「インフルエンス」書評
- 2021/03/28
- 00:54
最近WOWOWで「インフルエンス」のドラマが始まりまして、当初から「なにこれ面白そう」と思っていたので毎週録画にしつつ、原作本を先に読了しました。面白かった。
ストーリーをざっくりと説明すると、冒頭にとある作家へ「会いたい」という内容の手紙が届いた話から始まります。
自分の人生を小説にしてほしい――結構な割合でいる困ったちゃんの手紙に見えつつも、その作家はなぜか差出人の女性に強く惹かれました。
女性の名前は戸塚友梨(とつか ゆり)――彼女の話を聞いていくうちに、カフェの一室が聴罪室へと変わっていきます。
彼女の口から滔々と語られる告解。三人の女性達の人生。罪の連鎖。その闇は聞き手を少しずつ心地よい闇へと引きずり込んでいく……。
友梨が犯した罪とは?
そして、彼女が自身の人生を小説にしてほしいと言い出した真意とは?
……と、ネタバレ防止のためかなりフワっとしたあらすじになりましたが、私がこの作品に惹かれたのはある意味必然だったのかもしれないですね。痛いし苦しいし切ないのに、ページを捲る手が止まらない。
私はそんなにアウトローな人でもないんですけど、登場人物達が本当にけなげでついつい同情したくなるくらい、罪と不幸と入れ違いの坂を転げ落ちてゆくのですね。
たとえば主要人物のある人なんかは家族から性的虐待に遭っていて、友人はそれを助けてあげたくても大人に止められてスルーせざるをえず、罪悪感を抱えたまま疎遠になっていくところなんか、要素的に似たような事を経験した人はたくさんいるのではないでしょうか?
見捨てたつもりはない。だけど、罪悪感はたしかに残っている、みたいな。
最近思うのですけど、私の書いている作品に贖罪っぽい要素が存外に多いのは、一種の引きずっても引きずっても全然擦り減らない十字架をなんとか軽くしようとしていて、たまたまその手段が小説だっただけなのではないか? とも思うのです。
それで、彼女達も見えなくて重い十字架をズルズルと引きずっているのではないかと。
そうですね。私達は生きている限りきっといくらか有罪なのですよ。そして、それを赦さないのは自分自身と。
良心の呵責や取り返しのつかない何かに対して押しつぶされないように、人は自然と罪を贖おうとする機能が備え付けられたのかもしれません。たとえそれがキリスト教徒でなかったとしても。
今作は本当にいくらか年食ったオッサンには切ない場面がたくさんありましたね。
とくに最後のどんでん返しなんかは本当に切ないですよね。やさしい嘘と言いますか、読後感としては読み手に生きる勇気を与えてくれる作品であったと思います。
あとがきに
この作品の「次こそは何をおいてもどんなことをしてもあなたを助ける」という誓いと行動に、涙が止まらなくなる。私だけでなく多くの人の心に突き刺さると確信している。
(内澤旬子)
という記載がありましたが、まったく同じ事を思いました。
タイトル通り、読み手の人生に影響(インフルエンス)を多大に与えうる可能性のある小説と思いました。
読了後はもう会えない人、どこにいるのかも分からない大切だった人に思いを馳せました。
きっと罪と同じように、その人と会えた瞬間も、思い出も、幸福も決して消える事は無いのでしょう。
こちらもよろしく。
試験的に書評記事を書いてからこのリンクを貼る事にしました。書評記事を書いた後は売れる事が多いので。
ストーリーをざっくりと説明すると、冒頭にとある作家へ「会いたい」という内容の手紙が届いた話から始まります。
自分の人生を小説にしてほしい――結構な割合でいる困ったちゃんの手紙に見えつつも、その作家はなぜか差出人の女性に強く惹かれました。
女性の名前は戸塚友梨(とつか ゆり)――彼女の話を聞いていくうちに、カフェの一室が聴罪室へと変わっていきます。
彼女の口から滔々と語られる告解。三人の女性達の人生。罪の連鎖。その闇は聞き手を少しずつ心地よい闇へと引きずり込んでいく……。
友梨が犯した罪とは?
そして、彼女が自身の人生を小説にしてほしいと言い出した真意とは?
……と、ネタバレ防止のためかなりフワっとしたあらすじになりましたが、私がこの作品に惹かれたのはある意味必然だったのかもしれないですね。痛いし苦しいし切ないのに、ページを捲る手が止まらない。
私はそんなにアウトローな人でもないんですけど、登場人物達が本当にけなげでついつい同情したくなるくらい、罪と不幸と入れ違いの坂を転げ落ちてゆくのですね。
たとえば主要人物のある人なんかは家族から性的虐待に遭っていて、友人はそれを助けてあげたくても大人に止められてスルーせざるをえず、罪悪感を抱えたまま疎遠になっていくところなんか、要素的に似たような事を経験した人はたくさんいるのではないでしょうか?
見捨てたつもりはない。だけど、罪悪感はたしかに残っている、みたいな。
最近思うのですけど、私の書いている作品に贖罪っぽい要素が存外に多いのは、一種の引きずっても引きずっても全然擦り減らない十字架をなんとか軽くしようとしていて、たまたまその手段が小説だっただけなのではないか? とも思うのです。
それで、彼女達も見えなくて重い十字架をズルズルと引きずっているのではないかと。
そうですね。私達は生きている限りきっといくらか有罪なのですよ。そして、それを赦さないのは自分自身と。
良心の呵責や取り返しのつかない何かに対して押しつぶされないように、人は自然と罪を贖おうとする機能が備え付けられたのかもしれません。たとえそれがキリスト教徒でなかったとしても。
今作は本当にいくらか年食ったオッサンには切ない場面がたくさんありましたね。
とくに最後のどんでん返しなんかは本当に切ないですよね。やさしい嘘と言いますか、読後感としては読み手に生きる勇気を与えてくれる作品であったと思います。
あとがきに
この作品の「次こそは何をおいてもどんなことをしてもあなたを助ける」という誓いと行動に、涙が止まらなくなる。私だけでなく多くの人の心に突き刺さると確信している。
(内澤旬子)
という記載がありましたが、まったく同じ事を思いました。
タイトル通り、読み手の人生に影響(インフルエンス)を多大に与えうる可能性のある小説と思いました。
読了後はもう会えない人、どこにいるのかも分からない大切だった人に思いを馳せました。
きっと罪と同じように、その人と会えた瞬間も、思い出も、幸福も決して消える事は無いのでしょう。
こちらもよろしく。
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