バカに見つかる前に
- 2017/01/21
- 14:25
また隙間からこんにちはをするために空き時間にコツコツと駄文をこさえている。
案外スマホでも執筆は出来るのかもしれない。その内ブログで連載でも始めようか。スマホで書いた第一稿がそのまま世に出るからかなりみっともない出来になると思うけど。
それはさておき、今回もまた意識高い系のトピックを考えてある。どうせあちこち脱線するだろうから覚悟の上で読んで欲しい。その分生々しい話をするから。
昔よく自作解題ネタをやった。これは宣伝も兼ねて、作品のディープな部分に触れて欲しいという意図から始めた。
別に狙ってやったわけではないけれど、一部の読者は楽しみにしてくれていたみたいだ。
だから腕に自信のあるインディーズ作家はどんどんやったらいいんじゃないかと思っている。
というのも、個人作家の利点とは、本来なら出版社からデビューしないとやれないような事を文学賞の受賞をすっ飛ばして実施出来るからだ。
まあ、間違いなく「生意気」だの「顔じゃない」だの言われるだろうけど、そこは無視だ。腐ってもプロならプロらしく振舞って何が悪い?
ところでさっき「腕に自信のある作家は」と前置きしたけど、それは自作解題というアプローチが駄作の言い訳になってしまうのはマズい部分があるからだ。
そのような場合、作品を掘り下げるどころか墓穴を掘る事になるからだ。
表舞台にいた時、よく当てこすりで自意識がどうちゃらとか書かれたような気がしないでもないけれど、自信がないと出来ない事をやっていたという意味ではたしかに俺は自意識の塊だったに違いない。努力もしないで陰口を叩いた無能よりは明らかに実績もあったしな。
俺に政治はあまり関係なかった。だから誰と誰が対立していようが、好きな作家の書評を書いた。それで嫌なら切ってくれと頼んだ。お陰で調子を崩していた人がいたような気がしないでもない。
恒例の如く話が脱線したから無理くり本題に戻る。
自作解題を簡単に説明すると、作品には直接書かれていない事や、基になった実話を裏話的なアプローチで紹介し、より作品に親しんでもらおうという作家の傲慢を世間に発信していく行為だ。
これを上手くやれば、攻略本を読んでいたら友達のやっているゲームがやりたくなったという現象に似た効果を生む。
物語のテンポを損なわないように泣く泣くカットしたストーリーなんかはこの辺で披露すると面白くなる。
逆に言えばだが、書いたまんまの話しか出来ない人はやめておいた方がいい企画だ。変な夢を持たせて火傷される前に言っておくけど、明白にセンスが必要になる遊びでもある。
さて、無意味に自身のハードルを上げたところで、この自作解題に関する知られざるメリットを語っていこうか。
最近気が付いたのだが、作品を独自に掘り下げる行為を作者自身がする事により、クソレビュアーの誤読レイプを防ぐ事が出来るのが分かった。
すまない。また勝手に新しい単語を作った。
誤読レイプとは、意図しようがしまいが、作品を解釈するにあたって酷い読み違いをする事としておこう。
「またかよ」と言われそうな気がしないでもないけれど、個人作家界隈には明らかに嫌がらせがある。無いと言っている人はまだ痛い目に遭った事が無いだけか、自身が加害者か、単に目と頭が悪いかのどれかだろう。
嫌がらせの内容を具体的に言うと、匿名の別アカウントで投入する無責任な低評価や、わざと作品の内容を誤解されるような解釈を書いたりするのが典型か。
他にはツイッターで事実上の匿名アカウントを作成して、分かる人にしか分からない悪口を書きまくるというのもある。
そういう陰湿な輩が最初に自作の低評価を投入すると、作家にとって可愛い我が子でも有り得る(あくまで「有り得る」という書き方にした。というのも、出版物の全部が全部そうではないからだ)小説は犯された生娘のようにしばらくは誰にも振り向いてもらえない存在になる。
駄作が作者のお友達から星5個を貰っている傍で、その作品は誰かに拾われるまで埃をかぶって眠り続ける事になる。いつか元来の輝きを認められる事を夢見て。
そういう意味ではレビューの影響が大きいのは間違いないのだろう。レビューの説得力や内容にもよるのだけど。
読者の視点で考えると、いざ金を出してインディーズ作家の小説を買うかどうか迷った時、表紙やレビュー以外にもその作品がどんなものなのかを想像出来る何かがある事は非常に重要だと思う。
喩えは悪いかもしれないけれど、視聴するか迷うAVをダウンロードする時、サンプル動画を観る人は多いはずだ。パケ写詐欺でないかを探るためだ。
まあ、その内の何人かはサンプル動画で全てを済ませてしまうのだけど。
軽口はさておき、個人出版界隈にはあんまり宣伝を好む人はいない。
ある意味女子中学生的な陰湿さが散見され、目立つ事に対する圧力めいたものを感じる事がある。
たしかに宣伝ばっかり呟いているSNSのアカウントはウザいと感じる事がある。
でも、だから何だと言うのだろう?
