スマホ短編「信仰」
- 2017/02/04
- 13:25
(注 内容が割と地雷なので注意書きしておきますが、この話はフィクションです。実在の人物や宗教団体にはまったく関係ありません)
「アウラ、カルト、と……」
言われたキーワードを検索にかけると、きな臭い記事がわんさかと出てくる。詐欺だのマルチ商法だの、ネガティヴ情報のオンパレードだ。まあ、ネットなんてそんなもんか。
なんでこんなことをしているのかと訊かれると、昔の仲間が怪しい宗教にハマっているとの情報が入ったからだ。
二日前、昼飯を食っているとスマホにメッセージが届いた。
「ねえ、なんか怪しい情報を仕入れたんですけど……」
差出人は大学時代の友人。
何やら文面が深刻そうだったのもあり、おもむろにSNSを開く。
意味ありげなメッセージの下にはリンクが貼ってあった。先に飛んだメンツがざわついている。
「アウラってなによ?」
「怪しい、な」
「宗教関係じゃないの?」
「宗教か。厄介なものにハマっちまったなあ」
などなどなど。
会話から察するに、田中がどこぞの宗教に入信し、そこそこ偉い地位に就いている模様。
友人達はその出世を喜んでいいものか複雑な気分らしい。いや、率直に言って明らかに歓迎していない。とはいうものの、こういう話は盛り上がる。
「でもさ、信仰は自由だけどさ、その『至高のアウラ』を検索したら詐欺とか騙しっていうキーワードが出てくるのはどうなのよ?」
「詐欺だろ普通に」
「まあ、ぶっちゃけ怪しいよな」
「怪しい。どこまでも怪しい」
ふうん。
感想を言うならその程度だった。
俺自身も大学時代には某宗教を毛嫌いしていたけど、振り返ったらファッションみたいなものだった。ゴキブリを怖がらないといけないみたいに、みんなが嫌っているものを唾棄しないと仲間外れにされる気がしてたってだけ。
実際に自分がしつこい勧誘に遭ったわけではないし、受験やら恋愛成就を願う時だけしゃあしゃあと参拝する薄情者がいけすかないという点ではキリスト教系某宗派に共感出来る。
彼らは神の御加護をまず受けられないのだろうし、願わくば地獄に落ちればいいと思う。
ところで仕事に就いたら分かるけど、結構な割合で宗教をやっている人はいるし、ゆえに営業では宗教のトピックは地雷とされている。
信者にとって神は自分の女を階乗したぐらいの重要性があるからだ。うっかり悪口を言おうものなら、その先に何が待っているか分からない。
と、言ってやろうかと思ったが、なにぶんスマホを打つのが億劫で友人の助けに気が乗らない。
まあ仕方ない。助けられる時にだけ助ける主義なのだ。俺は。
というわけで、心配というラベルの付いた田中の悪口大会を眺めている。
「あーあ、これであいつともお別れなのかな」
「勧誘とかされても困るしね」
「電話が来たら取るか悩むよね」
「無視でいいだろ」
「人生色々。怪しい宗教に入る奴も出てくるって」
「なんか不安なことでもあったのかな?」
「さあ。でも言われてみれば不安定な奴だったかも」
会話は同情の様相を呈してきた。いや、単に面白がっていると表現した方が適切か。
俺にも善人の血がいくらか巡っているのか、見ていて不愉快になったのでSNSの画面を閉じた。田中にはいくらか同情する。彼は人知れず絶縁されたのだから。
気分転換とは言わないが、投資のアプリを開いて株価をチェックする。ここ最近の日課だ。
株価は大して動いていない。デイトレードにハマった時期もあるけど、いっぺん手酷い目に遭って懲りた。最近は信頼出来るアドバイザーに相談料を払って投資を進めている。
しかし何なのだろう。田中もビジネスで成功していたら宗教なんかに手を出さなかったのだろうか。皮肉なことに、それは神のみぞ知るってやつだ。
社会に出てから長い時間が経った。のんびりと生きている間に仲間は次々と結婚し、気付いたら独り身は俺と田中だけになっていた。
上司には「結婚しろ」と言われるけれど、そろそろ結婚するとか、年齢やら時間が俺の人生にどう関わっているのかまるで分からない。
だから理由を訊いてみるけど、そういうことをすると異文化圏の人をいたわるような目を向けられる。だから「はい」とだけ答えて常人のフリをすることにしている。
田中は普通のフリに嫌気がさしたのだろうか。俺には知るよしもない。
それはそれとして、今日も細木からの指示をチェックする。さっき言った財テクのアドバイザーだ。神様と言うほどではないが、それなりに頼りになる。
今日は某IT企業の株がアツいそうだ。理由がずらずらと書かれているが、俺の知能ではどうにも理解出来そうにない。西欧の経済が絡んでいるところまでは理解可能だが。
この前なんかはどこぞの株がTOBだからどうしろなんていうアドバイスをもらったけど、TOBっどこの会社名だろう?
