滑走路を走り続けていたら知らぬ間に地球一周してた
- 2017/04/05
- 12:00
何回も似たような話を繰り返したかもしれないけど、ジジイみたいに繰り返そう。私もすっかり老害か。
日本人によく見られる傾向で、準備に時間をかけ過ぎるというのがある。
道具だけ揃えてすっかり満足してしまうのもどうかとは思うのだけど、滑走路をいつまでも走り続け、ゆうに地球一周分ぐらい走行する人も結構いる。
これは芸術だろうがスポーツだろうが多分に見られる傾向で、着実に何かをしたい日本人らしい特性と言えば特性なのだろう。美徳と呼ぶか悪癖と呼ぶかはさておいて。
小説も例外ではなく、何百冊も本を読まないと執筆する資格が無いと思い込んでいる人は存外に多い。
だが、小説を書く行為そのものに資格なんぞは必要無いわけで、才能のある人はさっさと書いた方が上手くいく事も往々にしてある。
逆に手厳しい言い方かもしれないが、下手な書き手はどれだけ準備期間を設けようが見るに堪えない作品を量産するわけで、それは才能の無い分野に継続して労力を注ぎ込んだだけ能率の悪い行為となる。イラっとくる言い方をするならコスパが悪い。
長い準備期間の弊害は色々とある。まずは実地を知らない人間が何かを学ぶ場合、どのような知識が効果をもたらすのかを理解しきれていないのがほとんどだ。つい最近まで学生だった新入社員が即座には役に立たないのを見れば明らかだろう。
鍛錬が知識偏重になると、人は的はずれなトレーニングに大量の労力を注ぎ込む可能性が高くなる。肉体の衰えというファクターが存在するスポーツにおいてこの悪癖は致命的となる。
芸術の世界にも似たような傾向があり、長い修練の間にいわゆる負け癖の付いた芸術家は、才能に見合わない不遇を味わう事もある。これはテンプレに飼い慣らされるという要因も多分にある。
だが、明らかな準備不足で実践に臨むと大抵が無残な結果に終わるというのも事実だ。ここにジレンマがある。
そうなるとどうしたらいいのか。
答えは簡単だ。
最低限必要なルールを覚えたらさっさと実践に入る。それすらもままならない知識しか持たないならば不足している箇所を強化する。
どうだろう?
いたってシンプルじゃないか?
正直なところ、よほどの天才でもない限りキャリアの長さに比例して恥はかく。それはある領域に達しないと見えない世界があるからだ。最初から何でも完璧に出来る人間などいない。人はそれを神と呼ぶ。
いずれにしても知識は後から底上げしないといけないわけで、トップレベルの人間は呼吸のレベルで自らの技術を研鑽している。それがプロのプロたるゆえんだ。
何が言いたいのかと言うと、何かをしたいのならさっさと直截的にそれをやれという話だ。回り道などせずに、ダイレクトに取り組む事で成すべき課題が見えてくる。
この際ぶっちゃけて言うが、何の志も無い人間が本を何冊読もうが、執筆ごとに自分の課題を見つけ、技を盗もうとギラギラしている人間には絶対勝てない。
片方はラジオ体操に来た小学生みたいなもので、訓練そのものがファッションと化している。きっと参加賞のお菓子でもあげておけば喜ぶのだろう。
対して後者は自分の注意力を全て向上に捧げている。どう考えても成長のスピードは違うに決まっている。
最近はストイックさすらもファッションにしているどうしようもない人間がいるが、自分のストイックさをアピールしている暇があるなら黙って作品だけ書いてりゃいいだろうと思う。こういう人は腹筋を20回やったら自慢するタイプだから気を付けた方がいい。
まあ、よくある「君にはまだ早い」的なアドバイスも多々あるだろう。それは的確でありがたい場合もあるし、ただのマウンティングである場合もある。
どっちか分からないなら、ひとまず挑戦して散ってみるというのも手だ。
というのも、ほとんどの人は「まだ早い」と言われても何が早いのかをさっぱり分かっていないわけで、散った先にしか見えない課題やら取り組むべき問題もあるわけだ。
周囲は良かれと守ろうとしてあげているのだろうけど、手厚く守られたゆとり世代が(偏見か)いきなり社会の荒波に放り出されてかえって大惨事になる例だってある。何でもプロテクトすればいいというものでもない。
まあ人生にはやるべき事が沢山ある。散って散って、その内才能のある分野を見つける方がそれこそコスパがいいではないか。
あらゆる分野においても才能の無い人間なんて確実にいない。自分の向いている分野をさっさと見つけた方がいい。そのためには自分自身をリトマス試験にかけるのだ。
仮にプロになれるほどじゃなくても趣味でやればいいじゃないか。幸い私達には趣味で金を取れる舞台がある。
喰っていけてなくても地方のスナックを巡りながら充実したキャリアを発展させている手品師だっている。……すまない、想像で書いた。
いずれにしても、今や芸術家一本では喰っていけない時代。それならばいっそ気楽に挑戦をしてみては?
