空気なんか読めません
- 2017/03/29
- 00:00
空き時間に日記を書き留めているせいか、あまりタイムリーな話が出来ない。思考の排泄にタイムリーもクソもあったもんじゃないとは思うのだけれど、いつもの瞬発力が使えないのはちょっとね。
最近は急な連絡があってもレスポンスが出来ないわけで、ネットを小まめに覗いている暇もない。だから予約投稿で掲載されているこの記事もひどく空気の読めないものになっているかもしれない。
最近はようやくセールで買ったグラスホッパーを読んでいる。普通に人が死んだりするんだけど、内容はいたってユルい展開というか、ある意味ラノベが隆盛となっている現代において一番受け入れられる軽さなのかなと。
重い話も大好きなんだけど、重厚な話は読む前にどっこいしょとやる必要があるからな、と。
最近はまた妙な悪癖が出てきて、電子辞書で単語を調べた時に出てくる難解な同音異義語の言葉を語彙に加えていくという無駄に意識の高いサイクルを繰り返している。
その内ラップみたいに謎の押韻詩みたいな文章を書き出すかもしれない。きっと需要は無い。
でも軽さは大事だよなって思ったのは、クソ忙しい時に難解な本を読みたい人ってあんまりいないよねって話。
ドストエフスキー大好きな私でも今のクソ忙しさの中でカラマーゾフの兄弟を読めるかって訊かれたら多分無理と答える。白痴あたりなら読みやすいから大丈夫。いや、せいぜい賭博者か地下室の手記ぐらいか。
しかし古典っていうのは素晴らしい。単に勉強になるだけじゃなく、パクったりパロったりすると褒められる(笑)。
きっと著作権がフリーになっているのも関係あるのだろう。
古典が偉大過ぎるせいもあるのか、今の作家の作品はどことなくメインディシュの脇に盛られてるそこそこ美味しいオカズぐらいの立ち位置になっているような気がしないでもない。
まあ悲観する事もあるまい。B級品にはB級品なりの良さがあるのだから。
また懲りもせずにパルプフィクションの話を引き合いに出すのだけど、セルパブの作品ってバラ売りのパルプフィクションっぽいよねという事も最近は思った。
最近はコラボも増えてきて、好きな作家が参加している作品集を購入したのだけど、たとえ技巧的に優れていてもつまんなかったら普通に飛ばしたし(笑)一般読者はもっとシビアなんだろうなとも思った。
トップバッターに一番読みやすくてわかりやすい作品を持ってくるのはある意味音楽のアルバムと近いところがあるんだろうけど、作品ごとにもツカミはあるのかなと。だってつまんないと普通に飛ばしたし。
今は純文学の人はしんどいだろうなと。
読者の審美眼もだいぶ落ちてきたし、読めていないだけなのに読解力の無さを低レビューで正当化されるんだからたまったもんじゃない。
皮肉な事にラノベも純文学も先鋭性が求められていて大変ですなと。しかも5年も経ったら見るに耐えないぐらい陳腐になっている例もままあるし、結構罰ゲームじゃね?とも思う。
やっぱり好き勝手書いていくのが一番なんだろうなと。
市場動向を追っている作家が幸せだとは思わない。同じ尻を追いかけるなら、お姉ちゃんの方が遥かに楽しいですよ、と。
最近は急な連絡があってもレスポンスが出来ないわけで、ネットを小まめに覗いている暇もない。だから予約投稿で掲載されているこの記事もひどく空気の読めないものになっているかもしれない。
最近はようやくセールで買ったグラスホッパーを読んでいる。普通に人が死んだりするんだけど、内容はいたってユルい展開というか、ある意味ラノベが隆盛となっている現代において一番受け入れられる軽さなのかなと。
重い話も大好きなんだけど、重厚な話は読む前にどっこいしょとやる必要があるからな、と。
最近はまた妙な悪癖が出てきて、電子辞書で単語を調べた時に出てくる難解な同音異義語の言葉を語彙に加えていくという無駄に意識の高いサイクルを繰り返している。
その内ラップみたいに謎の押韻詩みたいな文章を書き出すかもしれない。きっと需要は無い。
でも軽さは大事だよなって思ったのは、クソ忙しい時に難解な本を読みたい人ってあんまりいないよねって話。
ドストエフスキー大好きな私でも今のクソ忙しさの中でカラマーゾフの兄弟を読めるかって訊かれたら多分無理と答える。白痴あたりなら読みやすいから大丈夫。いや、せいぜい賭博者か地下室の手記ぐらいか。
しかし古典っていうのは素晴らしい。単に勉強になるだけじゃなく、パクったりパロったりすると褒められる(笑)。
きっと著作権がフリーになっているのも関係あるのだろう。
古典が偉大過ぎるせいもあるのか、今の作家の作品はどことなくメインディシュの脇に盛られてるそこそこ美味しいオカズぐらいの立ち位置になっているような気がしないでもない。
まあ悲観する事もあるまい。B級品にはB級品なりの良さがあるのだから。
また懲りもせずにパルプフィクションの話を引き合いに出すのだけど、セルパブの作品ってバラ売りのパルプフィクションっぽいよねという事も最近は思った。
最近はコラボも増えてきて、好きな作家が参加している作品集を購入したのだけど、たとえ技巧的に優れていてもつまんなかったら普通に飛ばしたし(笑)一般読者はもっとシビアなんだろうなとも思った。
トップバッターに一番読みやすくてわかりやすい作品を持ってくるのはある意味音楽のアルバムと近いところがあるんだろうけど、作品ごとにもツカミはあるのかなと。だってつまんないと普通に飛ばしたし。
今は純文学の人はしんどいだろうなと。
読者の審美眼もだいぶ落ちてきたし、読めていないだけなのに読解力の無さを低レビューで正当化されるんだからたまったもんじゃない。
皮肉な事にラノベも純文学も先鋭性が求められていて大変ですなと。しかも5年も経ったら見るに耐えないぐらい陳腐になっている例もままあるし、結構罰ゲームじゃね?とも思う。
やっぱり好き勝手書いていくのが一番なんだろうなと。
市場動向を追っている作家が幸せだとは思わない。同じ尻を追いかけるなら、お姉ちゃんの方が遥かに楽しいですよ、と。
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