まあいい。中途半端な素人がプロのフリをするものじゃない。そういう奴は遅かれ早かれ痛い目に遭う運命にあるのだ。
というわけで田中のことはすっかり忘れて寝た。明日は会議で朝も早い。優しさはもっと時間がある時のために取っておこう。
「なんだこの数字は?」
シットモーニング。
お決まりのフレーズが出た。夏にしか出てこないバンドでももう少しフレーズを変えてくるだろうに。密かな毒舌は受け手もなく、すかしっ屁みたいにオフィスを漂う。
目の前には上司の吉田。絶滅危惧種のモーレツ系社員で、勢いとパワハラと土下座を駆使し、貝塚のようにうず高く積まれた部下の屍を養分にして営業所長にまで昇りつめた暴君。
「分かりませんか。私の無能ぶりがよく表現された営業の数値ですよ」と言ってやりたいところだけど、それを言うとキレるので黙っている。
「だんまりか。せめて口のきける部下か欲しかったなあ、ああ?」
揺さぶりをかけてくる。何が楽しいのかは知らない。
「お前さあ、誰のお陰で食えてると思ってんの? 寄生虫のお給料はこの営業所が出してるって知ってる?」
「ええ、まあ、はい」
適当にお茶を濁して時間を稼ぐ。こんな時は確かに神様を頼りたくなる。
だいたいだが、営業会議ほど無駄な仕事は無いと思う。毎月誰が処刑されるか以外に何が問題なのか。そんなヒマがあるなら、少しでも営業の数字を伸ばす努力をすればいいのに、と揺るがない最下位の俺は思う。
今日も繰り返される罵倒。そのリフレインをただ聴いている。まるでデスメタルを聴きながら眠りこけるキッズみたいに。
しばらく幽体離脱していると、公開処刑が終わったらしいので身体に戻る。同僚から同情的に肩を叩かれるも、怒鳴られている間は身体から出ているから大して傷付きやしない。
「分かったらさっさと売上を上げて来い」と文字通り蹴り出される。肝心の無能が何一つ理解していないのはきっと黙っていた方がいいのだろう。どちらにしても蹴り出されるのは間違いないのだから。
営業車を運転しながら細木のメルマガをチェックする。どうせ今の職場も長くは持つまい。だが投資は転職後にも通じる。
株は仕事を変えようが関係ない。賢くやれば財布を潤してくれる。でも仕事のスキルは案外汎用性が無いんじゃないか。今の仕事が他で通じるとは思わない。罵倒されて蹴られるだけの仕事がSM以外のどこにあるのか。
憂鬱になりながらアクセルを踏む。このままどこかに逃げてやろうか。そんな衝動に気付かない努力をしながら。
今日はサンカ・ヤマビコ電気にでも行くか。いや、今日もサンカ・ヤマビコ電気に行くか。
単にあそこの担当が優しい人という理由でそこばかり行くようになった。
俺の仕事は電気製品の営業だ。とはいえ、問屋業なので電気屋にいるようなエンドユーザーと直接触れ合うわけではない。あんなモンスターと渡り合えるスタッフには尊敬の情を禁じ得ない。
さて、今日は何をしに行くのだろう?
