一人称独特の難しさ
- 2016/08/13
- 02:21
一人称の物語を描く時、何気に難しい事があります。
それは、あえて未熟な精神性を描く時ですね。
仮にヒーロー物の主人公が、神のようになんでもやるべき事を知っていて、ものすごく効率良く悪党を退治してしまったらどうなるでしょうか?
まあ、それは本当につまらないストーリーになるでしょうね。
なぜか?
そこには人間らしさが無いからです。
ゲーテは言っていました。「人は生きている限り迷うものだ」と。
つまり、問題という問題をスルスルと解決してしまう人間はもはや人間ではないのです。
それを人は神と呼びます。
そうなると、小説の登場人物にはいくらか間抜けなトラップに引っかかってもらう必要が出てきます。さながら、日常の私達のように。
あなたは普段生きていて、次の瞬間に何が起こるか知っていますか?
知っているわけないですよね?
一人称の物語を描く時に必要なのは、キャラクターが持っている主観と作者としての主観を同時に機能させる事です。
太郎という主観はこの先にトラブルが起こるのを知らない。でも、神として機能する作者は、次に何が起こるかを完璧に知っている。
この辺の住み分けを上手く機能させて物語を展開させていきます。
そう考えると、モノローグを書くためには、作家は二重人格にならないといけないわけですね。三人称より一人称の方が簡単という説は必ずしも一概には言えないわけです。
たとえば未熟な精神性を描く時、その登場人物には身勝手な価値観やらクズっぽい独白をさせていきます。作者が良く出来た人間かどうかは関係無い。その人は作者ではないからです。
それが分かっていると「どうやって自意識過剰に見せようか」とか「ここでこういう言葉を言わせれば全世界の女性を敵に回す事が出来るな(笑)」とかいう事を考えられるわけです。
たまに主人公があまりにも優秀過ぎる小説を見ます。そういう時は、攻略本を隣に置いてゲームをするような作業感を得るものです。つまり、スリルが無い。
わざとそうやっている場合は例外ですが、その場合はその旨を読者が理解出来るような造りにしないといけません。
ほら、なかなか難しいでしょう?
物語の登場人物はいくらか抜けている部分が無いといけない場合がある。
これを覚えておくと、よりリアルな物語に近付けるでしょう。
それは、あえて未熟な精神性を描く時ですね。
仮にヒーロー物の主人公が、神のようになんでもやるべき事を知っていて、ものすごく効率良く悪党を退治してしまったらどうなるでしょうか?
まあ、それは本当につまらないストーリーになるでしょうね。
なぜか?
そこには人間らしさが無いからです。
ゲーテは言っていました。「人は生きている限り迷うものだ」と。
つまり、問題という問題をスルスルと解決してしまう人間はもはや人間ではないのです。
それを人は神と呼びます。
そうなると、小説の登場人物にはいくらか間抜けなトラップに引っかかってもらう必要が出てきます。さながら、日常の私達のように。
あなたは普段生きていて、次の瞬間に何が起こるか知っていますか?
知っているわけないですよね?
一人称の物語を描く時に必要なのは、キャラクターが持っている主観と作者としての主観を同時に機能させる事です。
太郎という主観はこの先にトラブルが起こるのを知らない。でも、神として機能する作者は、次に何が起こるかを完璧に知っている。
この辺の住み分けを上手く機能させて物語を展開させていきます。
そう考えると、モノローグを書くためには、作家は二重人格にならないといけないわけですね。三人称より一人称の方が簡単という説は必ずしも一概には言えないわけです。
たとえば未熟な精神性を描く時、その登場人物には身勝手な価値観やらクズっぽい独白をさせていきます。作者が良く出来た人間かどうかは関係無い。その人は作者ではないからです。
それが分かっていると「どうやって自意識過剰に見せようか」とか「ここでこういう言葉を言わせれば全世界の女性を敵に回す事が出来るな(笑)」とかいう事を考えられるわけです。
たまに主人公があまりにも優秀過ぎる小説を見ます。そういう時は、攻略本を隣に置いてゲームをするような作業感を得るものです。つまり、スリルが無い。
わざとそうやっている場合は例外ですが、その場合はその旨を読者が理解出来るような造りにしないといけません。
ほら、なかなか難しいでしょう?
物語の登場人物はいくらか抜けている部分が無いといけない場合がある。
これを覚えておくと、よりリアルな物語に近付けるでしょう。
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