やる気と習得は明らかに比例する
- 2017/02/08
- 00:00
恒例の意識高い系トピックを扱おうと思う。
書き方系の本やら何か技術的な話を生徒的な立場の人に与える時、伸びる人と伸びない人がはっきりと分かれる。
そこで思ったのだが、何かを学ぶ姿勢には明らかに段階がある。そして、それは明白に結果へと直結している。
というわけで、以下より軽く生徒(学校みたいだけど便宜上こう呼ぶ)の姿勢を段階別に分けてみる。
生徒の姿勢における精神的な段階
⑴私には学ぶ事がある。それを使って実現する目標がある。
⑵役に立つかはともかくとして、実地でやって役に立てば使ってみよう。大事なことはまず学ぶ事だ。
⑶役に立つかは分からない。でも不安だから学ぶ。
⑷さあさ、あなたに私の向上の全てを委ねます。早く私を良くして下さい。
⑸役に立ちそうにもないけれど何もしないのは不安だから仕方なくやる。でも、どうせ役には立ちやしないだろうけど。
⑹役には立たないだろう。だから学ばない。
⑺どうやってこのペテン師の化けの皮を剥がしてやろうか?
仮に同じぐらいの能力を持った人間がせーので同じ勉強をした時、上記の差はあまりにも明白に出るだろう。
それは目標にしているものがそもそも違うからだ。特に⑴と⑺の目標は全く逆のベクトルと言って差し支えない。
さて、どれだけの人が⑴の姿勢を持って人生を送っているのか。せいぜい⑵か⑶がいいところじゃないか。自戒も込めて。
上記の段階からも分かるように、一見やる気があるのにいまいち成長しない人というのは「他者に依存する気が無い」と言いつつ他者から技術を受動しようと努力するので、自己矛盾が生じて苦しくなるのだと思う。
彼は他者に教えをこいながら、その実まったく言う事を聞く気が無いのだから伸びるはずがない。
この辺が難しいところで、言葉使いや礼節がしっかりしている人でもこの過ちと無縁でいられるわけではない。この間違いを犯すと礼儀正しかろうが聖人だろうがまるで伸びなくなる。
逆に一見生意気でも自分の弱点を冷徹に俯瞰出来る人はいいところを吸収して悪いところは真似しないか、自分で理解出来るまでよく観察しようと努力する。
どう考えたって両者の行き先が同じわけないじゃないか。
よくいる○○アンチの人は個人的な向上よりも私怨を優先しているため、知識が染み込もうとしても自分ではねのけている事になる。それでは伸びない。
本当の素直さとは人当たりの良さや口当たりのいい言葉ばかりを言う事ではない。自分が直視したくない弱点へ素直に目を向けられるかという事なのだ。
それは誰に言われるでもなく、自分で気付き、自分で腕を磨かないといけない。だから「良くして下さい」という精神的姿勢はスタート時点で負けている。全面的な受動を前提にした向上は脆い。
大事な事は、自分の能力や目標、及びそれを取り巻く環境に照らし合わせて情報を取捨選択していく事である。
つまり、有益な意見があれば取り入れていけばいいし、おかしいと思えば単に無視したらいい話だけである。
それを誰かにやってもらおうとしている人は致命的に伸びず、影響を与える側を捨てて、受ける側の役割を引き受けた事になる。
要は自分を高めるにはどこまでも自主性が大事という事だ。
ああ、無駄に意識高い話。
書き方系の本やら何か技術的な話を生徒的な立場の人に与える時、伸びる人と伸びない人がはっきりと分かれる。
そこで思ったのだが、何かを学ぶ姿勢には明らかに段階がある。そして、それは明白に結果へと直結している。
というわけで、以下より軽く生徒(学校みたいだけど便宜上こう呼ぶ)の姿勢を段階別に分けてみる。
生徒の姿勢における精神的な段階
⑴私には学ぶ事がある。それを使って実現する目標がある。
⑵役に立つかはともかくとして、実地でやって役に立てば使ってみよう。大事なことはまず学ぶ事だ。
⑶役に立つかは分からない。でも不安だから学ぶ。
⑷さあさ、あなたに私の向上の全てを委ねます。早く私を良くして下さい。
⑸役に立ちそうにもないけれど何もしないのは不安だから仕方なくやる。でも、どうせ役には立ちやしないだろうけど。
⑹役には立たないだろう。だから学ばない。
⑺どうやってこのペテン師の化けの皮を剥がしてやろうか?
仮に同じぐらいの能力を持った人間がせーので同じ勉強をした時、上記の差はあまりにも明白に出るだろう。
それは目標にしているものがそもそも違うからだ。特に⑴と⑺の目標は全く逆のベクトルと言って差し支えない。
さて、どれだけの人が⑴の姿勢を持って人生を送っているのか。せいぜい⑵か⑶がいいところじゃないか。自戒も込めて。
上記の段階からも分かるように、一見やる気があるのにいまいち成長しない人というのは「他者に依存する気が無い」と言いつつ他者から技術を受動しようと努力するので、自己矛盾が生じて苦しくなるのだと思う。
彼は他者に教えをこいながら、その実まったく言う事を聞く気が無いのだから伸びるはずがない。
この辺が難しいところで、言葉使いや礼節がしっかりしている人でもこの過ちと無縁でいられるわけではない。この間違いを犯すと礼儀正しかろうが聖人だろうがまるで伸びなくなる。
逆に一見生意気でも自分の弱点を冷徹に俯瞰出来る人はいいところを吸収して悪いところは真似しないか、自分で理解出来るまでよく観察しようと努力する。
どう考えたって両者の行き先が同じわけないじゃないか。
よくいる○○アンチの人は個人的な向上よりも私怨を優先しているため、知識が染み込もうとしても自分ではねのけている事になる。それでは伸びない。
本当の素直さとは人当たりの良さや口当たりのいい言葉ばかりを言う事ではない。自分が直視したくない弱点へ素直に目を向けられるかという事なのだ。
それは誰に言われるでもなく、自分で気付き、自分で腕を磨かないといけない。だから「良くして下さい」という精神的姿勢はスタート時点で負けている。全面的な受動を前提にした向上は脆い。
大事な事は、自分の能力や目標、及びそれを取り巻く環境に照らし合わせて情報を取捨選択していく事である。
つまり、有益な意見があれば取り入れていけばいいし、おかしいと思えば単に無視したらいい話だけである。
それを誰かにやってもらおうとしている人は致命的に伸びず、影響を与える側を捨てて、受ける側の役割を引き受けた事になる。
要は自分を高めるにはどこまでも自主性が大事という事だ。
ああ、無駄に意識高い話。
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