読みやすさは正義
- 2016/10/08
- 23:03
今さらですが、メフィスト賞の「○○○○○○○○殺人事件」を読了しました。
ネットでチラチラと聞こえる評判から「何か知らんがすごいらしい」というのは知っていましたが、たまたま友人が読んでいたのをなぜか何カ月も後になって思い出し、「これも一つの縁だな」という事でAmazonの1円本をゲッツしたわけですよ。
何? 新品を買えって?
私も貧しいですからね(笑)。
著者に印税が入らないのは申し訳ないですが。
オチの重要度が高い作品なので、ストーリーについてはあえて言及しませんが、この作品を記念すべき第50回メフィスト賞に選んだ編集部に最大限の賛辞を送りたいと思いました。
だって、この作品って嫉妬深いわなびからクソミソに言われる作風でしょうから(笑)。
トリックはわざと陳腐にしているし、ここまでミステリを愛しながらバカにしている作品って他にあるんでしょうか?(笑)
しかもこれを新人がやっちゃったんですからね。悔しさではらわたが煮えくり返っているアマチュア作家もさぞ多かっただろうと思います。
背理的な魅力もさる事ながら、すでに同じ著者の作品がいくつも出ているんですよね。
正直なところ、読了後は「面白かったけど次どうすんのよ?」と思っていましたが。
経験則から申し上げると、このタイプの作者は筆が早いのだと思います。
しかも読みやすく面白い。
リーダビリティー教(微カルト)の私としては大好物の作品ですね。
何度も言ってきましたが、現代の小説において読みやすさというのはかなりの武器になります。個人的には重厚な文章も好きですが、あれは「どっこいしょ」と精神的な姿勢を整えないといけない。
最近の一般読者はこの「どっこいしょ」をやってくれないんですね。色々な意味で国民的な読み書き能力が落ちているからです。
結果として面白くて読みやすいライトノベルが隆盛を誇り(以下、長いので略)。
とにかく、読者は読む行為についてあまり忍耐強くなくなりました。
ちょっと読んでつまんなければ、割と早くポイッとやられます。
そうならないためには、サラサラスルスル滔々と流れる水のような筆致で書かねばばりません。でも、それだけでは人の記憶に残れない。
人の心にたくさんの引っかき傷を残すには、さらに作品を量産する必要が出てきます。というのも、市場にある作品の分母が大き過ぎて、その入れ替わりの早さはキャバクラが人権団体の保護地区に見えるレベルだからです。
有名文学賞を獲っても、二冊目を出せる新人は激減してしまいました。
そうやって、ほとんどの人が流星のように煌めいて、一瞬で消えていきます。
そんな背景もあり、とにかく現代の作家はよっぽど上手くいっていない限りは多作にならざるを得ない部分がある。そうしないと生き残れないからです。そして、それは趣味の趣きが強い個人出版でも同じなのです。
早く書き、その上である程度の筆致を維持し、向上させていく。そういう努力を継続させる事が必要なのだと思います。
今は広橋悠氏の「妄想する子供たち」を読んでいますが(もっと早く氏を知っていれば良かった!)、彼の筆致は明らかにプロレベルですね。センスに恵まれている上に、丁寧に推敲した努力が垣間見れる。
あそこまで巧く書くのは難しいでしょうが、一定のクオリティーを保ちながら早く書く努力は必要です。
そういった流れで、プロットを立てる時間すら惜しくなった私は、書きながらプロットを立てるという超スピード方式を採用しました(笑)。
まあね、ある程度の読みやすさとちょっとばかり捻ったストーリーが書ければいいんですよ。それの繰り返しで筆力と思考の瞬発力を鍛えていく。そうすれば上達も早いのだと思います。どっちにしても早く書けないとすぐ忘れられてしまいますからね。
何? 早きゃいいってもんじゃない?
当たり前です。何言ってんすか?
早く書いて、いい作品に仕上げなさい。あなたがサボっている間に、ライバルはもっと頑張っているかもしれないのですから。
一度ぶっ倒れるのを目指して無茶をしてみて下さい(笑)。
ぶっ倒れるポイントが分かったら、限界スレスレまで頑張るだけです。
そうすると次にぶっ倒れるのはもう少し先のポイントになっているはずです。
無茶は人を育てます。
自分に対しては某居酒屋チェーンのようになりましょう。やり遂げたらきっと酒も旨いはずですから。
ネットでチラチラと聞こえる評判から「何か知らんがすごいらしい」というのは知っていましたが、たまたま友人が読んでいたのをなぜか何カ月も後になって思い出し、「これも一つの縁だな」という事でAmazonの1円本をゲッツしたわけですよ。
何? 新品を買えって?
