てくるみたいに。
これがサイレントマジョリティと呼ばれる人種が形成される仕組みで、表だって暴れている人達は氷山の一角に過ぎません。
ですが、海に隠れている氷山、つまりはサイレントマジョリティは決してただ沈黙しているわけではありません。たまに大激怒する時もあります。
そこまで人を怒らせるのも才能っちゃ才能かもしれませんが。
でも怖いのは氷山の一角で頭のおかしい奴が騒いでいると、時々世間の風潮全体がそいつの色に見えてしまう瞬間があるという事です。その時は声を上げないといけませんが、いかんせん今まで声を上げなかった人が急に叫ぶのは難しい。
それならと過激な発言を取り締まると、また世界の警察社会化が進むだけなんですよね。
ネットは私達に自由を与え、同時に奪ったのです。
世界と繋がっているはずの私達は、どこか小さな世界に自分を閉じ込めようとはしていませんか?
以上、ただ野放図に技術を進化させていけばいいわけではないという、日本昔話的アプローチからの社会考察でした(笑)。
作家が描かないといけない閉塞感は、どうやらこの先もずっと残っていそうです。
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