自分でも分からない。新しい商品があるわけでもなし。また雑談でもしに行くか。
あっちもなんだかんだブラックな労働環境みたいで、俺との商談を口実に休めるから相手をしてくれるみたいだ。俺の数少ない社会貢献。
サンカ・ヤマビコ電気に着くと、車をビルの裏側に停めて灰皿が転がった階段を上がっていく。ハリボテの裏側を見ているみたいな気分になるけど、この世に表も裏も美しいものなんてどれだけあるのか。
開きっぱなしの扉から「こんにちは」とバカみたいにでかい声で挨拶し、ズカズカと中に入る俺を大体の社員は無視。妥当な対応だと思う。
「あのう、森さんはいらっしゃるでしょうか?」
我ながら消え入りそうな声で二番目に優しい女性社員に訊く。二番目に優しいとは言っても、無気力というだけの話だが。
「ああ、森さん……」
あんた大丈夫か。目の焦点が合ってないけど。この人もブラックな労働環境でゾンビにされてしまったのか。まるで他人事とは思えないだけに、軽口を叩く余裕も無い。
だが、そんな懸念は次の一言で消し飛ばされる。
「森さん、は、会社を辞めました」
……なん、だと?
不意打ちで放たれた一言は、俺を立ったままノックアウトするのに十分過ぎる威力を持っていた。
「そりゃあ、なんで……?」
なんとか言葉を繋ぐも、ただ虫の息でなんとかコミュニケーションを持続させているだけた。
なんでだよ、森さん。なんで一言も言わずに去って行っちまうんだよ?
小汚い階段でタバコとか吸いながら同僚の悪口で盛り上がったじゃないか。売上が足りない時とか無理なゴリ押しを聞いてもらったりしたじゃないか。
「ちょっと言いにくいのですが……」
ミス無愛想がモゴモゴと口を開く。よほど俺の動揺が露骨だったらしい。
「なんでも宗教上の理由みたいです」
「は?」
「私も知らなかったんですけど、奥さんが偉い人になったみたいで、宗家継承に伴って運営に加わるそうです」
マジかよ。
仕方ないとは思うけど、ここでも宗教が顔を出した。田中の時とは違い、今度は明白な害悪となって。
新しい担当者を紹介されたが、どんな顔だったかも思い出せない。おそらく大して好きになれるタイプでもなかったのだろう。
スマホには細木のメルマガが届いていた。心を落ち着かせるために読む。
森さんはいなくなったが、俺のスキルはどこにも逃げない。それは俺の中に残り、いつまでも存在し続ける。結局信じられるのは自分だけだ。
イライラしながら運転を続けた。森さんが一言の挨拶もなくいなくなったのもそうだし、これから売上はどうする?
またあの暴虐上司の吉田に怒鳴られるのか。そう思うと気が重くなった。今日は運気が悪いのだろう。
いくらか日が経った。
俺の売上は期待を裏切らない下落ぶりを見せている。上司の叱責も日課のようになり、俺は毎日を修行僧のように生きている。
いつかこんな会社辞めてやる。それだけを胸に日々の修行を生き抜いている。時々何のために生きているのか分からなくなるけど、いつ辞めても別の職場にすぐ移れるよう勉強だけは継続している。
今日も細木のメルマガをチェックして少しずつ賢くなっていく俺。その傍らで、まだ田中の悪口で盛り上がる旧友達。他にやることが無いのか。
俺の知ったこっちゃないけど、彼らが人生を無駄に浪費していることだけは確かに分かる。そうやって自分を高められたはずの時間でさえゴシップで無駄に使ってしまう。彼らは負け犬一直線だ。
「今週の土曜日に田中がセミナーやるらしいぞ」
「きたー。黄金コースだね〜」
「宗教とセミナーはセットだからな」
「そこで新たな犠牲者が」
「俺、ちょっと行ってみようかな」
「やめときなよーいろいろと」
「いや、あいつが何やってるのか純粋に興味があるし、また会ってみたいな、なんて」
「そうか。俺はいいわ」
「ホームページ見たけどさ、別に変な教理を広めてないよね」
「いや、ああいうのは全部そういう風にやるんだって」
「裏側ではどんな陰謀が動いているのか分からないね」
「そうかな?」
「そうそう。悪いこと言わないからやめとけって」
どうやら仲間割れが始まったらしい。一人が田中を理解しようとして、もう一人がその機会を潰した。気の毒だけど、自分じゃなくて良かったなと思う。
そんなことを思っていたら、変な形でテレパシーが伝わってしまったのか、ふいに「お前だんまりだけどどうなのよ」と名指しで訊かれる。既読マークの人数で覗き見が把握されているらしい。
面倒だけど、答えないといけない雰囲気だった。
「俺は知らん。宗教なんて何を信じようが人の勝手だし、こちらの邪魔さえしなければ俺がとやかく言うことじゃない」
本音だった。こいつらは俺にどんな回答を期待しているのだろう?
