ただこの胸には清々しさと、
- 2016/09/27
- 00:04
とうとうこの日が来た。
ごく私的な話になるけれど、グローブを壁に掛ける日が来た。つまり、ボクサーを引退するという事だ。
才能も実りも無いのに随分と長いキャリアだった。まともな人間ならとっくに辞めている。あまりにも折れない心というものは時として悲劇を生む。温かい仲間と寛容な指導者だけには恵まれていた。それが救いか。
なぜここまで悪あがきが続いたのか、自分ですら分からない。後半のモチベーションはひたすら反骨心と意地だけだった。正直なところ、競技の映像を観るのもキツいぐらいうんざりしていた。
随分と昔にも一度引退をした。思えばあの後は死に場所を探していただけなのかもしれない。
生きる目標を失い、長い長い余生をどうにか煌めかせるために独りもがいていた。
再び立ち上がっても、トンネルを抜けてもその先は暗闇だった。どこまで行っても明けない夜。太陽が寝坊しているような毎日を過ごすのはなかなかしんどい。
夜目に慣れすぎて、光が見えた頃には目が眩んで何も視認する事が出来なくなっていた。
人はそれを努力と呼ぶらしい。
――明日から帰り道が変わる。
いつも無視していたガールズバーの客引きも今日で見納めか。一度ぐらい来店してやれば良かった。今さらになって、どうでもいい事に妙な感慨を禁じえない。
とはいえ、今はただ清々しい。
底辺なりにもやりきったせいか、悲愴感は微塵も無い。
身体も五体満足で、滑舌はそもそもあまり良くない。心に穴も空いていない。この先の人生も余生ではなく、歩むべき道に見える。
最底辺のベクトルではあるものの、それなりに最高の終わり方が出来たのだろう。
本人特定を避けるために紹述は省くけれど、俺のキャリアは実に雑魚らしい最後だった。
「勝つにはこれしかないだろう」という作戦を採用し、「負けるならこのパターンだろう」という予想をものの見事に再現した。まるで、プロットがあったみたいに。
コンディションも良かった。精神面も過去最高。負けたのは実力不足以外の何物でもない。
世間は俺をただの噛ませ犬としか見ないだろう。実際その通りだけど。
今回の試合に負けたら最後というのは決まっていた。
だから死ぬ気で練習はしたものの、それで届かなかったものはどうしようもない。単に才能がありませんでしたと言わざるを得ない。
今は本当にスッキリしていて、あまりにも悔いが無い。これでいいのかとすら思う。まあ、幸せならいいか。もう腹にひっかかりを持って生きていく事もないだろう。願望込みだけど。
もう何年も前になるけど、一度引退したくせにいきなり復帰するとか言い出して、その時に謝った人は赦してくれるだろうか。そう思ったけど、ここまで色んなものを自己破壊しつくした俺を彼らが怨む事は無いだろう。
最後の帰り道が終わろうとしている。
ただの帰り道。でも、俺がこの道から帰宅するのは最後になる。
近所なのに、もうこの道順を辿らないのかと思うと何とも言えない気持ちになる。
今は沢山食べて、沢山寝よう。
ああ、でもブクブク太るのは嫌だな。下世話な女から「レースクイーンみたい」と言われたくはないけど、アスリートらしいボディラインは保ちたい。
あれだけ嫌がっていた体型にすら寂しさを覚えている。今日の俺はちょっとおかしい。
開き直って昔の女でも思い出すか。今はまるで容貌が変わっているだろうけど。
思い出は美しい。
そう、いつまでも美しい。
事務連絡
残念な事に俺はまだ生きている。
だから俺の事は忘れ、自由に、幸せに生きてくれ。
たとえ怨まれても、あなたの幸せを願っている。
約束を果たせなかった裏切り者より
ごく私的な話になるけれど、グローブを壁に掛ける日が来た。つまり、ボクサーを引退するという事だ。
才能も実りも無いのに随分と長いキャリアだった。まともな人間ならとっくに辞めている。あまりにも折れない心というものは時として悲劇を生む。温かい仲間と寛容な指導者だけには恵まれていた。それが救いか。
なぜここまで悪あがきが続いたのか、自分ですら分からない。後半のモチベーションはひたすら反骨心と意地だけだった。正直なところ、競技の映像を観るのもキツいぐらいうんざりしていた。
随分と昔にも一度引退をした。思えばあの後は死に場所を探していただけなのかもしれない。
生きる目標を失い、長い長い余生をどうにか煌めかせるために独りもがいていた。
再び立ち上がっても、トンネルを抜けてもその先は暗闇だった。どこまで行っても明けない夜。太陽が寝坊しているような毎日を過ごすのはなかなかしんどい。
夜目に慣れすぎて、光が見えた頃には目が眩んで何も視認する事が出来なくなっていた。
人はそれを努力と呼ぶらしい。
――明日から帰り道が変わる。
いつも無視していたガールズバーの客引きも今日で見納めか。一度ぐらい来店してやれば良かった。今さらになって、どうでもいい事に妙な感慨を禁じえない。
とはいえ、今はただ清々しい。
底辺なりにもやりきったせいか、悲愴感は微塵も無い。
身体も五体満足で、滑舌はそもそもあまり良くない。心に穴も空いていない。この先の人生も余生ではなく、歩むべき道に見える。
最底辺のベクトルではあるものの、それなりに最高の終わり方が出来たのだろう。
本人特定を避けるために紹述は省くけれど、俺のキャリアは実に雑魚らしい最後だった。
「勝つにはこれしかないだろう」という作戦を採用し、「負けるならこのパターンだろう」という予想をものの見事に再現した。まるで、プロットがあったみたいに。
コンディションも良かった。精神面も過去最高。負けたのは実力不足以外の何物でもない。
世間は俺をただの噛ませ犬としか見ないだろう。実際その通りだけど。
今回の試合に負けたら最後というのは決まっていた。
だから死ぬ気で練習はしたものの、それで届かなかったものはどうしようもない。単に才能がありませんでしたと言わざるを得ない。
今は本当にスッキリしていて、あまりにも悔いが無い。これでいいのかとすら思う。まあ、幸せならいいか。もう腹にひっかかりを持って生きていく事もないだろう。願望込みだけど。
もう何年も前になるけど、一度引退したくせにいきなり復帰するとか言い出して、その時に謝った人は赦してくれるだろうか。そう思ったけど、ここまで色んなものを自己破壊しつくした俺を彼らが怨む事は無いだろう。
最後の帰り道が終わろうとしている。
ただの帰り道。でも、俺がこの道から帰宅するのは最後になる。
近所なのに、もうこの道順を辿らないのかと思うと何とも言えない気持ちになる。
今は沢山食べて、沢山寝よう。
ああ、でもブクブク太るのは嫌だな。下世話な女から「レースクイーンみたい」と言われたくはないけど、アスリートらしいボディラインは保ちたい。
あれだけ嫌がっていた体型にすら寂しさを覚えている。今日の俺はちょっとおかしい。
開き直って昔の女でも思い出すか。今はまるで容貌が変わっているだろうけど。
思い出は美しい。
そう、いつまでも美しい。
事務連絡
残念な事に俺はまだ生きている。
だから俺の事は忘れ、自由に、幸せに生きてくれ。
たとえ怨まれても、あなたの幸せを願っている。
約束を果たせなかった裏切り者より
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