割とよく狂っていると言われる
- 2017/05/24
- 18:00
私の作品には世間で言うマジキチと呼ばれる人種が数多く出てくる。
別に理由があるわけではないのだが、頭のおかしい人というか、常識的な価値観からはみ出した人間というのは荒唐無稽なストーリーをそこそこありそうな話に見せかけるのに適している。
私は明らかにイカれているキャラを描いてはいるものの、社会に出るとそんじょそこらの個人作家よりよほど常識人だ。間違いない。
なぜか?
答えは単純で、小説の世界で頭のおかしい奴を書きたかったら、その書き手は頭のおかしい奴よりも遥か上の精神性を持っていなくてはいけないからだ。
なぜなら正常な人間の視点を持っていない人は正常でない人間の範疇を定義出来ないからだ。
マジキチを描くためには常識的な枠組みにいる人間の思考原理を熟知していなければならない。ルールを知らない人間に確信犯的なルール破りなど不可能だ。いたって簡単な理屈である。
たまに「お前は小説のルール破りをしているから素人だ」みたいなバカ丸出しの指摘をする個人作家がいるが、あれはフィットネスのオッさんがプロボクサーに戦い方を指導しているようなパターンがほとんどだ。いつかは誰かにやんわりと諭されて恥をかく運命にある。
それはそれとして、狂った人間を描きたい人が実生活で狂っている必要は少しも無い。むしろ執筆の邪魔になるだけだろう。
ダークな作品を生み出す人は沢山いるが、会って話せば大体は普通の人である。むしろ今まで会った誰よりも感じが良いかもしれない。
彼らは前科も無ければ髑髏をあしらったグラスでテキーラを飲んだりしているわけでもない。そういう設定は大体演出だ。アイドルが処女でなければならないのと意味合いは少しも変わらない。
本当にダークネスな人は、日頃は常識人として振る舞い、日常生活で積もり積もった憎悪をちょいとばかりブルータルな方法で表現してはスカっとして日常に戻っているだけである。つまり生理がよりドス黒いだけの話だ。
創作の世界では産もうと努力している人間よりも止むに止まれず排泄するように作品を生み出す人間の方が強い。それは宿痾にも例えられ、その人が生き続ける限り振り切る事の出来ぬ鎖でもあるのだ。
かく言う私も、こうして文字を綴らずにはいられない体質をなんとか雑記でしのいでいる毎日である。
そう考えると確かに物書きはどこか頭のネジが外れていないと務まらないのかもしれない。
別に理由があるわけではないのだが、頭のおかしい人というか、常識的な価値観からはみ出した人間というのは荒唐無稽なストーリーをそこそこありそうな話に見せかけるのに適している。
私は明らかにイカれているキャラを描いてはいるものの、社会に出るとそんじょそこらの個人作家よりよほど常識人だ。間違いない。
なぜか?
答えは単純で、小説の世界で頭のおかしい奴を書きたかったら、その書き手は頭のおかしい奴よりも遥か上の精神性を持っていなくてはいけないからだ。
なぜなら正常な人間の視点を持っていない人は正常でない人間の範疇を定義出来ないからだ。
マジキチを描くためには常識的な枠組みにいる人間の思考原理を熟知していなければならない。ルールを知らない人間に確信犯的なルール破りなど不可能だ。いたって簡単な理屈である。
たまに「お前は小説のルール破りをしているから素人だ」みたいなバカ丸出しの指摘をする個人作家がいるが、あれはフィットネスのオッさんがプロボクサーに戦い方を指導しているようなパターンがほとんどだ。いつかは誰かにやんわりと諭されて恥をかく運命にある。
それはそれとして、狂った人間を描きたい人が実生活で狂っている必要は少しも無い。むしろ執筆の邪魔になるだけだろう。
ダークな作品を生み出す人は沢山いるが、会って話せば大体は普通の人である。むしろ今まで会った誰よりも感じが良いかもしれない。
彼らは前科も無ければ髑髏をあしらったグラスでテキーラを飲んだりしているわけでもない。そういう設定は大体演出だ。アイドルが処女でなければならないのと意味合いは少しも変わらない。
本当にダークネスな人は、日頃は常識人として振る舞い、日常生活で積もり積もった憎悪をちょいとばかりブルータルな方法で表現してはスカっとして日常に戻っているだけである。つまり生理がよりドス黒いだけの話だ。
創作の世界では産もうと努力している人間よりも止むに止まれず排泄するように作品を生み出す人間の方が強い。それは宿痾にも例えられ、その人が生き続ける限り振り切る事の出来ぬ鎖でもあるのだ。
かく言う私も、こうして文字を綴らずにはいられない体質をなんとか雑記でしのいでいる毎日である。
そう考えると確かに物書きはどこか頭のネジが外れていないと務まらないのかもしれない。
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