もういっそゴーストライターが主流になっちゃえばいいんじゃないの?
- 2016/09/11
- 00:26
この前Kindle Storeにて話題の電子書籍があり、価格も安かったのでDLしてみました。
レビューもかなり好評価だったので期待して読んだのですが、読了後の率直な感想を言うと「面白いけどそんなに話題になるレベルか?」という印象でした。
……さあ、お待ちかねの危険な話題ですよ(笑)。
最近になって本当に思うのは、小説が売れるか売れないかは作者の筆力ではなく、もっぱら著者の知名度に関わっているのではないかと。
芸能界では又吉という例外はいたものの――火花は手放しに素晴らしい作品でした――芸能人の書いた小説を読んでいると「う~ん、やっぱりこんなモンっすよね~(笑)」みたいな作品も沢山あるわけで……。
でも、普通の作家よりも売れるんですよね。そもそものファン基盤が違いすぎるから。
たまたま「IMAGO」で似たような発想があったのですが、もう芸能人を前面に出してゴーストライターをオープンな存在にしてしまうのも戦略の一つかな~なんて思っています。
佐村河内守方式ではなく、hideを松本秀人(≠hide)とINAでプロデュースするような感覚ですかね。表舞台に立つ人と作家の役割を分離して、一人のキャラクターとして売り込むみたいな。
そんな事をやった方が――「プライドが無いのか」と一部から激怒されるのは間違いないでしょうが――小説の売上には繋がるんじゃないかと。
私がかなり後悔している部分で、月狂四郎という男性ペンネームではなく水城ルナとか(テキトーですが 笑)筆名を女性っぽい名前にしておいた方が売上が違ったんじゃねーかと思っている部分があるわけです(実際違ったでしょう)。同じ事を言っていても、女性作家だとリアクションが違いますし。
最近有名になった感動ポルノなる単語がありますよね。
水を得た魚のようにネットの民が多用している印象があるのですが、「それでもあんたら一回はその感動ポルノとやらに引っかかった事があるんでしょう?」と。人の常なのか、男性はポルノに弱いし女性は(特に感傷的な)感動に弱い傾向があります。まあ、この言葉で言うポルノは意味がちょっと違いますけど。
なんだかんだそこを突く商売人はいるんでしょうね。佐村河内守の曲も彼が表舞台に立っていなかったらそこまで売れたのかという疑問がありますし、そういうハンデを持った人に(言い方はすごい難しいのですが)私達はどこか優越感を持って接してしまっている部分があったのかもしれませんね。
三島由紀夫の「金閣」でも世間にとって痛~いところを突いているのですが、現在の作品でそれをやったら多分アウトなのでしょう。世間全般がランバージャック陪審員制度みたいになっていて、色々下準備をした上で主張をしないとボコボコに叩かれてしまいますしね。芸術家がいなくなるのも当然なのかもしれません。
(ランバージャックイメージ)
さて、私は何を言いたかったのでしょうね……?(笑)
自分で書いていて分からなくなりました。
まあ強引にまとめるとアレですね。本が売れるためには、筆力というのはあくまで一要素でしかないという事ですかね。
まずはそこに本があると知らせる事。
内容以前に、その周知が足りていないのではないかと、昨今の出版不況を見ていて思うのでした。その内小説家は軒並みオープンなゴーストライターと化す時代が来るかもしれませんね。
レビューもかなり好評価だったので期待して読んだのですが、読了後の率直な感想を言うと「面白いけどそんなに話題になるレベルか?」という印象でした。
……さあ、お待ちかねの危険な話題ですよ(笑)。
最近になって本当に思うのは、小説が売れるか売れないかは作者の筆力ではなく、もっぱら著者の知名度に関わっているのではないかと。
芸能界では又吉という例外はいたものの――火花は手放しに素晴らしい作品でした――芸能人の書いた小説を読んでいると「う~ん、やっぱりこんなモンっすよね~(笑)」みたいな作品も沢山あるわけで……。
でも、普通の作家よりも売れるんですよね。そもそものファン基盤が違いすぎるから。
たまたま「IMAGO」で似たような発想があったのですが、もう芸能人を前面に出してゴーストライターをオープンな存在にしてしまうのも戦略の一つかな~なんて思っています。
佐村河内守方式ではなく、hideを松本秀人(≠hide)とINAでプロデュースするような感覚ですかね。表舞台に立つ人と作家の役割を分離して、一人のキャラクターとして売り込むみたいな。
そんな事をやった方が――「プライドが無いのか」と一部から激怒されるのは間違いないでしょうが――小説の売上には繋がるんじゃないかと。
私がかなり後悔している部分で、月狂四郎という男性ペンネームではなく水城ルナとか(テキトーですが 笑)筆名を女性っぽい名前にしておいた方が売上が違ったんじゃねーかと思っている部分があるわけです(実際違ったでしょう)。同じ事を言っていても、女性作家だとリアクションが違いますし。
最近有名になった感動ポルノなる単語がありますよね。
水を得た魚のようにネットの民が多用している印象があるのですが、「それでもあんたら一回はその感動ポルノとやらに引っかかった事があるんでしょう?」と。人の常なのか、男性はポルノに弱いし女性は(特に感傷的な)感動に弱い傾向があります。まあ、この言葉で言うポルノは意味がちょっと違いますけど。
なんだかんだそこを突く商売人はいるんでしょうね。佐村河内守の曲も彼が表舞台に立っていなかったらそこまで売れたのかという疑問がありますし、そういうハンデを持った人に(言い方はすごい難しいのですが)私達はどこか優越感を持って接してしまっている部分があったのかもしれませんね。
三島由紀夫の「金閣」でも世間にとって痛~いところを突いているのですが、現在の作品でそれをやったら多分アウトなのでしょう。世間全般がランバージャック陪審員制度みたいになっていて、色々下準備をした上で主張をしないとボコボコに叩かれてしまいますしね。芸術家がいなくなるのも当然なのかもしれません。
(ランバージャックイメージ)
さて、私は何を言いたかったのでしょうね……?(笑)
自分で書いていて分からなくなりました。
まあ強引にまとめるとアレですね。本が売れるためには、筆力というのはあくまで一要素でしかないという事ですかね。
まずはそこに本があると知らせる事。
内容以前に、その周知が足りていないのではないかと、昨今の出版不況を見ていて思うのでした。その内小説家は軒並みオープンなゴーストライターと化す時代が来るかもしれませんね。
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