オッサンの断片
- 2016/10/17
- 19:38
10月21日の発売日まで99円予約価格です。
実用書地獄に嵌まるオッサン
アマゾンのキンドルストアを見ていれば分かるように、この市場にはやたらと「○○の書き方」系の本が多い。というか私自身がそういう本を出しているわけだが。
これもよく言われている事だが、現在のKDPストアには電子書籍を読みたい人よりも作家になりたい人の方が圧倒的に多い。電子書籍がまだまだマニアックな趣味という扱いをされている背景もあるだろう。最近になって売上は増えてきているらしいけど。
それはともかくとして、市場にお客さんがたくさんいると分かれば、当然売り手は売れそうな自著を出すに決まっている。その結果、良くも悪くも小説の書き方に関する本がマーケットに溢れたわけだ。
どんだけ実用書があるんだよというツッコミはさておき、それでも売れるものは売れる。個人作家の中にもそういう実用書を単純に読み物として楽しむ人間はたくさんいるわけだ。
だいぶ遠回りはしたものの、匿名レビュアーと化したオッサン達にはこれと似たような現象が起こっている。
実用書が流行っているのは何も電子書籍の世界だけではない。紙本でも有名な書き方系の本はたくさんあるし、それらは人気作品として一定の需要を保っている。
つまりだが、並みいるオッサン達は紙本時代から実用書にどっぷりと浸かっているわけだ。理由は作家になりたいから。電子書籍と同様に、アマチュア作家から「これじゃあプロになれない」という不思議なレビューをもらう紙本はたしかに存在するのだ。
私自身も似たような経験があるが、こういった実用書にハマると結構危ない。
実用書はちょっとしたドラッグみたいな部分がある。というのも、こういう実用書は才能や特性に関係なく、不特定多数の作家予備軍からクレームが来ないように作られているからだ。
つまり、センスがある人がさらにその才能を伸ばして最速で作家になれるようには書かれていない。そんなものを書いたらセンスの無い作家志望から総スカンを喰らうからだ。才能が無い人間は結果としてお客様でい続けるが、才気煥発たる作家はさっさとデビューして実用書なんか読まなくなる。才能の無い人間をターゲットにするのは自明の理という事だ。
まあ、物を投げる前にちょっと考えて欲しい。世の中に何万部も出ている本が、同じようにプロを量産出来るわけがないじゃないか。そんな事が本当にあったら世の中は作家だらけになってしまう。
そういったわけで、書き方系の本はどちらかと言うと聖書みたいなポジションに落ち着くわけだが、この聖書を色々とっかえひっかえ読んでいるとおかしな事になってくる。
というのも、キリスト教の教えがイスラム教の教えと必ずしも一致しないように、書き方系の本同士でも矛盾する箇所はいくらでもあるからだ
そんな中で色々な実用書を妄信したらどうなるか? もっと言うと、信仰の乱交パーティーをやったらどうなるのかという話である。
そうなると、その人の脳内は混乱するか、おかしな理論をでっち上げる事になる。そうなると主体的に何かを選択するという思考が無くなるので、自分というものが無くなる。結果としてその作家の卵は時間とともに個性やら書く事への主体性を失ってしまうのだ。これはなかなか恐ろしい。
このように書き方系の本を過剰に漁るとその人の個性がプールに垂らしたカルピスのように薄まってしまうわけだ。
これで公募を通れば自分の筆力に自信を持てるわけだが、個性を失ったり無難な表現しか出来ないように調教された作家は大抵文学賞を獲れない。見えないテンプレートに飼い慣らされていくわけである。どれだけ小賢しいテクニックを使っても、最終選考を担当するプロ作家にはお見通しだ。
これが長い期間続くと性格がよじれていく。公募に落ちるというのはある意味出版社から自著を否定されたのに近しい。それがあまりにも続くといつまでも報われない恋に身を焦がす、悲しきオッサンと化している自分を認識しないではいられないだろう。
こうやって燻ったオッサンは次第に魂からダイオキシンを発生させ始めるのである。いつしかそれは、周囲の人間にすら有害な物質となって襲いかかる。それはちょっとした公害に変化していく。
問題なのは、有害な存在に変わりつつある彼らに、悪気なんぞ少しも無かったという事なのだ。
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一世代前の絵を見て「絵柄が古いね」という指摘はしない方がいい。ファンは思い出ごと否定されたと怒るだろうし、10年も経てばあなたも同じことを言われている。(さっき考えた箴言)