子供ではなく、仕事か……(強火)
- 2016/10/04
- 20:02
ああ、そうか……。
ようやく適切な表現を見つけました。ああ、灯台下暗しというやつですね。
え? 何の事かって?
いやあ、「作家にとって作品ってどういう存在なんだろう?」という自問に割としっくりくる答えが見つかったのですよ。
いっとき私は自著を「頭を痛めて産んだ子供」と喩えた事がありますが、考えてみたら全部が全部そういう感覚じゃない。いや、手抜きをしたという意味ではないですよ(笑)。大体が安産だったという事です。
考えてみたらなんにも難しい事はなかった。作家にとって作品とは単に成果物――成した仕事だったわけです。
自分としてはこの「成した仕事」という表現が一番しっくりきましたね。作家の仕事とは(願わくば面白い)文章を読ませて金を取る事だからです。
だからこそ褒められたら嬉しいし、あんまりにも貶されたら嫌になるというわけですね。リアルの世界なら、会議資料ですらボロクソに言われたら嫌な気分になりますもん。と、独り納得してしまいました(笑)。
で、思ったのですが、どこの職場にも文句を言わずにはいられない同僚や上司はいますよね。誰かに文句を言っていられる環境が実は一番幸せといった類の人です。
(もっと言えば善人しかいない天国がその人にとって地獄になるような人の事です)
書類にちょっとした誤字があっただけで文書全体を否定し、会議では意地悪な質問を連発してあなたを精神的に追い詰め、晒し者にする。そして次にどんなミスをするのか心待ちにしている。そんな人ですね。身近にも一人はいるでしょう?
おそらくですけど、ストアにいる「文句しか言えないレビュアー」に対して持つ不快感ってこれに近い感覚なんだと思います。
つまり、本来の目的以外のものが評価に仕込まれているような気持ち悪さでしょうか。
目に見えて純然な評価ではなく、別の意図が働いているという事です。
何ヶ月もかけて作った作品でそれをやられたら不快に思うに決まってますよね?
まあ、これがストアの場合なら単に面白いかつまんないかという評価になるんでしょうけど、明らかに評価以外のものが含まれていたら大概の人は見抜くし気持ち悪いと思うのが普通なんじゃないでしょうか?
まあ、感想を言うのは自由です。自由なんですが、一度「お前の作品はつまらない」と声高らかに宣言した人が数日後にまたお店の前に並んでいたら普通の人は「えっ……」ってなりますよね。よっぽどドMでない限り。
聖なるお客様曰く、「美味い不味いを言うのは勝手だ」という事ですが(実際純粋な評価ならその通りです)、一度クソミソに貶した店に平然と並ぶ感覚はちょっと理解不能です。
そういう事を書くと他作家から「クレームを良い方向に活かせないのか」という綺麗事が返ってくる事もありますが、それなら同じ目に遭ってみろと(笑)。
最初から貶す気満々のオーラを全身から滴らせている客を前にしても、あなたは同じ事が言えるのでしょうか?
それなら反社会勢力の人でもニコニコしながらお店に入れるんでしょう。明らかに他のお客さんの顔が歪んでいても。
それはついに自分が強姦されるまで「軽い気持ちで知らない男にホイホイついて行く女が悪い」と結果論で言う思考原理と似ています。つまり、自分に置き換えて物を考える事が出来ていない。自分が同じ目に遭ったらどう感じるかという思考を持っていない。色々な視点を持たないといけない作家としては致命的です。
酷い目に遭った女性は愚かだったかもしれないですが、彼女が悪いという道理はまた違う。そこに至るまでの過程があったわけですよ。
話は逸れましたが、どんな仕事をしても貶す事しかしない同僚や上司、得意先をあなたはどう思うのでしょうか? 好意的な目で見るでしょうか? 普通は見ないですよね?
ちなみに私は営業時代、文句しか言ってこない得意先に行くのをやめた事があります。他の顧客で数字を稼いだ方が健全な精神でいられたからです。
あなたは会議のたびに資料へ難癖を付けてくる上司にブッダよろしく何も感じないのでしょうか?
毎度営業会議で因縁をつけてくる(そして自分を踏み台にしようとする)先輩社員をブチのめしてやりたいと思った事が無いのでしょうか? ああ、無いんですか。なるほど、悟りを開いた達人に説教を垂れるべきではありませんでした。
嫌味もそこそこに、一般人のテリトリーに話を戻しましょう。
彼らの嫌がらせが原因で精神を病んだら、あなたは「その人の心が弱かったからいけないのだ」と言うのでしょうか?