アカウント創設の目的なんか宣伝に決まっているじゃないか。
ただでさえ無名の作家が宣伝しないでどうやって自意識の塊を売りつけるつもりなのか。
自分の書いたものがゴミかもしれないから宣伝をするのは好ましくないって? ご冗談を。
それならそもそもゴミなんぞ書くなという話だ。地球のために。
自著が地雷だと仄めかすのなら、なぜマーケットを地雷原にしたがるのだ?
最初から地雷なんか無い方がいいに決まっているじゃないか。
おそらくだが、こういうルサンチマンめいた事を言う人は前に出て叩かれるのが怖いから前に出ない事を正当化しているだけなんだろう。これは割と当たっていると思う。
だからというわけではないけれど、自作解題を通じて作品を世に出していく事は少しも悪くない。
ほとんどの個人作家はマーケティング以前の問題にいて、まず自分の存在を知らせないといけない事に気付いていない。
だから匿名掲示板の悪口を間に受けて、少数派の意見を追いかける。その先にあるのは主体性の喪失と持ち味の希薄化だ。誰も得なんかしやしない。
別に自意識をこじらせたっていいじゃないか。自意識をこじらせている方が観客から見て面白いのに。せっかく生まれた抗争をギミックに使わないでどうする?
あなたは芸人同士のケンカがにこやかに握手で終わったらいいと本気で思うだろうか?
乱闘が起こりそうになって、観客は明らかにそれを期待しているのになぜそれを収束させてしまうのか。
せっかく作った火種がやり過ごされるのを見ると、みんな仲良しのプロレスを見せられているみたいで残念な気持ちになる。
おそらく自分の功名心にしか注意が向けられていないのだろう。読者の視点を持てというお題目が彼らにとっていかにファッションだったかよく分かる。
また火種になりそうな言葉を振り撒きつつ話を強引に戻すけど、やはり作家は読者か面白いと思う何らかの手法で自らの存在を発信していかないといけない。
それが自作解題になるのか、著名人に紹介してもらう事なのかは知らない。分かる事は何かを主体的に始めた人しか継続して花を咲かせる事は出来ないという話だ。
政治に走った人は知らぬ間にいなくなっていた。はっきり言って予想出来た。やはり他力本願は成功しない。
また似たような話になったけど、どこかのカタログに載るよりも、素人臭いチラシをポストに投函した方が案外人の目を引く事もある。
大事な事はコミュニケーションのラインを途切れさせない事だ。
案外スマホでも執筆は出来るのかもしれない。その内ブログで連載でも始めようか。スマホで書いた第一稿がそのまま世に出るからかなりみっともない出来になると思うけど。
それはさておき、今回もまた意識高い系のトピックを考えてある。どうせあちこち脱線するだろうから覚悟の上で読んで欲しい。その分生々しい話をするから。
昔よく自作解題ネタをやった。これは宣伝も兼ねて、作品のディープな部分に触れて欲しいという意図から始めた。
別に狙ってやったわけではないけれど、一部の読者は楽しみにしてくれていたみたいだ。
だから腕に自信のあるインディーズ作家はどんどんやったらいいんじゃないかと思っている。
というのも、個人作家の利点とは、本来なら出版社からデビューしないとやれないような事を文学賞の受賞をすっ飛ばして実施出来るからだ。
まあ、間違いなく「生意気」だの「顔じゃない」だの言われるだろうけど、そこは無視だ。腐ってもプロならプロらしく振舞って何が悪い?
