歯車になり損ねる不幸もある
- 2016/10/10
- 19:35
いつか書いた「コンビニ人間」の記事で言及し忘れていたのですが、村田沙耶香はチャップリンの逆を行ったなという印象を持ちました。
おそらくほとんどの人がこの動画を見た事があるかと思います。有名な機械(=システム)に組み込まれる人間を皮肉った映像ですね。
直木賞を獲った「何者」もちょっと似たところがありましたけど、現代人はテンプレートになってしまう恐怖よりも、テンプレートから外れてしまう恐怖を感じているみたいです。
個人的な話になりますけど、「コンビニ人間」でも同じような場面があったように、○○歳になると結婚して子供を持つみたいな価値観がありますよね?
正直、私はその価値観に全然ノれなくて困っているのであります。
いや、結婚したくないという事じゃなくて、「結婚はしたい人が出てきたらその時にすればいいじゃん」という考えなのですが、どうも世間はそういう考えではないらしく、そろそろ年も年だから結婚を~的な事を言われるわけですよ。
ところがですね、前述に通り、私はその価値観がまったく理解出来ないんですね。
いざ結婚したら考え方も変わるのかもしれないんですけど、どこか気持ち悪さの方が先立ってしまい、伴侶を求めに行く事に価値観を見出せない。
今までに不幸になった人をあまりにも見すぎてきたせいもあるのかもしれません。
話はちょいと逸れましたけど、そういう人生を送っていると、だんだん自分が世間というテンプレから外れていくような気がするのです。
「なんで結婚しないの?」
「……なんで結婚しないといけないの?」
上記の会話は最近しないようにしています。大抵の場合、相手が珍妙な動物でも見るような顔つきになるからです。
こういう事があんまりにも起こると「もう面倒くさいわ」と思ってその人とは距離を置いていくんですよね。静かにプチ絶縁をするわけですよ(ヨリを戻す可能性は残してね)。
そうなるとますます異性どころか同性でも人間関係が限定されていくわけなんですけど。
私は良くも悪くも自分が変わり者だという自覚があるので(笑)「自分は世間と違っていい」という考え方なのですが、普通の人にとっては次々と友人が結婚していく中で「普通の人間になりそこねる」恐ろしさというのはかなりあるのかもしれません。
そういう意味ではチャップリンの皮肉っていた機械の下にいる人間というのは、孤独な現代人からすれば憧れですらあったのかもしれない、と。
ネット社会になって、かえってSNSのイジメやら村八分的な価値観が増えたのだと思います。自分と合う人としか付き合わなくていいというライフスタイルは、かえって人間を孤独に追いやってしまったのかもしれません。
そこは世界的に同じ傾向があるのかもしれませんね。だからこそレディー・ガガは受け入れられたのかも。リスナーにとって彼女ほど個性に寛容だったアーティストはいなかったのかもしれませんね。
今は阻害されるマイノリティーというより、無数のマイノリティーしかいない状態なのかもしれません。地名で言うと都道府県が無くなって町や村ばっかりになったみたいな。
就職活動にしても、交友関係にしても、テンプレから零れ落ちる恐怖は誰の胸にもあって、そこを巧く対処出来なかった人は心を壊してしまうのかもしれませんね。
そういう意味では本質的な孤独をテーマに書いた作品は、必然的に読者の琴線をとらえるメロディーを奏でるのかもしれません。
君は一人じゃない。
もしくは、
君は一人でもいい。
そんな優しこそが否定まみれの現代に差す一条の光になるのかもしれません。
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