読者がバカ過ぎて作品の裏を汲み取ってくれません
- 2018/09/25
- 17:00
また火種になりそうなトピックですが、私は既刊の小説では大抵ただの読み物以上の作品になるよう、色々な仕掛けを施してきました。
それは聖書のパロディーだったり、個人作家が作り上げた文壇もどきのこざかしい小競り合いであったり、かと思えば陰惨な復讐譚で現代をディスりつつ、こんにちの日本人が考えるべき道徳を風諭的アプローチにて語ったりもしました。
と、振り返るとおおよそは大小あれパロディーしか存在していないのではないかというツッコミどころはありつつも、自著を時々読み返すと、我ながら「おお、これは現代日本を痛快に皮肉っているではないか。ナイス俺!」と快哉を叫びたくなるような気さえしてくるものです。
ですが、それも読者に拾ってもらえなければ意味の無いものでした。
特に初期の私がやらかした失敗として、読者の読解力をあまりにも過大評価しすぎました。私はドストエフスキーの本や解説本に熱狂したクチだったのですが、誰もがそうであるはずはなく、というかそもそもドストエフスキーを読破する読者の方が圧倒的少数派であるように、そのあたりの大家と同じレベルで仕掛けを施すと9割の読者はまず拾えないのだという事が分かりました。
嗚呼。悲しきかな日本人が読解力の低下よ。
彼らは紙に沁みこんだインクのシミしか見ていないのです。
文字と文字の間にある空白に、作者の魂が埋まっているかもしれないとは最初から考えもしないのです。
……また反感を買いそうな嘆きを書き連ねましたが、仕掛けというのは拾ってもらえない前提で書いておくのが一番のようです。
何はともあれ小説とは本来娯楽です。
ほとんどの読者はたまたま手に取った電子書籍に深淵さなど求めていないのです。
ですから、軽薄さの中に理知や教訓を忍ばせる事が、現代においては比較的受け入れられる手法のようです。
爪は隠さなければなりません。見せれば、読者は逃げてしまいます。
それは聖書のパロディーだったり、個人作家が作り上げた文壇もどきのこざかしい小競り合いであったり、かと思えば陰惨な復讐譚で現代をディスりつつ、こんにちの日本人が考えるべき道徳を風諭的アプローチにて語ったりもしました。
と、振り返るとおおよそは大小あれパロディーしか存在していないのではないかというツッコミどころはありつつも、自著を時々読み返すと、我ながら「おお、これは現代日本を痛快に皮肉っているではないか。ナイス俺!」と快哉を叫びたくなるような気さえしてくるものです。
ですが、それも読者に拾ってもらえなければ意味の無いものでした。
特に初期の私がやらかした失敗として、読者の読解力をあまりにも過大評価しすぎました。私はドストエフスキーの本や解説本に熱狂したクチだったのですが、誰もがそうであるはずはなく、というかそもそもドストエフスキーを読破する読者の方が圧倒的少数派であるように、そのあたりの大家と同じレベルで仕掛けを施すと9割の読者はまず拾えないのだという事が分かりました。
嗚呼。悲しきかな日本人が読解力の低下よ。
彼らは紙に沁みこんだインクのシミしか見ていないのです。
文字と文字の間にある空白に、作者の魂が埋まっているかもしれないとは最初から考えもしないのです。
……また反感を買いそうな嘆きを書き連ねましたが、仕掛けというのは拾ってもらえない前提で書いておくのが一番のようです。
何はともあれ小説とは本来娯楽です。
ほとんどの読者はたまたま手に取った電子書籍に深淵さなど求めていないのです。
ですから、軽薄さの中に理知や教訓を忍ばせる事が、現代においては比較的受け入れられる手法のようです。
爪は隠さなければなりません。見せれば、読者は逃げてしまいます。
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