ところでさっき「腕に自信のある作家は」と前置きしたけど、それは自作解題というアプローチが駄作の言い訳になってしまうのはマズい部分があるからだ。
そのような場合、作品を掘り下げるどころか墓穴を掘る事になるからだ。
表舞台にいた時、よく当てこすりで自意識がどうちゃらとか書かれたような気がしないでもないけれど、自信がないと出来ない事をやっていたという意味ではたしかに俺は自意識の塊だったに違いない。努力もしないで陰口を叩いた無能よりは明らかに実績もあったしな。
俺に政治はあまり関係なかった。だから誰と誰が対立していようが、好きな作家の書評を書いた。それで嫌なら切ってくれと頼んだ。お陰で調子を崩していた人がいたような気がしないでもない。
恒例の如く話が脱線したから無理くり本題に戻る。
自作解題を簡単に説明すると、作品には直接書かれていない事や、基になった実話を裏話的なアプローチで紹介し、より作品に親しんでもらおうという作家の傲慢を世間に発信していく行為だ。
これを上手くやれば、攻略本を読んでいたら友達のやっているゲームがやりたくなったという現象に似た効果を生む。
物語のテンポを損なわないように泣く泣くカットしたストーリーなんかはこの辺で披露すると面白くなる。
逆に言えばだが、書いたまんまの話しか出来ない人はやめておいた方がいい企画だ。変な夢を持たせて火傷される前に言っておくけど、明白にセンスが必要になる遊びでもある。
さて、無意味に自身のハードルを上げたところで、この自作解題に関する知られざるメリットを語っていこうか。
最近気が付いたのだが、作品を独自に掘り下げる行為を作者自身がする事により、クソレビュアーの誤読レイプを防ぐ事が出来るのが分かった。
すまない。また勝手に新しい単語を作った。
誤読レイプとは、意図しようがしまいが、作品を解釈するにあたって酷い読み違いをする事としておこう。
「またかよ」と言われそうな気がしないでもないけれど、個人作家界隈には明らかに嫌がらせがある。無いと言っている人はまだ痛い目に遭った事が無いだけか、自身が加害者か、単に目と頭が悪いかのどれかだろう。
嫌がらせの内容を具体的に言うと、匿名の別アカウントで投入する無責任な低評価や、わざと作品の内容を誤解されるような解釈を書いたりするのが典型か。
他にはツイッターで事実上の匿名アカウントを作成して、分かる人にしか分からない悪口を書きまくるというのもある。
そういう陰湿な輩が最初に自作の低評価を投入すると、作家にとって可愛い我が子でも有り得る(あくまで「有り得る」という書き方にした。というのも、出版物の全部が全部そうではないからだ)小説は犯された生娘のようにしばらくは誰にも振り向いてもらえない存在になる。
駄作が作者のお友達から星5個を貰っている傍で、その作品は誰かに拾われるまで埃をかぶって眠り続ける事になる。いつか元来の輝きを認められる事を夢見て。
そういう意味ではレビューの影響が大きいのは間違いないのだろう。レビューの説得力や内容にもよるのだけど。
読者の視点で考えると、いざ金を出してインディーズ作家の小説を買うかどうか迷った時、表紙やレビュー以外にもその作品がどんなものなのかを想像出来る何かがある事は非常に重要だと思う。
喩えは悪いかもしれないけれど、視聴するか迷うAVをダウンロードする時、サンプル動画を観る人は多いはずだ。パケ写詐欺でないかを探るためだ。
まあ、その内の何人かはサンプル動画で全てを済ませてしまうのだけど。
軽口はさておき、個人出版界隈にはあんまり宣伝を好む人はいない。
ある意味女子中学生的な陰湿さが散見され、目立つ事に対する圧力めいたものを感じる事がある。
たしかに宣伝ばっかり呟いているSNSのアカウントはウザいと感じる事がある。
でも、だから何だと言うのだろう?
アカウント創設の目的なんか宣伝に決まっているじゃないか。
ただでさえ無名の作家が宣伝しないでどうやって自意識の塊を売りつけるつもりなのか。
自分の書いたものがゴミかもしれないから宣伝をするのは好ましくないって? ご冗談を。
それならそもそもゴミなんぞ書くなという話だ。地球のために。
自著が地雷だと仄めかすのなら、なぜマーケットを地雷原にしたがるのだ?
最初から地雷なんか無い方がいいに決まっているじゃないか。
おそらくだが、こういうルサンチマンめいた事を言う人は前に出て叩かれるのが怖いから前に出ない事を正当化しているだけなんだろう。これは割と当たっていると思う。
だからというわけではないけれど、自作解題を通じて作品を世に出していく事は少しも悪くない。
ほとんどの個人作家はマーケティング以前の問題にいて、まず自分の存在を知らせないといけない事に気付いていない。
だから匿名掲示板の悪口を間に受けて、少数派の意見を追いかける。その先にあるのは主体性の喪失と持ち味の希薄化だ。誰も得なんかしやしない。
別に自意識をこじらせたっていいじゃないか。自意識をこじらせている方が観客から見て面白いのに。せっかく生まれた抗争をギミックに使わないでどうする?
あなたは芸人同士のケンカがにこやかに握手で終わったらいいと本気で思うだろうか?
乱闘が起こりそうになって、観客は明らかにそれを期待しているのになぜそれを収束させてしまうのか。
せっかく作った火種がやり過ごされるのを見ると、みんな仲良しのプロレスを見せられているみたいで残念な気持ちになる。
おそらく自分の功名心にしか注意が向けられていないのだろう。読者の視点を持てというお題目が彼らにとっていかにファッションだったかよく分かる。
また火種になりそうな言葉を振り撒きつつ話を強引に戻すけど、やはり作家は読者か面白いと思う何らかの手法で自らの存在を発信していかないといけない。
それが自作解題になるのか、著名人に紹介してもらう事なのかは知らない。分かる事は何かを主体的に始めた人しか継続して花を咲かせる事は出来ないという話だ。
政治に走った人は知らぬ間にいなくなっていた。はっきり言って予想出来た。やはり他力本願は成功しない。
また似たような話になったけど、どこかのカタログに載るよりも、素人臭いチラシをポストに投函した方が案外人の目を引く事もある。
大事な事はコミュニケーションのラインを途切れさせない事だ。
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