私ならそうは言わないでしょうね。
物事にはやはり限度というものがあるのです。
だから最近はこう思うようになりました。
こちらとしてもすべてのお客さんを平等に扱う必要なんぞ少しも無いぞと。
つまり、お気に入りの客だけを思いっきり優遇するわけです。
別に好きなお客さんを贔屓したっていいじゃないですか。何が問題なんですか?
どう考えたって温かいお客さんを大事にした方が生産的に決まっているじゃないですか。その人は次回作も買ってくれるだろうし、次回作を書く気力をくれるのです。
今日文句を言っている奴は明日も文句を言ってきます。なんでそんな人に注意力を削がないといけないのでしょう。
文句ばっかり言うお客さんは文句を言った時点でスッキリしているわけです。
そういう意味で私は説教カフェ的な役割を果たしてあげたわけですよ。次からは指名料をいただきたいぐらいです。あ、指名料は10,000円です(笑)。
軽口はともかくとして、他者の評価をまったく気にしないというのは(森博嗣みたいに最初から売れた人でない限り)ちょっと無理があるでしょう。売上にも響いてきますし、そこに作為があったら普通は怒るというものです。
それならば、無理くり清濁併せ飲む必要は無いという原理に従えばいいのだと思います。
評価が勝手なら、それを受け入れるかどうかもこちらの自由のはずです。
評価をする側というのは無責任です。彼らのアドバイスを受け入れたら作品がどうしようもない駄作になってしまう事だってあるし、それに対して無能なアドバイザー(笑)は責任を取らないのですから。
奴らはハメ技が得意です。
「人の意見に耳を傾けるべきだ」とか「忌憚無き意見こそ大事だ」とか――そういえば、「忌憚無き意見」というのはしばしば人を引き下げる口実ばかりに使われている気がしてなりません――もっともらしい事を言い、アドバイスに従って失敗したら「自己責任」とかほざくのです。個人的にはライフルで撃ってやりたいですね(笑)。
冗談はさて置き、もし自分の評価を絶対のものとして受け入れさせようという人がいたら、それは精神的な強姦なのだと思います。
そういう時はこう言ってやりなさい。
「それならあなたが自分でそういう話を書いてみたらいかがですか?」と。
彼らには書けません。
絶対に書けません。
今だけ無料!
ようやく適切な表現を見つけました。ああ、灯台下暗しというやつですね。
え? 何の事かって?
いやあ、「作家にとって作品ってどういう存在なんだろう?」という自問に割としっくりくる答えが見つかったのですよ。
いっとき私は自著を「頭を痛めて産んだ子供」と喩えた事がありますが、考えてみたら全部が全部そういう感覚じゃない。いや、手抜きをしたという意味ではないですよ(笑)。大体が安産だったという事です。
考えてみたらなんにも難しい事はなかった。作家にとって作品とは単に成果物――成した仕事だったわけです。
自分としてはこの「成した仕事」という表現が一番しっくりきましたね。作家の仕事とは(願わくば面白い)文章を読ませて金を取る事だからです。
だからこそ褒められたら嬉しいし、あんまりにも貶されたら嫌になるというわけですね。リアルの世界なら、会議資料ですらボロクソに言われたら嫌な気分になりますもん。と、独り納得してしまいました(笑)。
で、思ったのですが、どこの職場にも文句を言わずにはいられない同僚や上司はいますよね。誰かに文句を言っていられる環境が実は一番幸せといった類の人です。
(もっと言えば善人しかいない天国がその人にとって地獄になるような人の事です)
書類にちょっとした誤字があっただけで文書全体を否定し、会議では意地悪な質問を連発してあなたを精神的に追い詰め、晒し者にする。そして次にどんなミスをするのか心待ちにしている。そんな人ですね。身近にも一人はいるでしょう?
おそらくですけど、ストアにいる「文句しか言えないレビュアー」に対して持つ不快感ってこれに近い感覚なんだと思います。
つまり、本来の目的以外のものが評価に仕込まれているような気持ち悪さでしょうか。
目に見えて純然な評価ではなく、別の意図が働いているという事です。
何ヶ月もかけて作った作品でそれをやられたら不快に思うに決まってますよね?
まあ、これがストアの場合なら単に面白いかつまんないかという評価になるんでしょうけど、明らかに評価以外のものが含まれていたら大概の人は見抜くし気持ち悪いと思うのが普通なんじゃないでしょうか?
