指南書は読むなという話(前にも書いた気がするけど知るか)
- 2023/05/11
- 23:43
とりあえずダークネスウィーク(GWすべて朝から深夜までフル勤務)が終わり、生き延びましたので文藝ネタを書こうかと思います。
おそらくこれを書いたら「お前が言うな!」と総ツッコミになる気がしないでもないのですが、よくある文藝指南書的なものは書き手にとって助けになるどころか害悪になるのではないか、という考えをあるところから持ちはじめました。
まあ、先に言っておけばそういった指南書に助けられたプロ作家もたくさんいるというのは聞いた事があります。
ですがちょっと待って下さい。きっと彼らはそんなものが無くても勝手にスランプを脱出したであろうし、たまたまその文藝指南書がスランプ脱出のとっかかりになっただけなのではないかと思うのです。
確かに書いてある事はしっかりした技術である事もあります。そうでない場合の方が多い気はしますが。
ですが、所詮文藝の世界も職人の世界なのであって、それを読んだからといって同じものが作れるという事は到底あり得ず、そういった指南書はあくまで、それを理解出来ない人に出来る人の視点を与えているだけのような気がするのです。
それを読んで向上出来る人ははっきり言って文体模写でもやって他の作家の書き方を真似ながら新しい作品を作るという芸当もそう苦労せずに出来るでしょうし、そもそも文藝というカテゴリで技術を一般化する事自体に無理があるのではないかと思うのです。
そこにはあまりにも多くの文体や技術体系が際限のない蜘蛛の巣のように広がっており、すべてを一度に把握する事が不可能である事情から、どうしても根幹の精神面で励ます事ぐらいしか出来ないのでは? という印象を持っています。
世の中には絶賛されている指南書をいくつも見ますが、それを絶賛している人達で実際に書ける人って割合的にはかなり少ないのではないかと思うのです。
そうなるとただ一つの視点だけ手に入れて実戦や経験の蓄積も無く知識だけを増やしていく事で、知識と技量の乖離――平たく言えば、眼光手低という状態が生まれやすくなっている気がします。
テニスが巧くなりたいのであればテニスの練習をすればいいのであって、バドミントンをやったらバドミントンが巧くなるだけなのと同じ事で、やはり小説をうまく書くには小説を書き続けるしかないのだと思います。
なので書けなくなって困っている人こそ、無理をしてでも書いてみた方が「治療」にはよろしいのではないかと思われます。
実践そのものを強化していかないと、出来上がる頃にはあっという間にジジイになってしまうかと思われますので、やはり「それが巧くなりたいのであれば、それをやりなさい」というのがシンプルで一番間違いのない答えのようです。
おそらくこれを書いたら「お前が言うな!」と総ツッコミになる気がしないでもないのですが、よくある文藝指南書的なものは書き手にとって助けになるどころか害悪になるのではないか、という考えをあるところから持ちはじめました。
まあ、先に言っておけばそういった指南書に助けられたプロ作家もたくさんいるというのは聞いた事があります。
ですがちょっと待って下さい。きっと彼らはそんなものが無くても勝手にスランプを脱出したであろうし、たまたまその文藝指南書がスランプ脱出のとっかかりになっただけなのではないかと思うのです。
確かに書いてある事はしっかりした技術である事もあります。そうでない場合の方が多い気はしますが。
ですが、所詮文藝の世界も職人の世界なのであって、それを読んだからといって同じものが作れるという事は到底あり得ず、そういった指南書はあくまで、それを理解出来ない人に出来る人の視点を与えているだけのような気がするのです。
それを読んで向上出来る人ははっきり言って文体模写でもやって他の作家の書き方を真似ながら新しい作品を作るという芸当もそう苦労せずに出来るでしょうし、そもそも文藝というカテゴリで技術を一般化する事自体に無理があるのではないかと思うのです。
そこにはあまりにも多くの文体や技術体系が際限のない蜘蛛の巣のように広がっており、すべてを一度に把握する事が不可能である事情から、どうしても根幹の精神面で励ます事ぐらいしか出来ないのでは? という印象を持っています。
世の中には絶賛されている指南書をいくつも見ますが、それを絶賛している人達で実際に書ける人って割合的にはかなり少ないのではないかと思うのです。
そうなるとただ一つの視点だけ手に入れて実戦や経験の蓄積も無く知識だけを増やしていく事で、知識と技量の乖離――平たく言えば、眼光手低という状態が生まれやすくなっている気がします。
テニスが巧くなりたいのであればテニスの練習をすればいいのであって、バドミントンをやったらバドミントンが巧くなるだけなのと同じ事で、やはり小説をうまく書くには小説を書き続けるしかないのだと思います。
なので書けなくなって困っている人こそ、無理をしてでも書いてみた方が「治療」にはよろしいのではないかと思われます。
実践そのものを強化していかないと、出来上がる頃にはあっという間にジジイになってしまうかと思われますので、やはり「それが巧くなりたいのであれば、それをやりなさい」というのがシンプルで一番間違いのない答えのようです。
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