「夢を与える」最終回に見た極上メタ
- 2015/06/06
- 23:44
WOWOWで放送されたドラマ「夢を与える」の最終回を見終わりました。
原作者が省いた部分をあえて描くという果敢な挑戦がなされた本作ですが、終わってみれば大成功だったのではないか、なんて思っています。
最終回では主人公の夕子がテレビで流出画像の件について語るのですが、また懲りもせずに私は「自分だったらどうするだろう?」とか、そんな事を考えながら観ていました。お陰で放送中はずっと息を止める事になり、酸欠になってから呼吸を思い出す始末(笑)。こういうエモーショナルな部分ではもう少し引きの視点で物語と向き合いたいのですが、どうやっても知らぬ間に精神的な周波数を登場人物と合わせてしまい、主人公ともども地獄を味わうという法則はいい加減なんとかしたいところです。
本日はAKBの総選挙があったそうで、密かに「本作の最終回をこの日にぶつけたのはわざとなんじゃねえか?」と思っているんですが、やはりああいったイベントが同日に開催されていると、彼女達の表情は果たして本物なのだろうか? という迷いが出てきますね。これは良い意味でも悪い意味でも言えますけど。
よく世間では「アイドルだからって恋愛禁止なんておかしい」とか言われたりするじゃないですか。実際に私も同じ事は思うし、それは正論なんだと思います。が、自由に恋愛をしているアイドルを果たして世間は受け入れるのか? と考えると、やっぱりそれはねえだろうなという結論に至ります。これが「夢を与える」者の宿命なのでしょうか?
勿論そんな理不尽は百も承知で彼女達は仕事に臨んでるんでしょうけど、それでずっとそのまま行けるかと言われたらほとんど全員持たないでしょうね。だから卒業やら引退やらがあるんでしょうが。
話は盛大に脱線しましたが、カメラの前で告解――完全にそうとは言い切れませんが、ちょっと他に言葉が浮かびません――を終えた夕子は、ふと思い立ったように屋上まで駆け上がり、そのまま走り高跳びの要領で屋上のフェンスを越え、夜の闇に吸い込まれていきます。
死のトリガーを引いてしまった罪悪感に誰もが包まれる中、彼女の自殺を予想していた(?)ディレクターが用意したクッションで夕子は助かります。
ある意味死を目指す事によって再生を得た彼女は、夜空と屋上にいる両親と、そしてスポットライトを見て笑っていました。
ご都合主義かもしれない。現実はもっと厳しいのかもしれない。本当ならもう立ち上がれないのかもしれない。でも、そんな事がどうでもよくなるぐらい、この再生には一種の光を感じたのです。それは、原作のラストに感じた無常観とか悔しさとは相対する、人間の持つ熱量だったのかもしれません。
テレビの内側に住んでいる観客を失望させても、テレビの向こう側にいる視聴者――つまり、私達――に希望を与えてくれた意味では、夕子はたしかに「夢を与える」スーパースターだったのかもしれません。
ある意味男性的なアツいラストを描ききってくれた犬童一心監督には敬服を禁じえませんね。このラストはある種の極上メタですよ。
原作者が省いた部分をあえて描くという果敢な挑戦がなされた本作ですが、終わってみれば大成功だったのではないか、なんて思っています。
最終回では主人公の夕子がテレビで流出画像の件について語るのですが、また懲りもせずに私は「自分だったらどうするだろう?」とか、そんな事を考えながら観ていました。お陰で放送中はずっと息を止める事になり、酸欠になってから呼吸を思い出す始末(笑)。こういうエモーショナルな部分ではもう少し引きの視点で物語と向き合いたいのですが、どうやっても知らぬ間に精神的な周波数を登場人物と合わせてしまい、主人公ともども地獄を味わうという法則はいい加減なんとかしたいところです。
本日はAKBの総選挙があったそうで、密かに「本作の最終回をこの日にぶつけたのはわざとなんじゃねえか?」と思っているんですが、やはりああいったイベントが同日に開催されていると、彼女達の表情は果たして本物なのだろうか? という迷いが出てきますね。これは良い意味でも悪い意味でも言えますけど。
よく世間では「アイドルだからって恋愛禁止なんておかしい」とか言われたりするじゃないですか。実際に私も同じ事は思うし、それは正論なんだと思います。が、自由に恋愛をしているアイドルを果たして世間は受け入れるのか? と考えると、やっぱりそれはねえだろうなという結論に至ります。これが「夢を与える」者の宿命なのでしょうか?
勿論そんな理不尽は百も承知で彼女達は仕事に臨んでるんでしょうけど、それでずっとそのまま行けるかと言われたらほとんど全員持たないでしょうね。だから卒業やら引退やらがあるんでしょうが。
話は盛大に脱線しましたが、カメラの前で告解――完全にそうとは言い切れませんが、ちょっと他に言葉が浮かびません――を終えた夕子は、ふと思い立ったように屋上まで駆け上がり、そのまま走り高跳びの要領で屋上のフェンスを越え、夜の闇に吸い込まれていきます。
死のトリガーを引いてしまった罪悪感に誰もが包まれる中、彼女の自殺を予想していた(?)ディレクターが用意したクッションで夕子は助かります。
ある意味死を目指す事によって再生を得た彼女は、夜空と屋上にいる両親と、そしてスポットライトを見て笑っていました。
ご都合主義かもしれない。現実はもっと厳しいのかもしれない。本当ならもう立ち上がれないのかもしれない。でも、そんな事がどうでもよくなるぐらい、この再生には一種の光を感じたのです。それは、原作のラストに感じた無常観とか悔しさとは相対する、人間の持つ熱量だったのかもしれません。
テレビの内側に住んでいる観客を失望させても、テレビの向こう側にいる視聴者――つまり、私達――に希望を与えてくれた意味では、夕子はたしかに「夢を与える」スーパースターだったのかもしれません。
ある意味男性的なアツいラストを描ききってくれた犬童一心監督には敬服を禁じえませんね。このラストはある種の極上メタですよ。
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