前回ボクサー引退の記事を書きましたが、今回ばかりはネタではなくガチです。
その流れで思い出したのですが、現役中に
「もっとこうしときゃ良かったな」という事があったので、それを執筆に敷衍してご紹介したいと思います。
これはどの分野でもそうかもしれませんが、何か活動をしていて次のステップに進もうとすると
「お前にはまだ早い」と言われる事がよくあります。ボクシングなら試合がそれに当たるかもしれません。執筆なら小説一つを書き上げる行為でしょうか。とにかく、成果物を作る行為ですね。
まあ、第三者の意見に耳を傾ける事は大事です。ですが、
この「まだ早い」という考え方には時々罠も含まれています。
というのも、
第三者から見たら明らかに性急な挑戦でも、肝心の本人が「どこがどう性急なのか」を理解していない場合がままあるからです。それはガードの甘さかもしれませんし、同じ所にずっと留まってパンチを打つ癖かもしれません。
いずれにしてもボクサー(プレイヤー)自身は自分の何がまずいのかを大抵理解出来ていません。というか、出来ていたらトレーナーは必要ありません。
小説の場合ならリアリティーの無い会話や、むやみやたらに伏線を張る悪癖かもしれません。課題は人それぞれです。
ですが、
もしその修正点を本人が的確に理解しているのならば、周囲がいちいち指摘しなくても「僕にはこういう甘い所がある」と彼は言い、勝手に一人で強くなっていくでしょう。それが理解だからです。
さて、
自分に何が足りないのかを掴めぬまま、「まだ早い」という漠然とした理由だけで鍛錬を積んだらどうなるでしょうか?たとえ人一倍努力したとしても、その課題はどうにもなりません。
本人が何を修正したらいいのかを理解していないからです。間違っているものを正すのではなく、間違っている何かを模索し続ける事になります。これはなかなか悲惨です。どの分野であれ、この罠に嵌まると羅針盤を失った船のように技術が向上しなくなります。
こんな事を言うとインストラクター業の方から怒られてしまうかもしれませんが、
時として周囲の反対を押し切ってでも一歩を踏み出す勇気が必要な場合もあります。
第三者から見たら明らかに無謀な挑戦でも、
ボコボコにされたら(つまり大失敗したら)その人は自分で敗因を考えます。
そこで挫折してしまう人もいるかもしれませんが、そういう人は温室で育ててもゆくゆくは挫折します。失敗する事に耐性が無いからです。
よほどの天才で無い限り失敗はしますし、本物の天才は残念ながら自分が成功する事を少しも疑っていません。ちょっとした理不尽ですね(笑)。
冗談はさておきですが、
「まだ早い」と言って挑戦を避けるよりは、まず挑戦して挫折を味わい、そこから上に行くには何が必要なのかを学んだ方がずっと早いわけです。
たしかに絶対に失敗してはいけない時もあります。でも、そんなにありません。少なくともトップどころか、もう時間の無い人だけがそういう事態に直面する事になるのです。
挑戦する事を避けるたびに、あなたは「もう時間が無い」という焦りを持った人に近付いていきます。実践から遠ざかるのでモチベーションの維持も大変になるでしょう。
これが私の味わった地獄です(笑)。せっかくなのでこれを文藝に敷衍してみましょう。
「この技術とこの技術を学んで、この本を読んだら長編小説を一個書こう」いいえ、それでは遅いのです。
それをやるぐらいなら、書きながら読み、そして技術を習得する事です。
学習と実践を乖離させると、その分だけ適用までのタイムラグが出来上がり、しばしば技術は机上の空論と化してしまいます。車に長く乗っていないとペーパードライバーになってしまうのと同じです。
伏線の張り方を覚えたなら、
今使いなさい。
ネタとしてはちょっと古くなってしまいましたが、「いつやるの?」と訊かれたら
「今」なのです。余計な時間や実践を挟んではいけません。
大事なのはもっともっと先にある自分の完成形です。
挫折が早ければ学び、修正するのも早いです。ですが、「まだ早い」と問題を先送りにしていると、本来修正するべき点の発見がどんどん遅れて、その内自分にとって何が問題だったのかすら分からなくなってしまいます。
これが「まだ早い」に潜む罠です。
本当の課題は実践で失敗した時でないとなかなか分かりません。小説が巧くなりたかったら小説を書けというのはそういう事です。
スポンサーサイト