自分の仲間を一人でも増やしたいとか、そういう心境なのだろうか?
ただ言えることは、当の本人が何も言えないところで憶測が肥大していくのを見て非常に嫌な気分になった。それだけの話だ。
こいつら俺のいないところでも似たような会話でもしているんじゃないか。
「まあ、お前は唯物論者っぽいもんな」
「俺は金にならないものは興味無くてね」
「いや、なるさ。だって……おっと、誰か来た(笑)」
ドヤ顔がうすら見えるギャグをスルー。そのままスマホを閉じた。スリープ状態の画面に「意識高〜い」というメッセージがチラつく。
既読の人数から無視を決め込んだこともお見通しとアピールしたいらしい。そろそろブロックしてやろうか。
だが、そんな会話でも現実に戻ると無いよりはマシだったことに気付く。
「なんか見たことがある車があると思ってけどよ、こんなところで油を売っていたのか。ああ?」
車窓には上司の顔があった。驚きを通り越して逆に冷静になりつつも、この世界にパワハラ保険があったらいいのにと思った。
「いい身分だな、おい」
「いや、その、これは……」
「これは何なんだ? 言ってみろや」
逃げ切る余裕なんか無かった。俺はまさかのストリート公開処刑。レアな体験かもしれないけど、少しもありがたくない。
その後に何を言われたのかは覚えていない。周囲の顔が無関心と憐憫と好事家の順で目まぐるしく変わっていたのは感じられた。鼓膜に鳴り響く濁声を聞き流しながら、この世界はなんて静かなんだろうと思う。
上司の吉田は好きなだけ罵倒を済ませると、「契約が決まるまで今日は帰って来なくていい」と吐き捨てて乱暴な運転で去って行った。いっそクビにしてくれればいいのに。っていうか事故れ。
そんな祈りもむなしく、吉田の車は無駄に機敏なハンドルテクニックで去って行く。
一人ぽつんと残されて、さて何をしようかと思う。契約を取るまで帰らなくていいか。もう帰って来るなという解釈でいいのかな?