私も貧しいですからね(笑)。
著者に印税が入らないのは申し訳ないですが。
オチの重要度が高い作品なので、ストーリーについてはあえて言及しませんが、この作品を記念すべき第50回メフィスト賞に選んだ編集部に最大限の賛辞を送りたいと思いました。
だって、この作品って嫉妬深いわなびからクソミソに言われる作風でしょうから(笑)。
トリックはわざと陳腐にしているし、ここまでミステリを愛しながらバカにしている作品って他にあるんでしょうか?(笑)
しかもこれを新人がやっちゃったんですからね。悔しさではらわたが煮えくり返っているアマチュア作家もさぞ多かっただろうと思います。
背理的な魅力もさる事ながら、すでに同じ著者の作品がいくつも出ているんですよね。
正直なところ、読了後は「面白かったけど次どうすんのよ?」と思っていましたが。
経験則から申し上げると、このタイプの作者は筆が早いのだと思います。
しかも読みやすく面白い。
リーダビリティー教(微カルト)の私としては大好物の作品ですね。
何度も言ってきましたが、現代の小説において読みやすさというのはかなりの武器になります。個人的には重厚な文章も好きですが、あれは「どっこいしょ」と精神的な姿勢を整えないといけない。
最近の一般読者はこの「どっこいしょ」をやってくれないんですね。色々な意味で国民的な読み書き能力が落ちているからです。
結果として面白くて読みやすいライトノベルが隆盛を誇り(以下、長いので略)。
とにかく、読者は読む行為についてあまり忍耐強くなくなりました。
ちょっと読んでつまんなければ、割と早くポイッとやられます。
そうならないためには、サラサラスルスル滔々と流れる水のような筆致で書かねばばりません。でも、それだけでは人の記憶に残れない。
人の心にたくさんの引っかき傷を残すには、さらに作品を量産する必要が出てきます。というのも、市場にある作品の分母が大き過ぎて、その入れ替わりの早さはキャバクラが人権団体の保護地区に見えるレベルだからです。
有名文学賞を獲っても、二冊目を出せる新人は激減してしまいました。
そうやって、ほとんどの人が流星のように煌めいて、一瞬で消えていきます。
そんな背景もあり、とにかく現代の作家はよっぽど上手くいっていない限りは多作にならざるを得ない部分がある。そうしないと生き残れないからです。そして、それは趣味の趣きが強い個人出版でも同じなのです。
早く書き、その上である程度の筆致を維持し、向上させていく。そういう努力を継続させる事が必要なのだと思います。
今は広橋悠氏の「妄想する子供たち」を読んでいますが(もっと早く氏を知っていれば良かった!)、彼の筆致は明らかにプロレベルですね。センスに恵まれている上に、丁寧に推敲した努力が垣間見れる。
あそこまで巧く書くのは難しいでしょうが、一定のクオリティーを保ちながら早く書く努力は必要です。
そういった流れで、プロットを立てる時間すら惜しくなった私は、書きながらプロットを立てるという超スピード方式を採用しました(笑)。
まあね、ある程度の読みやすさとちょっとばかり捻ったストーリーが書ければいいんですよ。それの繰り返しで筆力と思考の瞬発力を鍛えていく。そうすれば上達も早いのだと思います。どっちにしても早く書けないとすぐ忘れられてしまいますからね。
何? 早きゃいいってもんじゃない?
当たり前です。何言ってんすか?
早く書いて、いい作品に仕上げなさい。あなたがサボっている間に、ライバルはもっと頑張っているかもしれないのですから。
一度ぶっ倒れるのを目指して無茶をしてみて下さい(笑)。
ぶっ倒れるポイントが分かったら、限界スレスレまで頑張るだけです。
そうすると次にぶっ倒れるのはもう少し先のポイントになっているはずです。
無茶は人を育てます。
自分に対しては某居酒屋チェーンのようになりましょう。やり遂げたらきっと酒も旨いはずですから。
スポンサーサイト
むむ…その友人ってのは、もしかするともしかするのかー?(笑)
その通り、彼のことです(笑)。