隙間からこんにちは
- 2017/01/14
- 14:20
潜っていくらか時間が経った。
界隈の動きはまったく知らない。自分が褒められているかも、貶されているのかも分からず、空き時間にスマホのメモ帳機能を使ってこの手記を綴っている。
もうすっかり過去の人になっている可能性も感じないでもないけど、もともと期待されるのはあまり得意じゃないからかえっていいのかもしれない。
最近はゆっくりのったりと読書のみを継続し、執筆は控えて暮らしている。先日にも言った通り、満足な執筆環境でない部分が筆を止めている。アイディア自体はたくさんあるけど、それを形にしている時間が無い。
それでも何か書かずにはいられないのは、書くという行為が生理現象と化しているからなのだろう。悪い言い方をすれば持病だ。それでも溜まった思考は排泄しないといけない。
空き時間を駆使して、久々に焦げ臭い意識高い系のネタを用意してある。安心しろ。多分役に立つ。
いつか話そうと思って忘れていたけど、セルパブの世界でよく言われていたセルフブランディングには(笑)を付けた方がいい。
というのも、どこの馬の骨かも分からない奴が必死こいて自分をブランディングしたところで、それは周囲から何も関心を引き起こさないばかりか、痛々しく映る可能性の方が高いからだ。
ごくまれにセルフブランディングに成功する人もいるけれど、それは戦略が緻密で上手くハマったか、運が味方した場合がほとんどだ。
だが、それでも自分という存在を世間に発信していかないと著作なんて売れるはずがない。
良い物を作ったら必ず売れるなんていうのは幻想だ。どちらかというとコミュ障のエクスキューズで生まれた聖遺物……怠惰の言い訳に過ぎない。
物を創り上げたら必ずその存在を知らせないといけない。
スマホが発達した現代社会において、暇人は絶滅危惧種になりつつある。そこでセルフブランディングという手法が持て囃されてきたのだろう。
だがよく考えて欲しい。
とある学校のクラスで、男子全員がセルフブランディングをしたとしよう。それで男子全員が一様にモテるようになるかという話だ。
誰が見ても結果は明らかだろう。イケメンは正義という言葉があるように、基本スペックの低い人間がいくら頑張ったところで同じ売り方が上手くいくはずがない。
イケメンは痴漢をしてもセクシーと評価されるし、ブサイクは手の甲がかすっただけで駅員を呼ばれる運命にある。
それはそれとして、最近になって特に感じる事がある。
たとえネット右翼が顕在化したとしても、日本全体はどちらかと言うと左傾化しているのではないか。
頑張った人間はもれなく報われなくてはならない。
いかなる不正も許されない。
一見美しい考え方も、歪な正義観を持った人間が好き勝手に公正さを曲解し、魔女狩りに等しい価値観が容認されつつある。
国民皆陪審員と化した相互監視の社会構造は、誰かの自己実現を促進させるためにひたすら息苦しさばかりに拍車をかけている。
話が盛大に逸れた。仕方ない。スマホで書いているのだから文章全体に見通しがきかないし、手直しも大変だからだ。よってこの無駄だらけの文章をそのまま読書にお届けするというわけだ。文章警察にはこれ以上ないご褒美に違いない。
それで何だったか……ああ、セルフブランディングの話だった。
前述のように、俺も含めたキモいオッサン達がいくら一生懸命お洒落をしたところで、せいぜい歌舞伎町で黒服からカモられるのがいいところだろう。つまり大半の人間は無理してイケメンのフリをしてもモテるようにはならないという事だ。
それでも自分の存在は世間に発信しないといけない。そうしないと見つけてもらえないからだ。
それならどうする?
ここに一つの回答がある。
それは、目を向けてもらえないなら、目につく存在になるという事だ。
クラスに一人はいただろう。少しもイケメンじゃないのに存在感を出している奴が。
彼らがただ大人しくしていただろうか?
誰かが目をかけてくれるまで口を開けたヒナのように受け身の姿勢でいただろうか?