ひとまず営業用の携帯電話を取り出して、森さんの番号にかけてみる。女性の声が、この番号は使われていませんと無慈悲に回答する。そういえばこの人とはもう会えないんだった。
電話を切ると、ふいにくだらなく虚しい気持ちになってきた。なぜ吉田の命令に一秒でも従おうとしてしまったのか、自分でも分からない。
自分の犯した愚考に気付いた俺は、営業車の座席を倒して細木のメルマガを読み始めた。
営業車の天井を見ながらふと思う。
人は裏切るかもしれない。今安泰だと言われている仕事だっていつまで安全神話が続くかなんて分からない。公務員でさえリストラが始まった。
いざとなったら頼りになるのは自分の力だけ。そう、この世知辛い世の中を生きていく能力だけなのだ。
たとえこの世界が壊れようとも、この俺は生き延びてやる。世界に通じる知彗を駆使して、より高いレベルの次元で生きてやる。
俺は神には頼らない。仲間と群れたり、他者の賞賛にも惑わされたりもしない。
俺に必要なのは、ただ能力だけ。
能力だけなのだ。
細木のメールは先物価格の変動を詳述していた。確かなパートナーを持つ俺は、きっと生きていけるのだと思った。
「アウラ、カルト、と……」
言われたキーワードを検索にかけると、きな臭い記事がわんさかと出てくる。詐欺だのマルチ商法だの、ネガティヴ情報のオンパレードだ。まあ、ネットなんてそんなもんか。
なんでこんなことをしているのかと訊かれると、昔の仲間が怪しい宗教にハマっているとの情報が入ったからだ。
二日前、昼飯を食っているとスマホにメッセージが届いた。
「ねえ、なんか怪しい情報を仕入れたんですけど……」
差出人は大学時代の友人。
何やら文面が深刻そうだったのもあり、おもむろにSNSを開く。
意味ありげなメッセージの下にはリンクが貼ってあった。先に飛んだメンツがざわついている。
「アウラってなによ?」
「怪しい、な」
「宗教関係じゃないの?」
「宗教か。厄介なものにハマっちまったなあ」
などなどなど。
会話から察するに、田中がどこぞの宗教に入信し、そこそこ偉い地位に就いている模様。
友人達はその出世を喜んでいいものか複雑な気分らしい。いや、率直に言って明らかに歓迎していない。とはいうものの、こういう話は盛り上がる。
「でもさ、信仰は自由だけどさ、その『至高のアウラ』を検索したら詐欺とか騙しっていうキーワードが出てくるのはどうなのよ?」
「詐欺だろ普通に」
「まあ、ぶっちゃけ怪しいよな」
「怪しい。どこまでも怪しい」
ふうん。
感想を言うならその程度だった。
俺自身も大学時代には某宗教を毛嫌いしていたけど、振り返ったらファッションみたいなものだった。ゴキブリを怖がらないといけないみたいに、みんなが嫌っているものを唾棄しないと仲間外れにされる気がしてたってだけ。
実際に自分がしつこい勧誘に遭ったわけではないし、受験やら恋愛成就を願う時だけしゃあしゃあと参拝する薄情者がいけすかないという点ではキリスト教系某宗派に共感出来る。
彼らは神の御加護をまず受けられないのだろうし、願わくば地獄に落ちればいいと思う。
ところで仕事に就いたら分かるけど、結構な割合で宗教をやっている人はいるし、ゆえに営業では宗教のトピックは地雷とされている。
信者にとって神は自分の女を階乗したぐらいの重要性があるからだ。うっかり悪口を言おうものなら、その先に何が待っているか分からない。
と、言ってやろうかと思ったが、なにぶんスマホを打つのが億劫で友人の助けに気が乗らない。
まあ仕方ない。助けられる時にだけ助ける主義なのだ。俺は。
というわけで、心配というラベルの付いた田中の悪口大会を眺めている。
「あーあ、これであいつともお別れなのかな」
「勧誘とかされても困るしね」
「電話が来たら取るか悩むよね」
「無視でいいだろ」
「人生色々。怪しい宗教に入る奴も出てくるって」
「なんか不安なことでもあったのかな?」
「さあ。でも言われてみれば不安定な奴だったかも」
会話は同情の様相を呈してきた。いや、単に面白がっていると表現した方が適切か。
俺にも善人の血がいくらか巡っているのか、見ていて不愉快になったのでSNSの画面を閉じた。田中にはいくらか同情する。彼は人知れず絶縁されたのだから。
気分転換とは言わないが、投資のアプリを開いて株価をチェックする。ここ最近の日課だ。
株価は大して動いていない。デイトレードにハマった時期もあるけど、いっぺん手酷い目に遭って懲りた。最近は信頼出来るアドバイザーに相談料を払って投資を進めている。
しかし何なのだろう。田中もビジネスで成功していたら宗教なんかに手を出さなかったのだろうか。皮肉なことに、それは神のみぞ知るってやつだ。
社会に出てから長い時間が経った。のんびりと生きている間に仲間は次々と結婚し、気付いたら独り身は俺と田中だけになっていた。
上司には「結婚しろ」と言われるけれど、そろそろ結婚するとか、年齢やら時間が俺の人生にどう関わっているのかまるで分からない。
だから理由を訊いてみるけど、そういうことをすると異文化圏の人をいたわるような目を向けられる。だから「はい」とだけ答えて常人のフリをすることにしている。
田中は普通のフリに嫌気がさしたのだろうか。俺には知るよしもない。
それはそれとして、今日も細木からの指示をチェックする。さっき言った財テクのアドバイザーだ。神様と言うほどではないが、それなりに頼りになる。
今日は某IT企業の株がアツいそうだ。理由がずらずらと書かれているが、俺の知能ではどうにも理解出来そうにない。西欧の経済が絡んでいるところまでは理解可能だが。
この前なんかはどこぞの株がTOBだからどうしろなんていうアドバイスをもらったけど、TOBっどこの会社名だろう?
