平等がコミュニティを堕落させる
- 2016/11/16
- 00:30
「平等に」とか「公平に」という考え方ほどコミュニティをつまらなくするものはありません。
よく個人出版の世界では上記の要望というか、半ば要求めいた言及を見ますが、この考え方には明白な弱点があります。というのも、観客の視点があまりに不足しているのです。
漫画雑誌にしても掲載順はアンケートの人気作から並べていきますし、ファッション誌の表紙もわけわかんねえモデルより石原さとみを使った方が売れるに決まっています。
同じように、ホストやキャバクラですら看板に選ばれる人は抜群の容姿を持っています。……フォトショマジックは別としてですが(笑)。
こういう既成事実があるにも関わらず、どうして個人出版の世界には不思議なアマチュアリズムがはびこるのか?
答えは簡単です。
主に実力の無い人が自分の居場所を確保するため、人権や道徳を盾にしだすからです(笑)。
誰も正論には逆らえませんよね? 人権を人質に取られたら誰も言い返せませんよね?
なにしろ、「平等にしろ」と言われたら公正に聞こえますよね?
ですがそれではダメなのです。
こういったコンテンツで最優先すべきはサービスの受け手であり、つまり読者です。
読者が読んで面白いものでないと、そこに価値はありません。
それを忘れたコミュニティはあっと言う間に消えてしまいます。供給側の自己実現が主体になり、単純に面白くなくなるからです。
私は一時期、文芸誌のメフィストを買っていましたが、やっぱり巻頭で掲載されている西尾維新あたりが興味の対象となるわけで、つまらない小説で出鼻を挫かれるとその先に控える作品への期待値も自ずと下がってしまうのです。そういう意味では巻頭作品は責任重大なわけですね。
よく「読み手の視点を考えて書け」みたいな話を聞くじゃないですか。出来ていない奴に限って声高に言っている気がしないでもないですが(笑)。
じゃあみなさんはこれをどれだけ真剣にやっているのでしょうか?
たとえばコラボ企画をやるとして、
自分にどんな役割が望まれているか?
自分の作品は何番目か?
その順番に相応しい作風か?
(たとえばライブの冒頭でプログレを演奏してはいけないといった考え方ですね)
他作品とのバランスはどうか?
上記のような課題が出てきます。
まるで音楽のアルバムを構成しているみたいですね。実際その通りです。
ですが、ここまで考えて作品を書いている人って果たしてどれだけいるのでしょうか?
多分ほとんどいないんじゃないでしょうか?
でも旗を振る立場になると、こういう事を嫌でも考えないといけないわけです。
スポーツでも似たような事例はあります。野球あたりはそれの最たるものですよね。
ピッチャーの交代時に選手の気持ちをいちいち酌んでいたら負けてしまいます。たった一人の気持ちを大事にしたために、チーム全員が損失を被るわけです。
だからここに「いかに自分を犠牲にせず、全体の利益を最大にする事が出来るのか」という課題が出てきますね。
だから新しい企画を立ち上げようとか考えている人は、ある程度独裁者になれるジャイアニズムの持ち主でないとダメな気がします。
(例)
「編集長が掲載順を恣意的に決めるのはズルいと思います」
「じゃかましい。ぶちぶち言ってる暇があったらもっとマシな作品を書かんかい」
上記ぐらいのやり取りが出来ないと厳しいかと。
なかなかやる気のある人にノーを突きつけるのは厳しいものがありますが、こういった手厳しさも魅力的なコンテンツ作りには必要なのでしょう。
参加する書き手も自分の原稿が紙クズに終わるリスクを承知で名乗りを上げる方がいい小説を書くんじゃないでしょうか?
結論としては、平等なんぞクソ食らえという話でございます。
フラットな目で見て、明らかにつまらない作品に断固たるノーを言えるかどうか。
そんな簡単に手に入る能力じゃないですよ。
よく個人出版の世界では上記の要望というか、半ば要求めいた言及を見ますが、この考え方には明白な弱点があります。というのも、観客の視点があまりに不足しているのです。
漫画雑誌にしても掲載順はアンケートの人気作から並べていきますし、ファッション誌の表紙もわけわかんねえモデルより石原さとみを使った方が売れるに決まっています。
同じように、ホストやキャバクラですら看板に選ばれる人は抜群の容姿を持っています。……フォトショマジックは別としてですが(笑)。
こういう既成事実があるにも関わらず、どうして個人出版の世界には不思議なアマチュアリズムがはびこるのか?
答えは簡単です。
主に実力の無い人が自分の居場所を確保するため、人権や道徳を盾にしだすからです(笑)。
誰も正論には逆らえませんよね? 人権を人質に取られたら誰も言い返せませんよね?
なにしろ、「平等にしろ」と言われたら公正に聞こえますよね?
ですがそれではダメなのです。
こういったコンテンツで最優先すべきはサービスの受け手であり、つまり読者です。
読者が読んで面白いものでないと、そこに価値はありません。
それを忘れたコミュニティはあっと言う間に消えてしまいます。供給側の自己実現が主体になり、単純に面白くなくなるからです。
私は一時期、文芸誌のメフィストを買っていましたが、やっぱり巻頭で掲載されている西尾維新あたりが興味の対象となるわけで、つまらない小説で出鼻を挫かれるとその先に控える作品への期待値も自ずと下がってしまうのです。そういう意味では巻頭作品は責任重大なわけですね。
よく「読み手の視点を考えて書け」みたいな話を聞くじゃないですか。出来ていない奴に限って声高に言っている気がしないでもないですが(笑)。
じゃあみなさんはこれをどれだけ真剣にやっているのでしょうか?
たとえばコラボ企画をやるとして、
自分にどんな役割が望まれているか?
自分の作品は何番目か?
その順番に相応しい作風か?
(たとえばライブの冒頭でプログレを演奏してはいけないといった考え方ですね)
他作品とのバランスはどうか?
上記のような課題が出てきます。
まるで音楽のアルバムを構成しているみたいですね。実際その通りです。
ですが、ここまで考えて作品を書いている人って果たしてどれだけいるのでしょうか?
多分ほとんどいないんじゃないでしょうか?
でも旗を振る立場になると、こういう事を嫌でも考えないといけないわけです。
スポーツでも似たような事例はあります。野球あたりはそれの最たるものですよね。
ピッチャーの交代時に選手の気持ちをいちいち酌んでいたら負けてしまいます。たった一人の気持ちを大事にしたために、チーム全員が損失を被るわけです。
だからここに「いかに自分を犠牲にせず、全体の利益を最大にする事が出来るのか」という課題が出てきますね。
だから新しい企画を立ち上げようとか考えている人は、ある程度独裁者になれるジャイアニズムの持ち主でないとダメな気がします。
(例)
「編集長が掲載順を恣意的に決めるのはズルいと思います」
「じゃかましい。ぶちぶち言ってる暇があったらもっとマシな作品を書かんかい」
上記ぐらいのやり取りが出来ないと厳しいかと。
なかなかやる気のある人にノーを突きつけるのは厳しいものがありますが、こういった手厳しさも魅力的なコンテンツ作りには必要なのでしょう。
参加する書き手も自分の原稿が紙クズに終わるリスクを承知で名乗りを上げる方がいい小説を書くんじゃないでしょうか?
結論としては、平等なんぞクソ食らえという話でございます。
フラットな目で見て、明らかにつまらない作品に断固たるノーを言えるかどうか。
そんな簡単に手に入る能力じゃないですよ。
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