大半のセルパブ作家はそこを理解していない。見てもらえないなら、自分の存在を他ならぬ自分で発信していくしかないのだ。
そもそも文学賞の存在意義は何だ?
面白い小説を書くけど世間からしたらどこの馬の骨かも分からない奴に出版社の看板を背負わせて、その存在を知らしめるためではないのか?
「そんなものは自分でやりますよ」という考えで小説を売り出したのがセルパブ作家なのであり、電子書籍の界隈が作家になり損ねたオッサンの天下り先として機能するのはおかしな話である。
それならどうやってキモいオッサンの中で存在感を放つキモいオッサンになるのか?
決してイケメンになろうなんて考えてはいけない。ホストの二軍になってもしょうがないだろう?
誰が二軍なんかに興味があるのだろうか?
考えてみたらいい。本流の文学ですらサブカルに追いやられそうな今、セルパブがサブカル以外の何だと言うのか。それはサブカルに他ならない。
そうなると、サブカルはサブカルらしくあえてクセのあるキャラクターを作り上げていかないといけない。キャバクラにいいところのお嬢様がいたらどれだけ心配そうな視線を向けられるか考えてみたらいい。
つまりセミナーやら何やらで言われているセルフブランディングとやらは、中途半端にやれば効果をもたらさない可能性が高い。厚化粧を塗りたくったババアに誰も注意を向けないのと同じだ。
だからセルパブ作家は適度なアングラ感というか、程良いチンピラ臭を漂わせた方が結果としてセルフブランディングになるわけだ。やり過ぎると誰も振り向かなくなるけど。
咲いても見てもらえないなら、強烈な匂いでも放てばいいじゃないか。なぜその程度の努力も出来ないのか?
ただ黙々と良い物を作っていたら誰かが拾い上げてくれると本気で思っているんだったら、そいつは救いがたいバカに違いない。
セルフブランディングをもっとぶっちゃけた表現で表すなら、それは単に自分の存在を知らしめる事に他ならない。
それだけ単純な事になぜ戦略性やらその他諸々の要素を持ち込んで複雑にしたがるのか。
おそらく目立った先に叩かれる事を恐れているのだと思う。
だが、ネットが発達した現代社会において叩かれない人気者なんてありえない。時代は自意識のせめぎ合いで、自尊心の削り合いだ。ある程度目立ったら容赦なく叩かれる。
そうなると叩かれる事を織り込み済みで行動しないといけない。
まあ、どうせどこの誰かも分からないようなオッサンが叩かれたところで大したダメージにはならない。だから好きなだけ叩かせてやればいいんじゃないかと個人的には思っている。
村上春樹の書評がきっかけでデビューした作家だって、他の作家を貶したらデビュー出来ただろうか?
彼は他ならぬ村上春樹に食わせていただいた事を感謝しないといけない。
だが、賞賛しか存在しない状態にも気を付けないといけない。それは澄み切っているくせに魚1匹泳いでいない川に近しいものがある。そこには何か突き止めるべきものがあるわけだ。
また話が逸れたが、要は自分を主張したいなら自分の存在を知らしめろという話だ。
それで興味半分に有力者が拾ってくれるかどうかは知らない。
だが、誰だって知らない人間を拾い上げる事は出来ない。だから何年後に咲くか分からない種をせっせと撒くしかないわけだ。
見てもらいたいなら叫べ、喚け。周りがうんざりするところのスレスレを狙え。愛想を尽かされない程度にウザったい奴になればいい。やり過ぎた奴の末路は散々見てきただろう?
