逆メタという小説の執筆には少しも役立たないテクニック
- 2015/08/09
- 23:58
先日にわりとの迷惑な記事を書きましたが(笑)、このアーティコーの中にはタチの悪いテクニックが使われています。
このブログのお客さんは半分以上がリピーターの方なんですけど、おそらくあの記事を読んだ方々は「アレ? もしかしてあの話って実話だったの?」と思ったはずです。
それはなぜか?
答えはカンタン。今まで私が書いた小説のネタをそのままブログで実話のように書いたからです。
私は不本意にもメタという要素でちょっとだけ有名になりました。単なる作品という枠組みを超える電子書籍というのはなかなか興味深いものです。
ですが、私のやっている事をただの当てこすりだと思っている方もいるようです。まあ百歩譲って仕返し目的にメタという要素を使っているのなら、あの登場人物はもっとブサイクに描いただろうし、もっと罵詈雑言が混じってブラックさを増していた事でしょう。
話を戻しますが、私の作品には良くも悪くも電子書籍界で実際に起こった事が作品に反映されているかのようなイメージが付随するようになりました。
そういうわけで、私はちょっとしたイタズラを思いついたわけですね(笑)。
これは毒牙姐さんの「泡姫ありえない」でも使われている手法なんですが、フィクションという形で作品を描いていき、最後に作者の自伝のような書き方をすると、読み手の視点がググっと後ろに下がるんですね。「おお、この小説はお前の自伝だったんかい!」みたいな驚きを与える効果です。これはフィクションだと分かっていても上手くやると結構面白い。
それで、普通は小説→作者のベクトルになるメタを、私は先日の記事では逆さにしたんですね(笑)。そうすると小説の話が現実のようになり、現実に見える話がそのまま小説に変わるわけです。つまりそのフィクションは現実にしか見えない。
こうやって現実と架空の合間を抽送(辞書には載ってない単語なので大人の方だけググってみて下さい 笑)していると、読み手の感覚はおかしくなってしまうんですね。つまり、どこからどこまでが本当で、どこからどこまでが作り話か分からなくなるわけです。
分かりやすい喩えを挙げるなら、極少の真実を大量の嘘で包みこんで人の名誉を毀損する方が得意とする技ですね。それを私は自分自身にやったわけです(笑)。
だからあえてヘリベ氏にボトルメッセージの話を振られても、私はそのトピックには触れませんでしたし、うっすら読者に沸いているはずの疑惑に弁明をするという愚行も犯しませんでした。疑惑がそのまんま生きた方が読者にとって面白いからです。
さあ、どこからどこまでが本当だと思います?
私がボトルメッセージが送ったのは一人とは限りませんよ?(笑)
頭のネジが何本か外れているような人間しか出来ない遊びですが(笑)、そういう濡れ衣であれば喜んで袖を通すというのも一つの手ですよ。というのも、どうせある程度知名度を得たら普通に嘘は書かれますし、なんだかんだ世間は「元伝説のヤンキー」とか「元伝説の風俗嬢」みたいなステータスの引力に抗えていないじゃないですか。クソみたいな引力でも無いよりはずっとマシなんですよ。
これもある種の自虐なのかもしれませんねえ。本当の私は礼儀正しいごく普通の人なんですけど。
もはや誰も信じてはくれません(笑)。
いや、本当に普通~の人なんですけどね。
このブログのお客さんは半分以上がリピーターの方なんですけど、おそらくあの記事を読んだ方々は「アレ? もしかしてあの話って実話だったの?」と思ったはずです。
それはなぜか?
答えはカンタン。今まで私が書いた小説のネタをそのままブログで実話のように書いたからです。
私は不本意にもメタという要素でちょっとだけ有名になりました。単なる作品という枠組みを超える電子書籍というのはなかなか興味深いものです。
ですが、私のやっている事をただの当てこすりだと思っている方もいるようです。まあ百歩譲って仕返し目的にメタという要素を使っているのなら、あの登場人物はもっとブサイクに描いただろうし、もっと罵詈雑言が混じってブラックさを増していた事でしょう。
話を戻しますが、私の作品には良くも悪くも電子書籍界で実際に起こった事が作品に反映されているかのようなイメージが付随するようになりました。
そういうわけで、私はちょっとしたイタズラを思いついたわけですね(笑)。
これは毒牙姐さんの「泡姫ありえない」でも使われている手法なんですが、フィクションという形で作品を描いていき、最後に作者の自伝のような書き方をすると、読み手の視点がググっと後ろに下がるんですね。「おお、この小説はお前の自伝だったんかい!」みたいな驚きを与える効果です。これはフィクションだと分かっていても上手くやると結構面白い。
それで、普通は小説→作者のベクトルになるメタを、私は先日の記事では逆さにしたんですね(笑)。そうすると小説の話が現実のようになり、現実に見える話がそのまま小説に変わるわけです。つまりそのフィクションは現実にしか見えない。
こうやって現実と架空の合間を抽送(辞書には載ってない単語なので大人の方だけググってみて下さい 笑)していると、読み手の感覚はおかしくなってしまうんですね。つまり、どこからどこまでが本当で、どこからどこまでが作り話か分からなくなるわけです。
分かりやすい喩えを挙げるなら、極少の真実を大量の嘘で包みこんで人の名誉を毀損する方が得意とする技ですね。それを私は自分自身にやったわけです(笑)。
だからあえてヘリベ氏にボトルメッセージの話を振られても、私はそのトピックには触れませんでしたし、うっすら読者に沸いているはずの疑惑に弁明をするという愚行も犯しませんでした。疑惑がそのまんま生きた方が読者にとって面白いからです。
さあ、どこからどこまでが本当だと思います?
私がボトルメッセージが送ったのは一人とは限りませんよ?(笑)
頭のネジが何本か外れているような人間しか出来ない遊びですが(笑)、そういう濡れ衣であれば喜んで袖を通すというのも一つの手ですよ。というのも、どうせある程度知名度を得たら普通に嘘は書かれますし、なんだかんだ世間は「元伝説のヤンキー」とか「元伝説の風俗嬢」みたいなステータスの引力に抗えていないじゃないですか。クソみたいな引力でも無いよりはずっとマシなんですよ。
これもある種の自虐なのかもしれませんねえ。本当の私は礼儀正しいごく普通の人なんですけど。
もはや誰も信じてはくれません(笑)。
いや、本当に普通~の人なんですけどね。
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