別れ
- 2018/06/04
- 03:41
先日に愛犬が亡くなりました。
いい犬でした。
イタズラばかりしていましたけど、やはりいい犬でした。
思いのほか亡くなるのが早かった気はしましたが、ネットで調べたら平均寿命の範疇だったので太く短いlifeを送ったのだと思います。
こういった死にはある程度慣れてきたつもりでしたが、それでもちょいとばかり不眠になたり、まったく影響が無かったわけでもありません。やはり犬はペットというより家族の範疇に入るのかもしれません。
その日はずっと元気で、ある瞬間にコロっと死んだのだそうです。ある意味、最高の死に方をしたのかもしれません。
少し年上の犬が亡くなったのは、「悪人の系譜」を書いていたあたりでした。
あの事件で作品の持つ意味合いがまるで変わってしまったのをよく憶えています。
あの時の愛犬は気付いたら末期癌という状態で、最後の方は歩くこともままならず、犬用のベビーカーで散歩をさせていました。その時の表情は、これから自分がどうなるかもまったく知らない、無垢な笑顔だったのをよく憶えています。
あの時はしんどかったですねえ。いつ最後の時間というやつが途切れるのか。それにビクビクしながら毎日を過ごしていました。まるで、償いのように。
あの経験から考えると、突然の訃報に心の準備が出来てはいませんでしたが、病気で亡くなったわけでもないのでやはり最高の死に方だったのではないかと思っています。
先代の犬を失った当時はね、とにかく生きていれば死んでしまうよりはマシなんだと思っていました。
でも最近は考え方が変わってきて、死ぬ間際に苦しむ人や動物を見てきたのもあり、その人やその動物自身が笑顔で死ねるのが一番なのかなと思うようになってきました。
ずいぶんと昔には私自身も、どうやってこの世から綺麗に消え去ろうかなんて考えていた時代がありましたから、それを考えると何が正しいのか輪をかけて分からなくなってくる部分がありましたねえ。
願望としてはね、いつまでも生きていて欲しいんですよ。でも、だからって苦しんでほしいというわけではないのですよ。
最近自分が持つ妙な能力みたいなのに気付きましてね。
冒頭の愛犬が亡くなる二週間前、散歩に連れて行った時でした。
なんとなしに、「こいつも年だからいつ別れが来ても後悔しないようにしよう」と思ったのを憶えています。
数年前の愛犬が亡くなる数ヶ月前には、その犬がいなくなるような気がして、亡くなる数ヶ月も前に涙が出てきたのを憶えています。
その時の私には、未来に待ち受ける何かが見えてしまったのかもしれません。
それとも、未来から漂ってくる死臭を嗅ぎつけていたのか。
今生きている犬が一匹いるのですが、そいつがダンボールで眠っている亡骸を起こそうと箱の中に首を突っ込んでいるのを見て、なんとも言えない気分になりました。
「いいかい、お姉ちゃんは眠っているんだ。だから、起こしてはいけないよ」
そう言ってまだ何も知らない犬を花が敷き詰められたダンボールから引き剥がしました。
そいつは不思議そうな顔をしていました。その時、申し訳ない気分になりました。もうこいつはその犬と遊んでもらう事も、イタズラをする事も出来ない。それが不憫で。
でも、だからと言って何をしてあげる事も出来ない。
結局ね、どこかしら後悔はあるんですよ。そういった存在を愛した限り。
もっとこうしてやれば良かったなんて考えたら際限が無いし、結局は振り返ることしか出来ません。何かを愛した分だけそれを失った時に思い出が心に突き刺さることだってあるし、それがどこかで支えになってくれる事だってある。結局何かが迎えた死にどのような意味を与えるのかは自分次第なのだと思います。
ただ私は一つの事を言えます。
そいつに、あの犬に会えて心から良かったのだと。
たとえそれが悲しみに終わったとしても、そこには意味があったんです。
愛するものを失ってつらいのは当たり前。
何かがいつまでも続く事なんてありえないし、だからこそ一瞬一瞬を本気で生きないといけないと思うのですよ。
この傷が癒える事はないのでしょう。
ですが思い出が死ぬ事だって無いのです。
それだけで、十分じゃないですか。
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