誰かがやった事を踏襲するだけでキャリアを形成するな。それはキープされて良いように使われるセフレ道に繋がっているだけだ。
一見上手くいきそうに見えるだけで、延々と続くループとネズミ講にいつかは膝を折るしかなくなる。
必ず替えのきかない存在になれ。それでも代わりはいくらでもいるのだから。
それでも月に向かって吠え続ける狼のように、時々は人の心を打つ事がある。
声を届けろ。空気を震わせろ。その粒子を耳からハートへ送り込むのだ。
届かぬ声は、想いを運ぶ事は出来ない。
界隈の動きはまったく知らない。自分が褒められているかも、貶されているのかも分からず、空き時間にスマホのメモ帳機能を使ってこの手記を綴っている。
もうすっかり過去の人になっている可能性も感じないでもないけど、もともと期待されるのはあまり得意じゃないからかえっていいのかもしれない。
最近はゆっくりのったりと読書のみを継続し、執筆は控えて暮らしている。先日にも言った通り、満足な執筆環境でない部分が筆を止めている。アイディア自体はたくさんあるけど、それを形にしている時間が無い。
それでも何か書かずにはいられないのは、書くという行為が生理現象と化しているからなのだろう。悪い言い方をすれば持病だ。それでも溜まった思考は排泄しないといけない。
空き時間を駆使して、久々に焦げ臭い意識高い系のネタを用意してある。安心しろ。多分役に立つ。
いつか話そうと思って忘れていたけど、セルパブの世界でよく言われていたセルフブランディングには(笑)を付けた方がいい。
というのも、どこの馬の骨かも分からない奴が必死こいて自分をブランディングしたところで、それは周囲から何も関心を引き起こさないばかりか、痛々しく映る可能性の方が高いからだ。
ごくまれにセルフブランディングに成功する人もいるけれど、それは戦略が緻密で上手くハマったか、運が味方した場合がほとんどだ。
だが、それでも自分という存在を世間に発信していかないと著作なんて売れるはずがない。
良い物を作ったら必ず売れるなんていうのは幻想だ。どちらかというとコミュ障のエクスキューズで生まれた聖遺物……怠惰の言い訳に過ぎない。
物を創り上げたら必ずその存在を知らせないといけない。
スマホが発達した現代社会において、暇人は絶滅危惧種になりつつある。そこでセルフブランディングという手法が持て囃されてきたのだろう。
だがよく考えて欲しい。
とある学校のクラスで、男子全員がセルフブランディングをしたとしよう。それで男子全員が一様にモテるようになるかという話だ。
誰が見ても結果は明らかだろう。イケメンは正義という言葉があるように、基本スペックの低い人間がいくら頑張ったところで同じ売り方が上手くいくはずがない。
イケメンは痴漢をしてもセクシーと評価されるし、ブサイクは手の甲がかすっただけで駅員を呼ばれる運命にある。
それはそれとして、最近になって特に感じる事がある。
たとえネット右翼が顕在化したとしても、日本全体はどちらかと言うと左傾化しているのではないか。
頑張った人間はもれなく報われなくてはならない。
いかなる不正も許されない。
一見美しい考え方も、歪な正義観を持った人間が好き勝手に公正さを曲解し、魔女狩りに等しい価値観が容認されつつある。
国民皆陪審員と化した相互監視の社会構造は、誰かの自己実現を促進させるためにひたすら息苦しさばかりに拍車をかけている。
話が盛大に逸れた。仕方ない。スマホで書いているのだから文章全体に見通しがきかないし、手直しも大変だからだ。よってこの無駄だらけの文章をそのまま読書にお届けするというわけだ。文章警察にはこれ以上ないご褒美に違いない。
それで何だったか……ああ、セルフブランディングの話だった。
前述のように、俺も含めたキモいオッサン達がいくら一生懸命お洒落をしたところで、せいぜい歌舞伎町で黒服からカモられるのがいいところだろう。つまり大半の人間は無理してイケメンのフリをしてもモテるようにはならないという事だ。
それでも自分の存在は世間に発信しないといけない。そうしないと見つけてもらえないからだ。
それならどうする?
ここに一つの回答がある。
それは、目を向けてもらえないなら、目につく存在になるという事だ。
クラスに一人はいただろう。少しもイケメンじゃないのに存在感を出している奴が。
彼らがただ大人しくしていただろうか?
誰かが目をかけてくれるまで口を開けたヒナのように受け身の姿勢でいただろうか?
大半のセルパブ作家はそこを理解していない。見てもらえないなら、自分の存在を他ならぬ自分で発信していくしかないのだ。
そもそも文学賞の存在意義は何だ?
