ピリオド――「名無しの挽歌」望月レインの日記
- 2016/07/16
- 08:00
駅の改札前にいる。
今日はツイていない。事務所はすぐそこなのに、記録的な豪雨のせいで一寸先は汚らしいホワイトアウトになっている。走ればなんとかなりそうな気もするけど、ずぶ濡れになるのが嫌だったので、様子を見ながら雨宿りをしている。
バス停の方からは、哀れな犠牲者達が顔をしかめながら走ってくる。あの濡れ方から察するに、ここを強引に突っ切ろうとすれば悲劇が待っているに違いない。
ずぶ濡れになった夏服の女子高生を、サラリーマンがじっと眺めていた。視線を追えば、何を考えているのか手に取るように分かる。もっと巧くやってほしい。
所在無く、スマホを取り出してニュースを見てみる。関東圏はどこも豪雨みたい。することも無いので、そのままスマホいじりを続けた。
ヤフーニュースを眺めていると、強制的にAVに出演させられた人の記事が掲載されていた。最近、こんなのが多い気がする。わたしがこうしているように、日本中で雨宿り組の人達がこの記事を見ているんだろうかと思うと、不思議で、複雑な気分になった。
もしかしたら、わたしの周囲にいる誰かも、同じ記事を読んでいるのだろうか?
スッピンなので、今日はマスクで顔を覆っている。カラーコンタクトもしていないから、周囲の人間がわたしを見ても、かの芥川賞を受賞したイロモノ作家、望月レインだとは気付かないだろう。
もっとオーラのある人なら状況は違うのかもしれないけど、周囲がすぐ気付くほど輝いているなら、わたしはそもそも辛酸を舐める日々を送らなかったのだと思う。
もう一度、さっきの記事を見やった。昔の自分を見ているようで気が重くなる。
わたしもAVの世界に入る前は銀幕女優を目指していた時期なんかあったな。忘れたいけど忘れられない黒歴史ってやつ。
昔に比べて、時代はずいぶんと変わったのだと思う。
ヘタな芸能人よりもユーチューバーの方が稼いでいるし、誰もが芸術作品を世に送り出すことが出来て、誰もがそれを賞賛したりこきおろしたり出来る。
大抵の人が盛り上がるのは、自意識をこじらせた人間に嘲笑と否定を浴びせる行為ばかり。そうやって本当に才能のある人まで潰していってしまうから、世の中にあるコンテンツは毛細血管みたいに広がりながら、その実テンプレ化していくっていう流れ。以上、辛酸を舐めまくったわたしの分析。
……AVに出れば、世間の人はおおよそ「自己責任」という正論を振りかざしてくる。
あなたはそんなものに出るべきじゃなかったとか、金目当てで出たんだろうとか、そんなことを好き勝手言われる。
だけど、現実はそんなに単純なものじゃない。
売れない芸能人が引退するか、それとも一縷の望みに賭けてAVに出るかという選択を迫られることは確かにある。どちらもジョーカーかもしれない。それでもどちらかのカードを引かなければいけない時はある。
世間が「いらない」と言えば、わたし達に存在価値なんてない。残酷だけど、それが現代社会の原理だ。
誰もが「自己実現したいわたし」に付き合えるわけじゃない。誰もが自意識をこじらせて、誰もが他人に石を投げたがっている。一億総自意識こじらせ時代。それが現代社会の抱える病理。だから今日も心療科は大繁盛している。みんな傷付いて、魂からは血を流しているから。
時々怖くなる。もしわたしが無名のまま消えていった存在だったとしたら、って。
思い出すなあ、マネージャーからAVのオファーを聞いた時。
夢も希望も無い、なんて生易しいものじゃない。「わたしは騙されていたんだ」とか、「この人は最初っからわたしを裏切るつもりだったんだ」とか、色々考えた。成功出来なかったら今でもそう思っていたのかもしれない。
夢はいつも痛い。それは見えない棘で覆われていて、必死になって抱えていると、気が付いたら血だらけになっている。
みんなを笑顔にしたかった。みんなを幸せにしたかった。
そんなピュアな願望も、気付けば嫉妬や醜い感情に変わっている。
ここで諦めれば、応援してくれたあの人も、この人も、わたしは裏切ることになる。
そう思うと、荊の道と分かっていても、裸足で駆け抜けるしかなかった。今さら裏切ることなんて出来なかった。わたしを突き動かしていたのはただの使命感であり義務感……それだけだった。
幸いにしてわたしは新天地で成功を収めることが出来たけど、あれから古い友人にも家族にも会っていない。近況を話してもいない。出来るわけないでしょう?
