置き換えという罠
- 2016/07/22
- 13:49
私は自著やブログで教理の如く「小説がうまくなりたかったらとにかく書け」と言ってきましたが、そういう事を言っていると必ず「ただ書いていても上手くはならない」という声が上がります。
まあ私に言わせれば「くだらねー事を言ってんじゃねーよ」というところでございます。
というのも、自分が書き上げた物を客観的に見て、課題を見つけて自己研鑽するプロセスはあまりにも当たり前ですから、いちいち言うのも野暮ってもんでしょう。
書いて、課題を見付けて、次回作で直しつつ作品をまた書く。このプロセスが一番大事だという事ですよ。
で、今回は自己研鑽に潜む「置き換えの罠」について語ります。
第三者的な視点を手に入れるため、執筆とは別のカテゴリーから見てみましょう。
あるボクサーがいたとして、ディフェンスに難があったとします。
そこでディフェンス練習をするのですが、パンチがバカスカ当たるので、このままだと体が持ちそうにありません。
そこで彼はトレーナーにタオルを持たせ、それをパンチに見たててよける練習をします。
さて、その結果はどうなるでしょうか?
答えは大抵次のようになります。
彼は攻撃をかわすのがとても上手になります。ただ、タオルに限っての話ですが(笑)。
このように、何か苦手な要素を他の鍛錬に置き換えても上手くいかない傾向があります。
それはしばしば問題の本質から目を逸らしているだけだからです。
遠回りになりましたが、これはどのような自己研鑽についても言えます。枝をどれだけカッコよく整えたところで、幹の部分が変わるわけではありません。大切な事は、何が幹に当たる部分なのかを自分で見付けて磨く事なのです。
小説に限って言えばやはり作品を一から完成まで持っていく事。その間に反省と学習があるわけです。
ちまちまと細かい事にとらわれていると、本当にやらないといけない事から知らず知らず遠ざかってしまいます。
置き換えという罠に嵌らない事です。

……何気にリーダビリティーの本が瞬間的に稀書目録のカテゴリー(何やねんそのニッチなカテゴリーは)で1位になっていました。今は予定通り陥落しております(笑)。
まあ私に言わせれば「くだらねー事を言ってんじゃねーよ」というところでございます。
というのも、自分が書き上げた物を客観的に見て、課題を見つけて自己研鑽するプロセスはあまりにも当たり前ですから、いちいち言うのも野暮ってもんでしょう。
書いて、課題を見付けて、次回作で直しつつ作品をまた書く。このプロセスが一番大事だという事ですよ。
で、今回は自己研鑽に潜む「置き換えの罠」について語ります。
第三者的な視点を手に入れるため、執筆とは別のカテゴリーから見てみましょう。
あるボクサーがいたとして、ディフェンスに難があったとします。
そこでディフェンス練習をするのですが、パンチがバカスカ当たるので、このままだと体が持ちそうにありません。
そこで彼はトレーナーにタオルを持たせ、それをパンチに見たててよける練習をします。
さて、その結果はどうなるでしょうか?
答えは大抵次のようになります。
彼は攻撃をかわすのがとても上手になります。ただ、タオルに限っての話ですが(笑)。
このように、何か苦手な要素を他の鍛錬に置き換えても上手くいかない傾向があります。
それはしばしば問題の本質から目を逸らしているだけだからです。
遠回りになりましたが、これはどのような自己研鑽についても言えます。枝をどれだけカッコよく整えたところで、幹の部分が変わるわけではありません。大切な事は、何が幹に当たる部分なのかを自分で見付けて磨く事なのです。
小説に限って言えばやはり作品を一から完成まで持っていく事。その間に反省と学習があるわけです。
ちまちまと細かい事にとらわれていると、本当にやらないといけない事から知らず知らず遠ざかってしまいます。
置き換えという罠に嵌らない事です。

……何気にリーダビリティーの本が瞬間的に稀書目録のカテゴリー(何やねんそのニッチなカテゴリーは)で1位になっていました。今は予定通り陥落しております(笑)。
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