まあいい。中途半端な素人がプロのフリをするものじゃない。そういう奴は遅かれ早かれ痛い目に遭う運命にあるのだ。
というわけで田中のことはすっかり忘れて寝た。明日は会議で朝も早い。優しさはもっと時間がある時のために取っておこう。
「なんだこの数字は?」
シットモーニング。
お決まりのフレーズが出た。夏にしか出てこないバンドでももう少しフレーズを変えてくるだろうに。密かな毒舌は受け手もなく、すかしっ屁みたいにオフィスを漂う。
目の前には上司の吉田。絶滅危惧種のモーレツ系社員で、勢いとパワハラと土下座を駆使し、貝塚のようにうず高く積まれた部下の屍を養分にして営業所長にまで昇りつめた暴君。
「分かりませんか。私の無能ぶりがよく表現された営業の数値ですよ」と言ってやりたいところだけど、それを言うとキレるので黙っている。
「だんまりか。せめて口のきける部下か欲しかったなあ、ああ?」
揺さぶりをかけてくる。何が楽しいのかは知らない。
「お前さあ、誰のお陰で食えてると思ってんの? 寄生虫のお給料はこの営業所が出してるって知ってる?」
「ええ、まあ、はい」
適当にお茶を濁して時間を稼ぐ。こんな時は確かに神様を頼りたくなる。
だいたいだが、営業会議ほど無駄な仕事は無いと思う。毎月誰が処刑されるか以外に何が問題なのか。そんなヒマがあるなら、少しでも営業の数字を伸ばす努力をすればいいのに、と揺るがない最下位の俺は思う。
今日も繰り返される罵倒。そのリフレインをただ聴いている。まるでデスメタルを聴きながら眠りこけるキッズみたいに。
しばらく幽体離脱していると、公開処刑が終わったらしいので身体に戻る。同僚から同情的に肩を叩かれるも、怒鳴られている間は身体から出ているから大して傷付きやしない。
「分かったらさっさと売上を上げて来い」と文字通り蹴り出される。肝心の無能が何一つ理解していないのはきっと黙っていた方がいいのだろう。どちらにしても蹴り出されるのは間違いないのだから。
営業車を運転しながら細木のメルマガをチェックする。どうせ今の職場も長くは持つまい。だが投資は転職後にも通じる。
株は仕事を変えようが関係ない。賢くやれば財布を潤してくれる。でも仕事のスキルは案外汎用性が無いんじゃないか。今の仕事が他で通じるとは思わない。罵倒されて蹴られるだけの仕事がSM以外のどこにあるのか。
憂鬱になりながらアクセルを踏む。このままどこかに逃げてやろうか。そんな衝動に気付かない努力をしながら。
今日はサンカ・ヤマビコ電気にでも行くか。いや、今日もサンカ・ヤマビコ電気に行くか。
単にあそこの担当が優しい人という理由でそこばかり行くようになった。
俺の仕事は電気製品の営業だ。とはいえ、問屋業なので電気屋にいるようなエンドユーザーと直接触れ合うわけではない。あんなモンスターと渡り合えるスタッフには尊敬の情を禁じ得ない。
さて、今日は何をしに行くのだろう?