なに、ゴミなら嫌でも淘汰される。無駄な心配をしているぐらいなら、さっさとやってみよう。誰も流したウンコの事など覚えやしない。
謙虚なあなたなら、きっと自意識ばかりで才能の無い私よりは遥かにいいものを書くだろう。
挑戦を恐れてはいけない。
日本人によく見られる傾向で、準備に時間をかけ過ぎるというのがある。
道具だけ揃えてすっかり満足してしまうのもどうかとは思うのだけど、滑走路をいつまでも走り続け、ゆうに地球一周分ぐらい走行する人も結構いる。
これは芸術だろうがスポーツだろうが多分に見られる傾向で、着実に何かをしたい日本人らしい特性と言えば特性なのだろう。美徳と呼ぶか悪癖と呼ぶかはさておいて。
小説も例外ではなく、何百冊も本を読まないと執筆する資格が無いと思い込んでいる人は存外に多い。
だが、小説を書く行為そのものに資格なんぞは必要無いわけで、才能のある人はさっさと書いた方が上手くいく事も往々にしてある。
逆に手厳しい言い方かもしれないが、下手な書き手はどれだけ準備期間を設けようが見るに堪えない作品を量産するわけで、それは才能の無い分野に継続して労力を注ぎ込んだだけ能率の悪い行為となる。イラっとくる言い方をするならコスパが悪い。
長い準備期間の弊害は色々とある。まずは実地を知らない人間が何かを学ぶ場合、どのような知識が効果をもたらすのかを理解しきれていないのがほとんどだ。つい最近まで学生だった新入社員が即座には役に立たないのを見れば明らかだろう。
鍛錬が知識偏重になると、人は的はずれなトレーニングに大量の労力を注ぎ込む可能性が高くなる。肉体の衰えというファクターが存在するスポーツにおいてこの悪癖は致命的となる。
芸術の世界にも似たような傾向があり、長い修練の間にいわゆる負け癖の付いた芸術家は、才能に見合わない不遇を味わう事もある。これはテンプレに飼い慣らされるという要因も多分にある。
だが、明らかな準備不足で実践に臨むと大抵が無残な結果に終わるというのも事実だ。ここにジレンマがある。
そうなるとどうしたらいいのか。
答えは簡単だ。
最低限必要なルールを覚えたらさっさと実践に入る。それすらもままならない知識しか持たないならば不足している箇所を強化する。
どうだろう?
いたってシンプルじゃないか?
正直なところ、よほどの天才でもない限りキャリアの長さに比例して恥はかく。それはある領域に達しないと見えない世界があるからだ。最初から何でも完璧に出来る人間などいない。人はそれを神と呼ぶ。
いずれにしても知識は後から底上げしないといけないわけで、トップレベルの人間は呼吸のレベルで自らの技術を研鑽している。それがプロのプロたるゆえんだ。
何が言いたいのかと言うと、何かをしたいのならさっさと直截的にそれをやれという話だ。回り道などせずに、ダイレクトに取り組む事で成すべき課題が見えてくる。
この際ぶっちゃけて言うが、何の志も無い人間が本を何冊読もうが、執筆ごとに自分の課題を見つけ、技を盗もうとギラギラしている人間には絶対勝てない。
片方はラジオ体操に来た小学生みたいなもので、訓練そのものがファッションと化している。きっと参加賞のお菓子でもあげておけば喜ぶのだろう。
対して後者は自分の注意力を全て向上に捧げている。どう考えても成長のスピードは違うに決まっている。
最近はストイックさすらもファッションにしているどうしようもない人間がいるが、自分のストイックさをアピールしている暇があるなら黙って作品だけ書いてりゃいいだろうと思う。こういう人は腹筋を20回やったら自慢するタイプだから気を付けた方がいい。
まあ、よくある「君にはまだ早い」的なアドバイスも多々あるだろう。それは的確でありがたい場合もあるし、ただのマウンティングである場合もある。
どっちか分からないなら、ひとまず挑戦して散ってみるというのも手だ。
というのも、ほとんどの人は「まだ早い」と言われても何が早いのかをさっぱり分かっていないわけで、散った先にしか見えない課題やら取り組むべき問題もあるわけだ。
周囲は良かれと守ろうとしてあげているのだろうけど、手厚く守られたゆとり世代が(偏見か)いきなり社会の荒波に放り出されてかえって大惨事になる例だってある。何でもプロテクトすればいいというものでもない。
まあ人生にはやるべき事が沢山ある。散って散って、その内才能のある分野を見つける方がそれこそコスパがいいではないか。
あらゆる分野においても才能の無い人間なんて確実にいない。自分の向いている分野をさっさと見つけた方がいい。そのためには自分自身をリトマス試験にかけるのだ。
仮にプロになれるほどじゃなくても趣味でやればいいじゃないか。幸い私達には趣味で金を取れる舞台がある。
喰っていけてなくても地方のスナックを巡りながら充実したキャリアを発展させている手品師だっている。……すまない、想像で書いた。
いずれにしても、今や芸術家一本では喰っていけない時代。それならばいっそ気楽に挑戦をしてみては?
なに、ゴミなら嫌でも淘汰される。無駄な心配をしているぐらいなら、さっさとやってみよう。誰も流したウンコの事など覚えやしない。
謙虚なあなたなら、きっと自意識ばかりで才能の無い私よりは遥かにいいものを書くだろう。
挑戦を恐れてはいけない。
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