面白い小説を書くけど世間からしたらどこの馬の骨かも分からない奴に出版社の看板を背負わせて、その存在を知らしめるためではないのか?
「そんなものは自分でやりますよ」という考えで小説を売り出したのがセルパブ作家なのであり、電子書籍の界隈が作家になり損ねたオッサンの天下り先として機能するのはおかしな話である。
それならどうやってキモいオッサンの中で存在感を放つキモいオッサンになるのか?
決してイケメンになろうなんて考えてはいけない。ホストの二軍になってもしょうがないだろう?
誰が二軍なんかに興味があるのだろうか?
考えてみたらいい。本流の文学ですらサブカルに追いやられそうな今、セルパブがサブカル以外の何だと言うのか。それはサブカルに他ならない。
そうなると、サブカルはサブカルらしくあえてクセのあるキャラクターを作り上げていかないといけない。キャバクラにいいところのお嬢様がいたらどれだけ心配そうな視線を向けられるか考えてみたらいい。
つまりセミナーやら何やらで言われているセルフブランディングとやらは、中途半端にやれば効果をもたらさない可能性が高い。厚化粧を塗りたくったババアに誰も注意を向けないのと同じだ。
だからセルパブ作家は適度なアングラ感というか、程良いチンピラ臭を漂わせた方が結果としてセルフブランディングになるわけだ。やり過ぎると誰も振り向かなくなるけど。
咲いても見てもらえないなら、強烈な匂いでも放てばいいじゃないか。なぜその程度の努力も出来ないのか?
ただ黙々と良い物を作っていたら誰かが拾い上げてくれると本気で思っているんだったら、そいつは救いがたいバカに違いない。
セルフブランディングをもっとぶっちゃけた表現で表すなら、それは単に自分の存在を知らしめる事に他ならない。
それだけ単純な事になぜ戦略性やらその他諸々の要素を持ち込んで複雑にしたがるのか。
おそらく目立った先に叩かれる事を恐れているのだと思う。
だが、ネットが発達した現代社会において叩かれない人気者なんてありえない。時代は自意識のせめぎ合いで、自尊心の削り合いだ。ある程度目立ったら容赦なく叩かれる。
そうなると叩かれる事を織り込み済みで行動しないといけない。
まあ、どうせどこの誰かも分からないようなオッサンが叩かれたところで大したダメージにはならない。だから好きなだけ叩かせてやればいいんじゃないかと個人的には思っている。
村上春樹の書評がきっかけでデビューした作家だって、他の作家を貶したらデビュー出来ただろうか?
彼は他ならぬ村上春樹に食わせていただいた事を感謝しないといけない。
だが、賞賛しか存在しない状態にも気を付けないといけない。それは澄み切っているくせに魚1匹泳いでいない川に近しいものがある。そこには何か突き止めるべきものがあるわけだ。
また話が逸れたが、要は自分を主張したいなら自分の存在を知らしめろという話だ。
それで興味半分に有力者が拾ってくれるかどうかは知らない。
だが、誰だって知らない人間を拾い上げる事は出来ない。だから何年後に咲くか分からない種をせっせと撒くしかないわけだ。
見てもらいたいなら叫べ、喚け。周りがうんざりするところのスレスレを狙え。愛想を尽かされない程度にウザったい奴になればいい。やり過ぎた奴の末路は散々見てきただろう?
誰かがやった事を踏襲するだけでキャリアを形成するな。それはキープされて良いように使われるセフレ道に繋がっているだけだ。
一見上手くいきそうに見えるだけで、延々と続くループとネズミ講にいつかは膝を折るしかなくなる。
必ず替えのきかない存在になれ。それでも代わりはいくらでもいるのだから。
それでも月に向かって吠え続ける狼のように、時々は人の心を打つ事がある。
声を届けろ。空気を震わせろ。その粒子を耳からハートへ送り込むのだ。
届かぬ声は、想いを運ぶ事は出来ない。
スポンサーサイト