名無しの悲鳴
- 2016/04/23
- 00:15
新作リリースのお知らせといきたかったが、推敲が間に合っていない。思ったよりも時間がかかってしまった。というわけでまた「名無しの挽歌」ネタだ。
かすみ果穂が引退したというのをマスカットナイトで知った。久しぶりに彼女を見たけれど、やはりかすみ果穂は持っているものが全然違った。正直に申し上げると、現在の恵比寿マスカッツは先代のネームバリューに胡坐をかいている部分がある。このままだと消える。面白い回も先代のメンバーが乱入した時がほとんどだった。最近はAKBでも体を張りだしたから、その上の上を行かないと生き残りは厳しいだろう。さて、俺は何を話している?
ああ、そうだ。それで「名無しの挽歌」でも書いたんだけど、時々うっかり玉手箱を開けてしまったような気分になる。
卓球の石川佳純が気付けば23歳になっていた。はっきり言おう。知った瞬間は超ショックだった。気付けば尊敬するhide御大がこの世を去った年齢も近付いている。俺の方が年上になっちまう日もあっという間だろう。時の流れとは残酷なまでに早い。それに気付かされてしまった時に狂いたくなるのも分からない話じゃない。
だからだろうか。最近は自分がどんな足跡を残してきたか考えないようにしている。思い出というのは優しくて、甘くて、美しくて、いつまでも浸っていたくなる。でも、それだけじゃダメなんだと分かる日が来る。嫌でもいつかは来る。
かつて杯を交わした仲間達は家庭を持って、疎遠とは言わないまでも会える機会が大分減ってきた。この年になると酒がいくら呑めても自慢する相手すらいない。ザルだけが取り柄だった粗暴者は気付けば下戸になっている。
東日本大震災から5年が経って、今の高校生が当時小学生だったという事を思い浮かべると戦慄する。
あれから俺はどれだけ進歩したのだろう? あれから俺は何を成し遂げたのだろう?
小説のラベルが付いたゴミを量産しているだけなんじゃないのか、なんて思う時もある。こりゃ売れるぞと思った作品は寒いギャグみたいにスルーされ、片手間でテキトーに書いた作品ほど売れる。意味が分からない。「奇書 狂狂まわる」なんてほとんど全編がアドリブだ。俺の創作ノートにはAFOK四姉妹の語源ぐらいしか載っていない。
大体あんなもん分解出来るわけねえだろ。俺自身が何を書いたのか理解出来ていない部分があるのだから。アドリブ演奏に解説を加えても奏者が「ああ、なるほど。俺はそんな事をしていたのか」ってなるのが関の山だ。きっと「ドグラ・マグラ」も大して変わらない。
さて、また何を話しているのか分からなくなった。
創作の世界にいる人間はほとんどが報われない努力をしている。それは往々にして運の要素もあるんだけど、一瞬でもいいからその花が開く事を夢見て、俺達は走り続けるしかない。時々脱落者が出る。時々仲間を道連れにしようとする奴らいる。共通しているのは、みんな傷だらけで青息吐息という事だ。いつぶっ倒れてもおかしくない。
だが、たまに開き直る奴もいる。
望まれていなくても舞台に立ち続け、嘲笑を浴びてもいつかそれが賞賛に変わる日が来ると確信している人間もいる。周囲にとってはどうあれ、それも一つの幸せではあるのだろう。
もう一回蒸し返す。石川佳純が23歳になった。きっと俺よりも早く結婚するのだろうし、子供を生んだりするのだろう。そして俺は現実を遠くから眺めて、どちらかと言えば少しずつ傷付いていくのだ。
それでも、幸いにして俺にはペンという武器がある。どんなに辛酸を舐めようが、惨めな思いをしようが、それは読者の心に響く旋律を生み出す事が出来るのだ。俺の紡ぎだすメロディーは辛酸を舐めた人間にしか書けない。それだけは確信している。
だが、そんな事はどうでもいいじゃないか。少しばかり惨めかもしれないけど、それでも俺は何かを生み出しているのだ。
時は流れ、俺を取り巻く環境は変わっていく。だけど、俺自身は変わっていないし、これからもその本質は変わらないだろう。
青臭くてもいい。こんな青臭さを後生大事にもっているのも、いかにも俺らしいじゃないか。
追記
「毒舌アフォリズム」を4月23日午後5時あたりから三日間に渡って無料配布する。
かすみ果穂が引退したというのをマスカットナイトで知った。久しぶりに彼女を見たけれど、やはりかすみ果穂は持っているものが全然違った。正直に申し上げると、現在の恵比寿マスカッツは先代のネームバリューに胡坐をかいている部分がある。このままだと消える。面白い回も先代のメンバーが乱入した時がほとんどだった。最近はAKBでも体を張りだしたから、その上の上を行かないと生き残りは厳しいだろう。さて、俺は何を話している?
