悪夢の教え子(意識高い系の話)
- 2016/09/13
- 23:46
KDP市場に書き方系の本が溢れているのは有名な話ですが、単純に読み物として楽しんでいる人も存外に多いみたいです。というか、私がその一人なのですが。
そこである事を思い出しました。
次々と出る指南書に文句を言いつつも、ついつい新刊が出ると買わずにはいられない人がいますよね? そして低レビューを投じてはまた新しいHOW TO本を手に取るわけですが(笑)。
あの現象には以下に述べる要素がいくらか関わっています。
例えばですが、よくカスタマーレビューで「自分は著者よりも実力が上だ」という前提において書かれた文章が散見されますよね? ありますよね? ありますよね?
まあ、実際にそのレビュアーは大抵が自分の方が上だと思っています。なら来なきゃいいのにね(笑)。
それはさておき、何かを勉強する際に致命的になるアティテュード(姿勢)があります。
すごい間抜けに聞こえるかもしれませんが、「私はそれを知っている」という精神的姿勢で勉強に取り組むと、控えめに申し上げても無残な結果に終わります。
というのも、その人は知っている事を学ぶのですから、あらゆる知識は彼の脳ミソをすり抜けていきます。
新しい知識を身に付けるはずが、自分がその科目に精通している事を確認する作業になってしまうのですね。
こうなると新しい知識はまるで入って来ません。だって、彼は知っている(と思っている)からです。その確信を揺るがそうものなら、彼は怒り狂う事でしょう。
あなたにも似たような話が一度ぐらい無いでしょうか?
特にキャリアが長く、腕に自信のある主題を思い浮かべて下さい。
そこには確固たる自分という、どうしようもなく硬く、柔軟性に欠けた自我というやつがあるんです。
ポジティブな人はそれを見て「いやいや、彼は自分を持っているだけですよ」と擁護しますが、実態はそんなに立派なものでもありません。その人は最初っから何も学ぶ気が無いのです。
嫌味もそこそこにしておきますが、教える側からしてこういう姿勢を持った生徒は最悪です。
そいつは誰かに教えを請うて自分を高めようとしているのではなく、あくまで自分の指針を貫き通そうとするからです。
その人は習いに来ているのではないのです。
自分のやり方が正しいと確認しに来ているだけなのです。
そうなると彼は自分を肯定してくれそうな人だけに師事し、厳しい事を言う人を敵とみなします。だから仲の良い人でもちょっと彼のプライドを傷付けるようなアドバイスを送るとすぐに去っていき、「あのコーチは最悪だった」と言いふらす事になります。いわゆる正当化ですね。
気付けば彼は自分ですら意味の分からない小競り合いに身を投じています。
はっきり言いましょう。時間の無駄です。
自分の築いたものを確認したいという気持ちは分かりますが、最初から学ぶ気もなく文句を言うためだけにやって来る人は成長しません。絶対に。
そういう人は大体ちょっと見ただけで分かります。彼の中で明らかに結論が出てしまっているからです。それは外側ににじみ出てきます。
そんな人がいくら指南書を読んだところで技術的に成長するというのはありえないのです。向上をゴールにしていないからです。
これは自戒も込めたいところですが、自分が精通しているという主題ほど尊大な気持ちで学んではいけないのです。
もしあなたが一番でないのなら、学ぶ必要性を軽んじて勉強に臨んではいけない。
成長したければ、これを忘れてはいけません。
そこである事を思い出しました。
次々と出る指南書に文句を言いつつも、ついつい新刊が出ると買わずにはいられない人がいますよね? そして低レビューを投じてはまた新しいHOW TO本を手に取るわけですが(笑)。
あの現象には以下に述べる要素がいくらか関わっています。
例えばですが、よくカスタマーレビューで「自分は著者よりも実力が上だ」という前提において書かれた文章が散見されますよね? ありますよね? ありますよね?
まあ、実際にそのレビュアーは大抵が自分の方が上だと思っています。なら来なきゃいいのにね(笑)。
それはさておき、何かを勉強する際に致命的になるアティテュード(姿勢)があります。
すごい間抜けに聞こえるかもしれませんが、「私はそれを知っている」という精神的姿勢で勉強に取り組むと、控えめに申し上げても無残な結果に終わります。
というのも、その人は知っている事を学ぶのですから、あらゆる知識は彼の脳ミソをすり抜けていきます。
新しい知識を身に付けるはずが、自分がその科目に精通している事を確認する作業になってしまうのですね。
こうなると新しい知識はまるで入って来ません。だって、彼は知っている(と思っている)からです。その確信を揺るがそうものなら、彼は怒り狂う事でしょう。
あなたにも似たような話が一度ぐらい無いでしょうか?
特にキャリアが長く、腕に自信のある主題を思い浮かべて下さい。
そこには確固たる自分という、どうしようもなく硬く、柔軟性に欠けた自我というやつがあるんです。
ポジティブな人はそれを見て「いやいや、彼は自分を持っているだけですよ」と擁護しますが、実態はそんなに立派なものでもありません。その人は最初っから何も学ぶ気が無いのです。
嫌味もそこそこにしておきますが、教える側からしてこういう姿勢を持った生徒は最悪です。
そいつは誰かに教えを請うて自分を高めようとしているのではなく、あくまで自分の指針を貫き通そうとするからです。
その人は習いに来ているのではないのです。
自分のやり方が正しいと確認しに来ているだけなのです。
そうなると彼は自分を肯定してくれそうな人だけに師事し、厳しい事を言う人を敵とみなします。だから仲の良い人でもちょっと彼のプライドを傷付けるようなアドバイスを送るとすぐに去っていき、「あのコーチは最悪だった」と言いふらす事になります。いわゆる正当化ですね。
気付けば彼は自分ですら意味の分からない小競り合いに身を投じています。
はっきり言いましょう。時間の無駄です。
自分の築いたものを確認したいという気持ちは分かりますが、最初から学ぶ気もなく文句を言うためだけにやって来る人は成長しません。絶対に。
そういう人は大体ちょっと見ただけで分かります。彼の中で明らかに結論が出てしまっているからです。それは外側ににじみ出てきます。
そんな人がいくら指南書を読んだところで技術的に成長するというのはありえないのです。向上をゴールにしていないからです。
これは自戒も込めたいところですが、自分が精通しているという主題ほど尊大な気持ちで学んではいけないのです。
もしあなたが一番でないのなら、学ぶ必要性を軽んじて勉強に臨んではいけない。
成長したければ、これを忘れてはいけません。
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