……これが世間で成功したと言われている人間の現実。
周囲の人間は、そんなわたしに成功者のラベルを貼っただけ。
雨は、少しも止まない。湿度の高さも相まって、負の感情がせり上がってくる。今は押し込んでおかないと。
この雨も虹に変わるのだろうか?
いや、もう夜も近い。
わたし達はずぶ濡れにされて終わる。それで濡れ損なんだ、きっと。
止まない雨は無い。明けない夜もない。それでも終わりが来たらもう遅かったということはよくある話。誰もがハッピーエンドを迎えられるわけじゃない。それでも足掻く。この世界に少しでも爪痕を残すために、わたし達は不毛な努力をやめることが出来ない。
ホワイトアウトの向こう側から、中学生の男女が構内まで走ってきた。やっぱりずぶ濡れで、男の子が自分を犠牲にして差し出した傘も無意味だったみたい。
二人はお互いに透けまくった夏服から目を逸らしながら苦笑いしていた。女の子は、恥ずかしそうにしながらも男の子に恋心が芽生えているようだった。これはわたしの勘だけど。
駅の外をもう一度見やった。いまだに雨は弱まる気配すらない。
だけど、たまにはこんな日も悪くないなと、わたしは密かに思っていた。
雨がいつ止もうがどうでもいい。
どうせそれは、いつか終わりを迎えるのだから。
「名無しの挽歌」7月18日(月)午後5時頃から三日間に渡って無料配布。
今日はツイていない。事務所はすぐそこなのに、記録的な豪雨のせいで一寸先は汚らしいホワイトアウトになっている。走ればなんとかなりそうな気もするけど、ずぶ濡れになるのが嫌だったので、様子を見ながら雨宿りをしている。
バス停の方からは、哀れな犠牲者達が顔をしかめながら走ってくる。あの濡れ方から察するに、ここを強引に突っ切ろうとすれば悲劇が待っているに違いない。
ずぶ濡れになった夏服の女子高生を、サラリーマンがじっと眺めていた。視線を追えば、何を考えているのか手に取るように分かる。もっと巧くやってほしい。
所在無く、スマホを取り出してニュースを見てみる。関東圏はどこも豪雨みたい。することも無いので、そのままスマホいじりを続けた。
ヤフーニュースを眺めていると、強制的にAVに出演させられた人の記事が掲載されていた。最近、こんなのが多い気がする。わたしがこうしているように、日本中で雨宿り組の人達がこの記事を見ているんだろうかと思うと、不思議で、複雑な気分になった。
もしかしたら、わたしの周囲にいる誰かも、同じ記事を読んでいるのだろうか?
