作文コンクールに物申す
- 2016/03/21
- 00:41
昨日焦げ臭いエッセイを思いつきまして(笑)、友人にこの構想を今日話してみたところ、そこそこイケそうな気がするのでブログ連載とKDPで発表してみようかと思っています。
諸般の事情で完成はなるべく急ぎたい。後だしジャンケンにするのは卑怯だから。詳しくは言えませんが。新作の校正が終わったら速攻で書き始めます。
さて、今日は学校教育に物申しますか。
私は小学生時代に作文コンクールで銅賞を獲った事があるのですが、ぶっちゃけ作文コンクールは小説を書く能力とはまったく別個のものであると思いました。
というのも、たとえ優れた文章を書いたとしても、小学生の特質上というか、自分の中の闇を吐き出すと選考員に受け入れてもらえないのですね。
正直ね、ぶっちゃけね、人間の一番面白いところって闇の部分だったりするじゃないですか。
私が書いてきたわなびホラーというジャンルもですよ、もしラブライブみたいに健全な女の子しか出てこない話だったらさぞつまらないものになったはずだと思うのです。
もっと人間のドロドロとしたもの、黒い感情が出てこそ作品の持ち味が出ると思うのですよ。
ところが、小学校の作文コンクールはそういう概念が存在する事すら許さない雰囲気があると思うのです。最近になって「父が、逮捕された~」っていう作文がありましたが、あれだってひと昔前では完全アウトですよ。大人は子供の綺麗な部分しか見たがらないのです。
その点は「アイドルはウンコをしない」という信仰と似た部分があるのだと思います。
なのでとは言いませんが、作文コンクールで受賞したかどうかは気にしないでいいのではないかと。受賞した私ですら書きたくない文章を無理矢理書かされていた感が否めなく、現在の容赦なき描写はそういう黒歴史に決別する意味合いも持っているのかもしれません。
私の描写がえげつなくなったのは小学校の先生のせいです(笑)。
まあ、ぶっちゃけ
①太郎は花子とセックスをした。
②太郎は花子の唇を奪うと、その軀を愛撫した。下方に伸ばした指先が湿り、花子は求めているのだと分かった。(以下略)
上記の①と②は本質的に同じ事を書いていますからね。ただ、なぜかお堅い人は②を背徳的なものとして忌み嫌うのです。たとえ②の方が文章として優れていてもです。本当は別のところがお堅くなっているくせに(笑)。
話は大分逸れましたが、学校教育で求められている「良い文章」というのは俗世間で言うものと必ずしも一致しないのです。たとえ選考員がプライベートで②の文章を支持していても、です。
ですので、小説の文章を鍛えるのは小説を書く事でしか出来ません。
別の物に置き換えるのではなく、まずは作品を書いてみましょう。
諸般の事情で完成はなるべく急ぎたい。後だしジャンケンにするのは卑怯だから。詳しくは言えませんが。新作の校正が終わったら速攻で書き始めます。
さて、今日は学校教育に物申しますか。
私は小学生時代に作文コンクールで銅賞を獲った事があるのですが、ぶっちゃけ作文コンクールは小説を書く能力とはまったく別個のものであると思いました。
というのも、たとえ優れた文章を書いたとしても、小学生の特質上というか、自分の中の闇を吐き出すと選考員に受け入れてもらえないのですね。
正直ね、ぶっちゃけね、人間の一番面白いところって闇の部分だったりするじゃないですか。
私が書いてきたわなびホラーというジャンルもですよ、もしラブライブみたいに健全な女の子しか出てこない話だったらさぞつまらないものになったはずだと思うのです。
もっと人間のドロドロとしたもの、黒い感情が出てこそ作品の持ち味が出ると思うのですよ。
ところが、小学校の作文コンクールはそういう概念が存在する事すら許さない雰囲気があると思うのです。最近になって「父が、逮捕された~」っていう作文がありましたが、あれだってひと昔前では完全アウトですよ。大人は子供の綺麗な部分しか見たがらないのです。
その点は「アイドルはウンコをしない」という信仰と似た部分があるのだと思います。
なのでとは言いませんが、作文コンクールで受賞したかどうかは気にしないでいいのではないかと。受賞した私ですら書きたくない文章を無理矢理書かされていた感が否めなく、現在の容赦なき描写はそういう黒歴史に決別する意味合いも持っているのかもしれません。
私の描写がえげつなくなったのは小学校の先生のせいです(笑)。
まあ、ぶっちゃけ
①太郎は花子とセックスをした。
②太郎は花子の唇を奪うと、その軀を愛撫した。下方に伸ばした指先が湿り、花子は求めているのだと分かった。(以下略)
上記の①と②は本質的に同じ事を書いていますからね。ただ、なぜかお堅い人は②を背徳的なものとして忌み嫌うのです。たとえ②の方が文章として優れていてもです。本当は別のところがお堅くなっているくせに(笑)。
話は大分逸れましたが、学校教育で求められている「良い文章」というのは俗世間で言うものと必ずしも一致しないのです。たとえ選考員がプライベートで②の文章を支持していても、です。
ですので、小説の文章を鍛えるのは小説を書く事でしか出来ません。
別の物に置き換えるのではなく、まずは作品を書いてみましょう。
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