あたしゃあしつこいんです
- 2017/07/13
- 00:32
不思議なもので、ただブログでくっちゃべっているだけでもそれなりに売上が回復してきますね。とは言っても、ご臨終から虫の息に変化したぐらいですが。
それはさておき、ようやくね、如月恭介氏の新作「日はまた昇る、君の心に」を読了しましたね。
あんまり売れていないそうですが、そりゃそうでしょう(笑)。経済小説っていうだけで敷居が高い上に、現代人はそういう社会から逃れたくて異世界を読む傾向があるからです。
とは言うものの、長期の休養を取っているせいか筆致が落ち着いて(書き急いでいない)ベテランの書き方になっていましたね。氏の作品は良くも悪くもラノベっぽかったというか、読みやすいかわりに場面転換が分かりにくかったり、展開がやや強引に感じる部分があったのですが、それが今作では解消されていました。
それに難しい経済用語にちゃんと神視点で説明が加えられていたので、用語を知らない人でもまあ大丈夫でしょうと。読みやすさはそのまま活かして、今回はより重厚さが増したような気がしますね。それでいてラノベっぽい人情モノ(笑)という不思議なジャンルの作風でもあるので、実はどこにもないタイプの経済小説なんじゃないかという印象を持ちました。
当初ねえ、これをカクヨムで発見した時、横書きっていう理由で完全スルーしたんですよね(笑)。
経済小説はあるべくガチのスタイルでないと読めへんだろうという判断からですが。同じような理由で本作をカクヨムでスルーした方も沢山いるんじゃないですかね。期待通りにKDPに移ってきてくれたのでうっしっしと思っていましたが(笑)。
個人的にはこの重厚さを保ってサハラあたりをもう5歳上を対象にしたエンタメ作品に仕上げて欲しいかもという思いがありますかね。課題を言えば登場人物が毎回いい人過ぎるところがあるので、もっとクセのある人が仲間にいたら深みが増すのでは?
もう一つ、広橋悠氏の遺作……もとい、KDP一区切り作品の「Atmosphere Burnout」を読みました。
今作もねえ、まあ、明らかに天才ですね(笑)。どこからどう見ても。
なんて言うかねえ、伊藤計劃のダークネスと村上春樹の情感を足したような筆致なんですよね。結構行間を読まないといけないような書き方をしているんですけれど、それについてまったく苦痛が無い。むしろちゃんと読んでやろうという好奇心が先に出てくる。
つまりは配分が絶妙なんです。無駄な文章を削る事が課題の人は彼をお手本にすればいいんじゃないですかね。
今回も得意のSFディストピアですね。「IMAGO」が好きなら買いですね。
氏の作品で好きなところは、SFなのに純文学的な情感、余韻、精神面の機微を描き出したり、あえて書かない事で人物像を浮き彫りにするのが抜群に巧いんですね。おそらくディストピアンな人々の心情描写は一番巧いんじゃないですか。
ご本人はこれを個人出版の一区切りにするみたいですが、どうかもっと大きな舞台で戦って欲しいですね。KDPではフィールドが狭すぎるのかもしれません。公募に落っこちたらKDPに上梓するスタイルで全然構わないんじゃないですか。そういう事を言うと怒る人もいますけど、出版社の公募も結構な割合でセンスを感じない事がありますからねえ。
話は全然変わりますが、「WIT STUDIO賞 WITノベル部門」なるものが巷で話題になっているようです。参加資格はキーワードに「WITKDP2017」と入れておけばいいだけみたいだったので、早速「死人失格」にキーワードを入れておきました。
まあ獲れないでしょう(笑)。
だってまず売れていないし(正直売れているかどうかが一番受賞可否の争点になるかと思われます)映像化したら陳腐になりそうだし、審査員の作家さんについてはあんまり知らないし(読み方はずっと「おきかた」だと思ってた)、文字数ギリギリだし、ついでに言うと太宰のパクりだし(笑)。
とまあ逆境だらけのような気がしますが、今後新作をリリースする時には毎回このコンテストのタグを付けておけばいいんじゃないですか(笑)。買わないと宝くじも当たりませんからねえ。
しかし本当に勝者がいないですねえKDP。趣味のツイッター覗きが最近捗りません。半bot化している人もいれば、すっかり鳴りを潜めてしまった方もいますねえ。
電書ちゃんとかがいなくなってヤベエと思っているのは、彼女がいなくなった事によって界隈の外と内を繋ぐ人がいなくなった事ですかね。彼女は界隈の内外を抜けるトンネルに流し込むローションのような存在でもあったわけですよ。
彼女のジャーマネも界隈を去ろうとしていますが、ペットボトルを投げつけられながらリングに上がる島田裕二のように、老害と言われながらも個人作家同士の抗争を煽ってもらいたい今日この頃です(例えが分かりにくい)。
そんな中でも私はしぶとく老害として生き残り続けていますけど、私が他の作家より秀でている点を一個だけ挙げるならまさにこれですね。
私は、書き続けてきた。
これが出来るようでみんな出来ない。
結構な数の作家さんがエゴサで書けなくなっている中、我ながら「金にならん金にならん」言いながらようやってんなと。時々悪口を書かれる事もありますけど、それを書かれるうちは私の存在がまだ生きているという事でしょう。