スッピンなので、今日はマスクで顔を覆っている。カラーコンタクトもしていないから、周囲の人間がわたしを見ても、かの芥川賞を受賞したイロモノ作家、望月レインだとは気付かないだろう。
もっとオーラのある人なら状況は違うのかもしれないけど、周囲がすぐ気付くほど輝いているなら、わたしはそもそも辛酸を舐める日々を送らなかったのだと思う。
もう一度、さっきの記事を見やった。昔の自分を見ているようで気が重くなる。
わたしもAVの世界に入る前は銀幕女優を目指していた時期なんかあったな。忘れたいけど忘れられない黒歴史ってやつ。
昔に比べて、時代はずいぶんと変わったのだと思う。
ヘタな芸能人よりもユーチューバーの方が稼いでいるし、誰もが芸術作品を世に送り出すことが出来て、誰もがそれを賞賛したりこきおろしたり出来る。
大抵の人が盛り上がるのは、自意識をこじらせた人間に嘲笑と否定を浴びせる行為ばかり。そうやって本当に才能のある人まで潰していってしまうから、世の中にあるコンテンツは毛細血管みたいに広がりながら、その実テンプレ化していくっていう流れ。以上、辛酸を舐めまくったわたしの分析。
……AVに出れば、世間の人はおおよそ「自己責任」という正論を振りかざしてくる。
あなたはそんなものに出るべきじゃなかったとか、金目当てで出たんだろうとか、そんなことを好き勝手言われる。
だけど、現実はそんなに単純なものじゃない。
売れない芸能人が引退するか、それとも一縷の望みに賭けてAVに出るかという選択を迫られることは確かにある。どちらもジョーカーかもしれない。それでもどちらかのカードを引かなければいけない時はある。
世間が「いらない」と言えば、わたし達に存在価値なんてない。残酷だけど、それが現代社会の原理だ。
誰もが「自己実現したいわたし」に付き合えるわけじゃない。誰もが自意識をこじらせて、誰もが他人に石を投げたがっている。一億総自意識こじらせ時代。それが現代社会の抱える病理。だから今日も心療科は大繁盛している。みんな傷付いて、魂からは血を流しているから。
時々怖くなる。もしわたしが無名のまま消えていった存在だったとしたら、って。
思い出すなあ、マネージャーからAVのオファーを聞いた時。
夢も希望も無い、なんて生易しいものじゃない。「わたしは騙されていたんだ」とか、「この人は最初っからわたしを裏切るつもりだったんだ」とか、色々考えた。成功出来なかったら今でもそう思っていたのかもしれない。
夢はいつも痛い。それは見えない棘で覆われていて、必死になって抱えていると、気が付いたら血だらけになっている。
みんなを笑顔にしたかった。みんなを幸せにしたかった。
そんなピュアな願望も、気付けば嫉妬や醜い感情に変わっている。
ここで諦めれば、応援してくれたあの人も、この人も、わたしは裏切ることになる。
そう思うと、荊の道と分かっていても、裸足で駆け抜けるしかなかった。今さら裏切ることなんて出来なかった。わたしを突き動かしていたのはただの使命感であり義務感……それだけだった。
幸いにしてわたしは新天地で成功を収めることが出来たけど、あれから古い友人にも家族にも会っていない。近況を話してもいない。出来るわけないでしょう?
……これが世間で成功したと言われている人間の現実。
周囲の人間は、そんなわたしに成功者のラベルを貼っただけ。
雨は、少しも止まない。湿度の高さも相まって、負の感情がせり上がってくる。今は押し込んでおかないと。
この雨も虹に変わるのだろうか?
いや、もう夜も近い。
わたし達はずぶ濡れにされて終わる。それで濡れ損なんだ、きっと。
止まない雨は無い。明けない夜もない。それでも終わりが来たらもう遅かったということはよくある話。誰もがハッピーエンドを迎えられるわけじゃない。それでも足掻く。この世界に少しでも爪痕を残すために、わたし達は不毛な努力をやめることが出来ない。
ホワイトアウトの向こう側から、中学生の男女が構内まで走ってきた。やっぱりずぶ濡れで、男の子が自分を犠牲にして差し出した傘も無意味だったみたい。
二人はお互いに透けまくった夏服から目を逸らしながら苦笑いしていた。女の子は、恥ずかしそうにしながらも男の子に恋心が芽生えているようだった。これはわたしの勘だけど。
駅の外をもう一度見やった。いまだに雨は弱まる気配すらない。
だけど、たまにはこんな日も悪くないなと、わたしは密かに思っていた。
雨がいつ止もうがどうでもいい。
どうせそれは、いつか終わりを迎えるのだから。
「名無しの挽歌」7月18日(月)午後5時頃から三日間に渡って無料配布。
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