新作の断片
- 2016/03/14
- 12:45
幸薄子(さち うすこ)は「それじゃあ後はお願いします」と事務所に引き返して行った。
「おい」
静かになった倉庫に、重苦しい声が響く。
振り返ると、さっきまで純朴そうに見えた増本の顔が、えらく底意地悪そうに歪んでいた。
「テメエ、初日から何やってんだ、ああ?」
胸倉を掴まれ、すさまじい力で引っ張られる。
「その、あの、だから幸薄子さんと再会したのが嬉しくて、つい……」
俺は遠慮なく幸薄子を悪者にした。
「舐めてるんじゃねえぞ、コラ!」
渇いた音が、倉庫内の静寂を破る。フルスイングのビンタを受けた俺は、色々な意味でヒザがガクガクしていた。
この男、二重人格か……。
増本はまだ俺の胸倉を掴んでいた。やっぱりというか、初日から大遅刻した新入りにご立腹だった。『そりゃそうだよな』と半分ぐらい思いながら、俺はされるがままにする。
「ったく、テメエのせいで仕事が増えちまった。初日っから迷惑かけてんじゃねえよ」
「はい、すいません。本当にすいません」
逆らってはダメだ。こういう時はヘタに抵抗すると大体裏目に出る。経験則でそれを知っている俺はなんとかこの場をやり過ごそうとする。
「幸薄子の紹介だか何だか知らねえけどよ、俺は手加減なんぞしないからな。覚悟しろや、コラ」
「は、はい。すいません。本当にすいません」
プライドの高い俺がもはやペコペコ祭りだ。それぐらい増本の放つ剣幕は凄かった。建築系の仕事にはその筋の人間もいると聞いた事があるが、増本もその類の人間なのかもしれない。
ようやくビンタから始まった説教を乗り越えると、今度は気まずい静寂に包まれる。立ちすくす俺を前に、増本は倉庫のシャッターを開ける。これから在庫の搬出入があるのか。
「あの、私はどうすれば……」
フォークリフトに乗り込もうとする増本の背中に話掛ける。増本は不機嫌そうに俺を睨んだ。
「ああ、じゃあそこに紙の束が置いてあるだろ」
増本の視線を追うと、ベニヤの上にさっきまで彼が持っていた書類が置かれていた。
「それがウチの在庫だ。俺がリフトを操作している間、数を確認しておけ」
増本は返事を待たず、フォークリフトを急発進させた。俺は倉庫にポツンと取り残される。
「在庫って……」
どうするんだよと思いつつ、紙束を手に取った。在庫が書かれた紙には種類別に商品が記載されているみたいだった。だが、ド素人の俺には「大ランバー」とか「エンボスボード」という表記が何を意味するのかさっぱり分からない。
どうしろと……。
途方に暮れた。だが、このままボーっとしていればまたアトミック・ビンタ・クラシャーが待っているに違いない。今度あれを受けたら泣いてしまいそうだ。今もそこそこ泣きそうだけど。
殴られたくなかった俺は、さっさと紙束を手に作業を始める。在庫数の横にチェックや数字が入っているので、数量を確認したらその結果を各数値の横に記入していくルールらしい。
まずは一番理解出来そうな石膏ボードへと向かった。これならバイトで何度も運んでいたし、見分けがつきそうな気がした。だが……。
「クロスボード?」
なんだ、クロスボードって。クロスカウンターなら知ってるし、黒酢も知っている。だがクロスボードなんぞ知らん。なんだ貴様はニュータイプか?