自分でも分からない。新しい商品があるわけでもなし。また雑談でもしに行くか。
あっちもなんだかんだブラックな労働環境みたいで、俺との商談を口実に休めるから相手をしてくれるみたいだ。俺の数少ない社会貢献。
サンカ・ヤマビコ電気に着くと、車をビルの裏側に停めて灰皿が転がった階段を上がっていく。ハリボテの裏側を見ているみたいな気分になるけど、この世に表も裏も美しいものなんてどれだけあるのか。
開きっぱなしの扉から「こんにちは」とバカみたいにでかい声で挨拶し、ズカズカと中に入る俺を大体の社員は無視。妥当な対応だと思う。
「あのう、森さんはいらっしゃるでしょうか?」
我ながら消え入りそうな声で二番目に優しい女性社員に訊く。二番目に優しいとは言っても、無気力というだけの話だが。
「ああ、森さん……」
あんた大丈夫か。目の焦点が合ってないけど。この人もブラックな労働環境でゾンビにされてしまったのか。まるで他人事とは思えないだけに、軽口を叩く余裕も無い。
だが、そんな懸念は次の一言で消し飛ばされる。
「森さん、は、会社を辞めました」
……なん、だと?
不意打ちで放たれた一言は、俺を立ったままノックアウトするのに十分過ぎる威力を持っていた。
「そりゃあ、なんで……?」
なんとか言葉を繋ぐも、ただ虫の息でなんとかコミュニケーションを持続させているだけた。
なんでだよ、森さん。なんで一言も言わずに去って行っちまうんだよ?
小汚い階段でタバコとか吸いながら同僚の悪口で盛り上がったじゃないか。売上が足りない時とか無理なゴリ押しを聞いてもらったりしたじゃないか。
「ちょっと言いにくいのですが……」
ミス無愛想がモゴモゴと口を開く。よほど俺の動揺が露骨だったらしい。
「なんでも宗教上の理由みたいです」
「は?」
「私も知らなかったんですけど、奥さんが偉い人になったみたいで、宗家継承に伴って運営に加わるそうです」
マジかよ。
仕方ないとは思うけど、ここでも宗教が顔を出した。田中の時とは違い、今度は明白な害悪となって。
新しい担当者を紹介されたが、どんな顔だったかも思い出せない。おそらく大して好きになれるタイプでもなかったのだろう。
スマホには細木のメルマガが届いていた。心を落ち着かせるために読む。
森さんはいなくなったが、俺のスキルはどこにも逃げない。それは俺の中に残り、いつまでも存在し続ける。結局信じられるのは自分だけだ。
イライラしながら運転を続けた。森さんが一言の挨拶もなくいなくなったのもそうだし、これから売上はどうする?
またあの暴虐上司の吉田に怒鳴られるのか。そう思うと気が重くなった。今日は運気が悪いのだろう。
いくらか日が経った。
俺の売上は期待を裏切らない下落ぶりを見せている。上司の叱責も日課のようになり、俺は毎日を修行僧のように生きている。
いつかこんな会社辞めてやる。それだけを胸に日々の修行を生き抜いている。時々何のために生きているのか分からなくなるけど、いつ辞めても別の職場にすぐ移れるよう勉強だけは継続している。
今日も細木のメルマガをチェックして少しずつ賢くなっていく俺。その傍らで、まだ田中の悪口で盛り上がる旧友達。他にやることが無いのか。
俺の知ったこっちゃないけど、彼らが人生を無駄に浪費していることだけは確かに分かる。そうやって自分を高められたはずの時間でさえゴシップで無駄に使ってしまう。彼らは負け犬一直線だ。
「今週の土曜日に田中がセミナーやるらしいぞ」
「きたー。黄金コースだね〜」
「宗教とセミナーはセットだからな」
「そこで新たな犠牲者が」
「俺、ちょっと行ってみようかな」
「やめときなよーいろいろと」
「いや、あいつが何やってるのか純粋に興味があるし、また会ってみたいな、なんて」
「そうか。俺はいいわ」
「ホームページ見たけどさ、別に変な教理を広めてないよね」
「いや、ああいうのは全部そういう風にやるんだって」
「裏側ではどんな陰謀が動いているのか分からないね」
「そうかな?」
「そうそう。悪いこと言わないからやめとけって」
どうやら仲間割れが始まったらしい。一人が田中を理解しようとして、もう一人がその機会を潰した。気の毒だけど、自分じゃなくて良かったなと思う。
そんなことを思っていたら、変な形でテレパシーが伝わってしまったのか、ふいに「お前だんまりだけどどうなのよ」と名指しで訊かれる。既読マークの人数で覗き見が把握されているらしい。
面倒だけど、答えないといけない雰囲気だった。
「俺は知らん。宗教なんて何を信じようが人の勝手だし、こちらの邪魔さえしなければ俺がとやかく言うことじゃない」
本音だった。こいつらは俺にどんな回答を期待しているのだろう?