まあ、感想を言うのは自由です。自由なんですが、一度「お前の作品はつまらない」と声高らかに宣言した人が数日後にまたお店の前に並んでいたら普通の人は「えっ……」ってなりますよね。よっぽどドMでない限り。
聖なるお客様曰く、「美味い不味いを言うのは勝手だ」という事ですが(実際純粋な評価ならその通りです)、一度クソミソに貶した店に平然と並ぶ感覚はちょっと理解不能です。
そういう事を書くと他作家から「クレームを良い方向に活かせないのか」という綺麗事が返ってくる事もありますが、それなら同じ目に遭ってみろと(笑)。
最初から貶す気満々のオーラを全身から滴らせている客を前にしても、あなたは同じ事が言えるのでしょうか?
それなら反社会勢力の人でもニコニコしながらお店に入れるんでしょう。明らかに他のお客さんの顔が歪んでいても。
それはついに自分が強姦されるまで「軽い気持ちで知らない男にホイホイついて行く女が悪い」と結果論で言う思考原理と似ています。つまり、自分に置き換えて物を考える事が出来ていない。自分が同じ目に遭ったらどう感じるかという思考を持っていない。色々な視点を持たないといけない作家としては致命的です。
酷い目に遭った女性は愚かだったかもしれないですが、彼女が悪いという道理はまた違う。そこに至るまでの過程があったわけですよ。
話は逸れましたが、どんな仕事をしても貶す事しかしない同僚や上司、得意先をあなたはどう思うのでしょうか? 好意的な目で見るでしょうか? 普通は見ないですよね?
ちなみに私は営業時代、文句しか言ってこない得意先に行くのをやめた事があります。他の顧客で数字を稼いだ方が健全な精神でいられたからです。
あなたは会議のたびに資料へ難癖を付けてくる上司にブッダよろしく何も感じないのでしょうか?
毎度営業会議で因縁をつけてくる(そして自分を踏み台にしようとする)先輩社員をブチのめしてやりたいと思った事が無いのでしょうか? ああ、無いんですか。なるほど、悟りを開いた達人に説教を垂れるべきではありませんでした。
嫌味もそこそこに、一般人のテリトリーに話を戻しましょう。
彼らの嫌がらせが原因で精神を病んだら、あなたは「その人の心が弱かったからいけないのだ」と言うのでしょうか?
私ならそうは言わないでしょうね。
物事にはやはり限度というものがあるのです。
だから最近はこう思うようになりました。
こちらとしてもすべてのお客さんを平等に扱う必要なんぞ少しも無いぞと。
つまり、お気に入りの客だけを思いっきり優遇するわけです。
別に好きなお客さんを贔屓したっていいじゃないですか。何が問題なんですか?
どう考えたって温かいお客さんを大事にした方が生産的に決まっているじゃないですか。その人は次回作も買ってくれるだろうし、次回作を書く気力をくれるのです。
今日文句を言っている奴は明日も文句を言ってきます。なんでそんな人に注意力を削がないといけないのでしょう。
文句ばっかり言うお客さんは文句を言った時点でスッキリしているわけです。
そういう意味で私は説教カフェ的な役割を果たしてあげたわけですよ。次からは指名料をいただきたいぐらいです。あ、指名料は10,000円です(笑)。
軽口はともかくとして、他者の評価をまったく気にしないというのは(森博嗣みたいに最初から売れた人でない限り)ちょっと無理があるでしょう。売上にも響いてきますし、そこに作為があったら普通は怒るというものです。
それならば、無理くり清濁併せ飲む必要は無いという原理に従えばいいのだと思います。
評価が勝手なら、それを受け入れるかどうかもこちらの自由のはずです。
評価をする側というのは無責任です。彼らのアドバイスを受け入れたら作品がどうしようもない駄作になってしまう事だってあるし、それに対して無能なアドバイザー(笑)は責任を取らないのですから。
奴らはハメ技が得意です。
「人の意見に耳を傾けるべきだ」とか「忌憚無き意見こそ大事だ」とか――そういえば、「忌憚無き意見」というのはしばしば人を引き下げる口実ばかりに使われている気がしてなりません――もっともらしい事を言い、アドバイスに従って失敗したら「自己責任」とかほざくのです。個人的にはライフルで撃ってやりたいですね(笑)。
冗談はさて置き、もし自分の評価を絶対のものとして受け入れさせようという人がいたら、それは精神的な強姦なのだと思います。
そういう時はこう言ってやりなさい。
「それならあなたが自分でそういう話を書いてみたらいかがですか?」と。
彼らには書けません。
絶対に書けません。
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