オッサンの断片
- 2016/10/18
- 19:51
トレンドを追いかけ、世間からズレていくオッサン
自分の書いた小説が世間に受け入れられないと、オッサンは世間のトレンドを追う傾向にある。もう一回言う。世間のトレンドを追うというトレンドに入るのだ。ああ、まるで鏡を持って鏡の前に立っているようだ。
だが、このトレンドを追うという行動は徒労に終わる事が多い。というのも、世間の誰もが少なからずトレンドを追っているわけで、仮に何かのビッグウェーブに乗れたとしても、その波はすぐに収まってしまう場合がほとんどだからだ。
それに流行というのはオピニオンリーダーの足跡みたいな部分がある。ジャニーズのタレントがやったら流行る事をその辺のオッサンがマネしたところで世間に少しも影響は及ぼさない。「イケメンは正義」ということわざ(?)があるが、オッサンが世間のトレンドを追ったり、ましてや作ろうとしたら大抵は嘲笑とともに終わるわけだ。
よく「新しい」とか「古い」というレッテル付けをしているオッサンがいるが、あれは時代性に左右された発言なので、あまりアテにしない方がいい。というのも、オッサンにとって古いものが若者にとって新しいという事はままあるからだ。
たとえば最近の若者はあえてアナログ盤の音楽を聴いたり、カセットテープに憧れを抱いている場合がある。彼ら曰く、お洒落でカッコいいのだそうだ。
だが、オッサンの感覚だとカセットテープはノスタルジーを呼び起こす前時代的なもので、単に不便な音源でしかないわけだ。半世紀も年が離れていないのに、人の感覚にはここまで隔たりが出来るものなのである。
これでトレンドを追う事がどれだけ不毛な事かご理解いただけただろう。昔はポケベルの出てくる小説が斬新に映ったのだろうが、今となってはポケベルは時代の味わいを感じさせるガジェットに変わっている。時代だけを追った作品というものは、味わいを加味するというよりはただ陳腐になっていくだけの傾向が強い。
そういったわけで、トレンドを追いかけてはいけないのだ。
トレンドは誰かの足跡に過ぎない。足跡を追いかけている人間は常に誰かの後ろを歩いていかないといけないし、存在していない足跡を追いかけ回すと大抵ろくでもない事になる。
追求すべきは一過性の流行ではなく、時代を超える普遍性なのである。
自分の書いた小説が世間に受け入れられないと、オッサンは世間のトレンドを追う傾向にある。もう一回言う。世間のトレンドを追うというトレンドに入るのだ。ああ、まるで鏡を持って鏡の前に立っているようだ。
だが、このトレンドを追うという行動は徒労に終わる事が多い。というのも、世間の誰もが少なからずトレンドを追っているわけで、仮に何かのビッグウェーブに乗れたとしても、その波はすぐに収まってしまう場合がほとんどだからだ。
それに流行というのはオピニオンリーダーの足跡みたいな部分がある。ジャニーズのタレントがやったら流行る事をその辺のオッサンがマネしたところで世間に少しも影響は及ぼさない。「イケメンは正義」ということわざ(?)があるが、オッサンが世間のトレンドを追ったり、ましてや作ろうとしたら大抵は嘲笑とともに終わるわけだ。
よく「新しい」とか「古い」というレッテル付けをしているオッサンがいるが、あれは時代性に左右された発言なので、あまりアテにしない方がいい。というのも、オッサンにとって古いものが若者にとって新しいという事はままあるからだ。
たとえば最近の若者はあえてアナログ盤の音楽を聴いたり、カセットテープに憧れを抱いている場合がある。彼ら曰く、お洒落でカッコいいのだそうだ。
だが、オッサンの感覚だとカセットテープはノスタルジーを呼び起こす前時代的なもので、単に不便な音源でしかないわけだ。半世紀も年が離れていないのに、人の感覚にはここまで隔たりが出来るものなのである。
これでトレンドを追う事がどれだけ不毛な事かご理解いただけただろう。昔はポケベルの出てくる小説が斬新に映ったのだろうが、今となってはポケベルは時代の味わいを感じさせるガジェットに変わっている。時代だけを追った作品というものは、味わいを加味するというよりはただ陳腐になっていくだけの傾向が強い。
そういったわけで、トレンドを追いかけてはいけないのだ。
トレンドは誰かの足跡に過ぎない。足跡を追いかけている人間は常に誰かの後ろを歩いていかないといけないし、存在していない足跡を追いかけ回すと大抵ろくでもない事になる。
追求すべきは一過性の流行ではなく、時代を超える普遍性なのである。
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