というわけで、しつこく書く。やめろと言われても書く。ダラダラとボクシングを続けてきたように、あたしゃあしつこいんです。
それはさておき、ようやくね、如月恭介氏の新作「日はまた昇る、君の心に」を読了しましたね。
あんまり売れていないそうですが、そりゃそうでしょう(笑)。経済小説っていうだけで敷居が高い上に、現代人はそういう社会から逃れたくて異世界を読む傾向があるからです。
とは言うものの、長期の休養を取っているせいか筆致が落ち着いて(書き急いでいない)ベテランの書き方になっていましたね。氏の作品は良くも悪くもラノベっぽかったというか、読みやすいかわりに場面転換が分かりにくかったり、展開がやや強引に感じる部分があったのですが、それが今作では解消されていました。
それに難しい経済用語にちゃんと神視点で説明が加えられていたので、用語を知らない人でもまあ大丈夫でしょうと。読みやすさはそのまま活かして、今回はより重厚さが増したような気がしますね。それでいてラノベっぽい人情モノ(笑)という不思議なジャンルの作風でもあるので、実はどこにもないタイプの経済小説なんじゃないかという印象を持ちました。
当初ねえ、これをカクヨムで発見した時、横書きっていう理由で完全スルーしたんですよね(笑)。
経済小説はあるべくガチのスタイルでないと読めへんだろうという判断からですが。同じような理由で本作をカクヨムでスルーした方も沢山いるんじゃないですかね。期待通りにKDPに移ってきてくれたのでうっしっしと思っていましたが(笑)。
個人的にはこの重厚さを保ってサハラあたりをもう5歳上を対象にしたエンタメ作品に仕上げて欲しいかもという思いがありますかね。課題を言えば登場人物が毎回いい人過ぎるところがあるので、もっとクセのある人が仲間にいたら深みが増すのでは?
もう一つ、広橋悠氏の遺作……もとい、KDP一区切り作品の「Atmosphere Burnout」を読みました。
今作もねえ、まあ、明らかに天才ですね(笑)。どこからどう見ても。
なんて言うかねえ、伊藤計劃のダークネスと村上春樹の情感を足したような筆致なんですよね。結構行間を読まないといけないような書き方をしているんですけれど、それについてまったく苦痛が無い。むしろちゃんと読んでやろうという好奇心が先に出てくる。
つまりは配分が絶妙なんです。無駄な文章を削る事が課題の人は彼をお手本にすればいいんじゃないですかね。
今回も得意のSFディストピアですね。「IMAGO」が好きなら買いですね。
氏の作品で好きなところは、SFなのに純文学的な情感、余韻、精神面の機微を描き出したり、あえて書かない事で人物像を浮き彫りにするのが抜群に巧いんですね。おそらくディストピアンな人々の心情描写は一番巧いんじゃないですか。
ご本人はこれを個人出版の一区切りにするみたいですが、どうかもっと大きな舞台で戦って欲しいですね。KDPではフィールドが狭すぎるのかもしれません。公募に落っこちたらKDPに上梓するスタイルで全然構わないんじゃないですか。そういう事を言うと怒る人もいますけど、出版社の公募も結構な割合でセンスを感じない事がありますからねえ。
話は全然変わりますが、「WIT STUDIO賞 WITノベル部門」なるものが巷で話題になっているようです。参加資格はキーワードに「WITKDP2017」と入れておけばいいだけみたいだったので、早速「死人失格」にキーワードを入れておきました。
まあ獲れないでしょう(笑)。
だってまず売れていないし(正直売れているかどうかが一番受賞可否の争点になるかと思われます)映像化したら陳腐になりそうだし、審査員の作家さんについてはあんまり知らないし(読み方はずっと「おきかた」だと思ってた)、文字数ギリギリだし、ついでに言うと太宰のパクりだし(笑)。
とまあ逆境だらけのような気がしますが、今後新作をリリースする時には毎回このコンテストのタグを付けておけばいいんじゃないですか(笑)。買わないと宝くじも当たりませんからねえ。
しかし本当に勝者がいないですねえKDP。趣味のツイッター覗きが最近捗りません。半bot化している人もいれば、すっかり鳴りを潜めてしまった方もいますねえ。
電書ちゃんとかがいなくなってヤベエと思っているのは、彼女がいなくなった事によって界隈の外と内を繋ぐ人がいなくなった事ですかね。彼女は界隈の内外を抜けるトンネルに流し込むローションのような存在でもあったわけですよ。
彼女のジャーマネも界隈を去ろうとしていますが、ペットボトルを投げつけられながらリングに上がる島田裕二のように、老害と言われながらも個人作家同士の抗争を煽ってもらいたい今日この頃です(例えが分かりにくい)。
そんな中でも私はしぶとく老害として生き残り続けていますけど、私が他の作家より秀でている点を一個だけ挙げるならまさにこれですね。
私は、書き続けてきた。
これが出来るようでみんな出来ない。
結構な数の作家さんがエゴサで書けなくなっている中、我ながら「金にならん金にならん」言いながらようやってんなと。時々悪口を書かれる事もありますけど、それを書かれるうちは私の存在がまだ生きているという事でしょう。
というわけで、しつこく書く。やめろと言われても書く。ダラダラとボクシングを続けてきたように、あたしゃあしつこいんです。
スポンサーサイト