ああ、そうだ。それで「名無しの挽歌」でも書いたんだけど、時々うっかり玉手箱を開けてしまったような気分になる。
卓球の石川佳純が気付けば23歳になっていた。はっきり言おう。知った瞬間は超ショックだった。気付けば尊敬するhide御大がこの世を去った年齢も近付いている。俺の方が年上になっちまう日もあっという間だろう。時の流れとは残酷なまでに早い。それに気付かされてしまった時に狂いたくなるのも分からない話じゃない。
だからだろうか。最近は自分がどんな足跡を残してきたか考えないようにしている。思い出というのは優しくて、甘くて、美しくて、いつまでも浸っていたくなる。でも、それだけじゃダメなんだと分かる日が来る。嫌でもいつかは来る。
かつて杯を交わした仲間達は家庭を持って、疎遠とは言わないまでも会える機会が大分減ってきた。この年になると酒がいくら呑めても自慢する相手すらいない。ザルだけが取り柄だった粗暴者は気付けば下戸になっている。
東日本大震災から5年が経って、今の高校生が当時小学生だったという事を思い浮かべると戦慄する。
あれから俺はどれだけ進歩したのだろう? あれから俺は何を成し遂げたのだろう?
小説のラベルが付いたゴミを量産しているだけなんじゃないのか、なんて思う時もある。こりゃ売れるぞと思った作品は寒いギャグみたいにスルーされ、片手間でテキトーに書いた作品ほど売れる。意味が分からない。「奇書 狂狂まわる」なんてほとんど全編がアドリブだ。俺の創作ノートにはAFOK四姉妹の語源ぐらいしか載っていない。
大体あんなもん分解出来るわけねえだろ。俺自身が何を書いたのか理解出来ていない部分があるのだから。アドリブ演奏に解説を加えても奏者が「ああ、なるほど。俺はそんな事をしていたのか」ってなるのが関の山だ。きっと「ドグラ・マグラ」も大して変わらない。
さて、また何を話しているのか分からなくなった。
創作の世界にいる人間はほとんどが報われない努力をしている。それは往々にして運の要素もあるんだけど、一瞬でもいいからその花が開く事を夢見て、俺達は走り続けるしかない。時々脱落者が出る。時々仲間を道連れにしようとする奴らいる。共通しているのは、みんな傷だらけで青息吐息という事だ。いつぶっ倒れてもおかしくない。
だが、たまに開き直る奴もいる。
望まれていなくても舞台に立ち続け、嘲笑を浴びてもいつかそれが賞賛に変わる日が来ると確信している人間もいる。周囲にとってはどうあれ、それも一つの幸せではあるのだろう。
もう一回蒸し返す。石川佳純が23歳になった。きっと俺よりも早く結婚するのだろうし、子供を生んだりするのだろう。そして俺は現実を遠くから眺めて、どちらかと言えば少しずつ傷付いていくのだ。
それでも、幸いにして俺にはペンという武器がある。どんなに辛酸を舐めようが、惨めな思いをしようが、それは読者の心に響く旋律を生み出す事が出来るのだ。俺の紡ぎだすメロディーは辛酸を舐めた人間にしか書けない。それだけは確信している。
だが、そんな事はどうでもいいじゃないか。少しばかり惨めかもしれないけど、それでも俺は何かを生み出しているのだ。
時は流れ、俺を取り巻く環境は変わっていく。だけど、俺自身は変わっていないし、これからもその本質は変わらないだろう。
青臭くてもいい。こんな青臭さを後生大事にもっているのも、いかにも俺らしいじゃないか。
追記
「毒舌アフォリズム」を4月23日午後5時あたりから三日間に渡って無料配布する。
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