私が格闘技モノの小説を単発でしか書かない理由
- 2020/05/25
- 23:22
最近になって久しぶりに書いた格闘技モノの「PCM」ですが、私は今まで格闘技モノの小説を書いてきた際に決して続編は書いてきませんでした。どれも単発で終わっています。
なぜか。
答えはシンプルで、格闘技モノで同じ主人公をずっと出し続けて作品を続けていくと、必ず強さの飽和状態が現れるからです。
まあ、どの作品とは言いませんけど(笑)、特に漫画なんかだと前にすげえ苦戦した敵が新しい敵にあっさりやられたりするじゃないですか。
それをあえてやって「あの強い〇〇がこんなに簡単にやられるなんて……」という衝撃を与えるという手法。分かります。まあ、分かるんですけど、実は私、こういう盛り上げ方があんまり好きじゃありません。
なんか、過去の大苦戦をバカにされたような気分になるというか、当時は当時で勝てない敵と闘っているシーンを見て、「ああ、こりゃどうなるんだ?」と夢中になって読んでいるわけじゃないですか。
そういう目で見ていた敵があっさり続編でやられたりすると、なんか、前作で興奮して読んでた私がバカみたいじゃないですか(笑)。
そういうのが嫌いなので、基本的には(おふざけの要素が入った作品ならともかく)一つの作品一つの作品として完成してもらい、さっさと次を書いた方がいいよなあと。
なので過去作で書いた「紅い虹、晴れてのち虹」のラスボスだった荒岸雷帆と「PCM」に出てきた砂川謙信のどっちが強いんですか? と訊かれたら「さあ、どっちでしょうね?」と答えます(笑)。私にも分かりません。
ただ、「紅い虹、晴れてのち虹」に出てきた山中は「KY」や「PCM」で出てきますね。最後は完全にヤクザになってますが(笑)。「プロミス・リング」で出てきたJJ麗刃は「KY」と「暴っちゃん」でラスボスとして出てきます。つまり、三回目あたりは名前を聞いただけで「あ、こいつ負けるな」と分かるようになっているんですが(笑)。
やっぱり過去最高の作品を書きたいとはいえ、それをやるのに過去作を踏み台にするのは嫌だなと。思い出にも敬意は払いつつ、これからも単発傾向で作品を出していく事になるのかなとも思います。
まあ、「PCM」はラスボスが厳密に言えば純正ボクサーではなかったので、砂川謙信よりも強い選手を書いていっても幻想は崩壊しないんでしょうが。書くとしたらJBC管轄のリングでの話になってしまうんでしょうね。思い出との折り合いって難しいです。
なぜか。
答えはシンプルで、格闘技モノで同じ主人公をずっと出し続けて作品を続けていくと、必ず強さの飽和状態が現れるからです。
まあ、どの作品とは言いませんけど(笑)、特に漫画なんかだと前にすげえ苦戦した敵が新しい敵にあっさりやられたりするじゃないですか。
それをあえてやって「あの強い〇〇がこんなに簡単にやられるなんて……」という衝撃を与えるという手法。分かります。まあ、分かるんですけど、実は私、こういう盛り上げ方があんまり好きじゃありません。
なんか、過去の大苦戦をバカにされたような気分になるというか、当時は当時で勝てない敵と闘っているシーンを見て、「ああ、こりゃどうなるんだ?」と夢中になって読んでいるわけじゃないですか。
そういう目で見ていた敵があっさり続編でやられたりすると、なんか、前作で興奮して読んでた私がバカみたいじゃないですか(笑)。
そういうのが嫌いなので、基本的には(おふざけの要素が入った作品ならともかく)一つの作品一つの作品として完成してもらい、さっさと次を書いた方がいいよなあと。
なので過去作で書いた「紅い虹、晴れてのち虹」のラスボスだった荒岸雷帆と「PCM」に出てきた砂川謙信のどっちが強いんですか? と訊かれたら「さあ、どっちでしょうね?」と答えます(笑)。私にも分かりません。
ただ、「紅い虹、晴れてのち虹」に出てきた山中は「KY」や「PCM」で出てきますね。最後は完全にヤクザになってますが(笑)。「プロミス・リング」で出てきたJJ麗刃は「KY」と「暴っちゃん」でラスボスとして出てきます。つまり、三回目あたりは名前を聞いただけで「あ、こいつ負けるな」と分かるようになっているんですが(笑)。
やっぱり過去最高の作品を書きたいとはいえ、それをやるのに過去作を踏み台にするのは嫌だなと。思い出にも敬意は払いつつ、これからも単発傾向で作品を出していく事になるのかなとも思います。
まあ、「PCM」はラスボスが厳密に言えば純正ボクサーではなかったので、砂川謙信よりも強い選手を書いていっても幻想は崩壊しないんでしょうが。書くとしたらJBC管轄のリングでの話になってしまうんでしょうね。思い出との折り合いって難しいです。
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