自分の仲間を一人でも増やしたいとか、そういう心境なのだろうか?
ただ言えることは、当の本人が何も言えないところで憶測が肥大していくのを見て非常に嫌な気分になった。それだけの話だ。
こいつら俺のいないところでも似たような会話でもしているんじゃないか。
「まあ、お前は唯物論者っぽいもんな」
「俺は金にならないものは興味無くてね」
「いや、なるさ。だって……おっと、誰か来た(笑)」
ドヤ顔がうすら見えるギャグをスルー。そのままスマホを閉じた。スリープ状態の画面に「意識高〜い」というメッセージがチラつく。
既読の人数から無視を決め込んだこともお見通しとアピールしたいらしい。そろそろブロックしてやろうか。
だが、そんな会話でも現実に戻ると無いよりはマシだったことに気付く。
「なんか見たことがある車があると思ってけどよ、こんなところで油を売っていたのか。ああ?」
車窓には上司の顔があった。驚きを通り越して逆に冷静になりつつも、この世界にパワハラ保険があったらいいのにと思った。
「いい身分だな、おい」
「いや、その、これは……」
「これは何なんだ? 言ってみろや」
逃げ切る余裕なんか無かった。俺はまさかのストリート公開処刑。レアな体験かもしれないけど、少しもありがたくない。
その後に何を言われたのかは覚えていない。周囲の顔が無関心と憐憫と好事家の順で目まぐるしく変わっていたのは感じられた。鼓膜に鳴り響く濁声を聞き流しながら、この世界はなんて静かなんだろうと思う。
上司の吉田は好きなだけ罵倒を済ませると、「契約が決まるまで今日は帰って来なくていい」と吐き捨てて乱暴な運転で去って行った。いっそクビにしてくれればいいのに。っていうか事故れ。
そんな祈りもむなしく、吉田の車は無駄に機敏なハンドルテクニックで去って行く。
一人ぽつんと残されて、さて何をしようかと思う。契約を取るまで帰らなくていいか。もう帰って来るなという解釈でいいのかな?
ひとまず営業用の携帯電話を取り出して、森さんの番号にかけてみる。女性の声が、この番号は使われていませんと無慈悲に回答する。そういえばこの人とはもう会えないんだった。
電話を切ると、ふいにくだらなく虚しい気持ちになってきた。なぜ吉田の命令に一秒でも従おうとしてしまったのか、自分でも分からない。
自分の犯した愚考に気付いた俺は、営業車の座席を倒して細木のメルマガを読み始めた。
営業車の天井を見ながらふと思う。
人は裏切るかもしれない。今安泰だと言われている仕事だっていつまで安全神話が続くかなんて分からない。公務員でさえリストラが始まった。
いざとなったら頼りになるのは自分の力だけ。そう、この世知辛い世の中を生きていく能力だけなのだ。
たとえこの世界が壊れようとも、この俺は生き延びてやる。世界に通じる知彗を駆使して、より高いレベルの次元で生きてやる。
俺は神には頼らない。仲間と群れたり、他者の賞賛にも惑わされたりもしない。
俺に必要なのは、ただ能力だけ。
能力だけなのだ。
細木のメールは先物価格の変動を詳述していた。確かなパートナーを持つ俺は、きっと生きていけるのだと思った。
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