のっけから躓く。バイトで石膏ボードを運んでいる時は何も考えなくて良かったし、仮に何か訊かれてもベテランの運転手が答えてくれていた。あまり仕事に関わりたくなかった俺は、あえて彼らの会話を耳に入れないようにしていた。
よく後悔先に立たずなんて言うが、まさにその通りだ。もっと勉強しておけば良かったと思う時の最たる例だろう。俺はあの仕事で筋肉を増やしただけで、得るべきだった知識は何一つ獲得していなかったのだ。チャンチャン。
途方に暮れかけたが、もう一度殴られるのは嫌だったので、他に分かりそうな在庫から数えていく事にした。商品名が梱包に記載してあるような建材だ。それなら間違えようがない。
俺は梱包に商品名が記載されたグラスウールを皮切りに在庫を数えていく。カテゴリー的にはメチャクチャな順序で棚卸しをしているのだろうが、それでもまったく前進しないよりはいくらかマシなんだろう。
四苦八苦しながら作業を進めていると、不機嫌な顔をした増本がフォークリフトに乗って戻って来た。
「終わったか」
「いや、まだ全然……」
「何やってんだ!」
倉庫内に増本の怒号が飛ぶ。心のライフゲージが一気に削られる。このゲームバランスは間違えている。
「いや、あの、どれがどれだか分からなくて……」
俺は必死に弁明する。俺だって好きで無能ぶりを発揮しているんじゃない。何も知らないで仕事なんか出来るわけがない。
「ったく、これだからゆとりちゃんはよお!」
差別的な愚痴を発しながら、増本はフォークリフトから降りる。俺の手元から在庫の紙束をひったっくって眺めた。
「全然進んでねえじゃねえか!」
倉庫内には再び恐ろしいまでの咆哮が響く。「だからさっき全然進んでないって言ったじゃん」という反論など入り込む余地は無かった。そんな事をすればまたアトミック・ビンタ・クラシャーが待っているに違いない。それは嫌だ。
「ったくっよお、すげえ大学を出てるとか言うから期待してたけどよお、おめえ本当に何にも勉強してねえんだな、ああ?」
もうやめてくれ。それ以上怒鳴られたら俺は泣いてしまう。すごむ増本にに必死で謝った。これがバイトと正社員の違いなのか。想像以上に、正社員に求められるスキルは高かった。
その後は地獄だった。俺は三秒に一回怒鳴られながら、倉庫業を続けた。初めて乗ったフォークリフトではお約束のエンストを起こし、その度に「何やってんだコラ!」と盛大に怒られた。あまりにも怒られたせいか、仕事が終わると俺の耳には怒号がエコーのように鳴り響いていた。
「おい」
静かになった倉庫に、重苦しい声が響く。
振り返ると、さっきまで純朴そうに見えた増本の顔が、えらく底意地悪そうに歪んでいた。
「テメエ、初日から何やってんだ、ああ?」
胸倉を掴まれ、すさまじい力で引っ張られる。
「その、あの、だから幸薄子さんと再会したのが嬉しくて、つい……」
俺は遠慮なく幸薄子を悪者にした。
「舐めてるんじゃねえぞ、コラ!」
渇いた音が、倉庫内の静寂を破る。フルスイングのビンタを受けた俺は、色々な意味でヒザがガクガクしていた。
この男、二重人格か……。
増本はまだ俺の胸倉を掴んでいた。やっぱりというか、初日から大遅刻した新入りにご立腹だった。『そりゃそうだよな』と半分ぐらい思いながら、俺はされるがままにする。
「ったく、テメエのせいで仕事が増えちまった。初日っから迷惑かけてんじゃねえよ」
「はい、すいません。本当にすいません」
逆らってはダメだ。こういう時はヘタに抵抗すると大体裏目に出る。経験則でそれを知っている俺はなんとかこの場をやり過ごそうとする。
「幸薄子の紹介だか何だか知らねえけどよ、俺は手加減なんぞしないからな。覚悟しろや、コラ」
「は、はい。すいません。本当にすいません」
プライドの高い俺がもはやペコペコ祭りだ。それぐらい増本の放つ剣幕は凄かった。建築系の仕事にはその筋の人間もいると聞いた事があるが、増本もその類の人間なのかもしれない。
ようやくビンタから始まった説教を乗り越えると、今度は気まずい静寂に包まれる。立ちすくす俺を前に、増本は倉庫のシャッターを開ける。これから在庫の搬出入があるのか。
「あの、私はどうすれば……」
フォークリフトに乗り込もうとする増本の背中に話掛ける。増本は不機嫌そうに俺を睨んだ。
「ああ、じゃあそこに紙の束が置いてあるだろ」
増本の視線を追うと、ベニヤの上にさっきまで彼が持っていた書類が置かれていた。
「それがウチの在庫だ。俺がリフトを操作している間、数を確認しておけ」
増本は返事を待たず、フォークリフトを急発進させた。俺は倉庫にポツンと取り残される。
「在庫って……」
どうするんだよと思いつつ、紙束を手に取った。在庫が書かれた紙には種類別に商品が記載されているみたいだった。だが、ド素人の俺には「大ランバー」とか「エンボスボード」という表記が何を意味するのかさっぱり分からない。
どうしろと……。
途方に暮れた。だが、このままボーっとしていればまたアトミック・ビンタ・クラシャーが待っているに違いない。今度あれを受けたら泣いてしまいそうだ。今もそこそこ泣きそうだけど。
殴られたくなかった俺は、さっさと紙束を手に作業を始める。在庫数の横にチェックや数字が入っているので、数量を確認したらその結果を各数値の横に記入していくルールらしい。
まずは一番理解出来そうな石膏ボードへと向かった。これならバイトで何度も運んでいたし、見分けがつきそうな気がした。だが……。
「クロスボード?」
なんだ、クロスボードって。クロスカウンターなら知ってるし、黒酢も知っている。だがクロスボードなんぞ知らん。なんだ貴様はニュータイプか?
のっけから躓く。バイトで石膏ボードを運んでいる時は何も考えなくて良かったし、仮に何か訊かれてもベテランの運転手が答えてくれていた。あまり仕事に関わりたくなかった俺は、あえて彼らの会話を耳に入れないようにしていた。
よく後悔先に立たずなんて言うが、まさにその通りだ。もっと勉強しておけば良かったと思う時の最たる例だろう。俺はあの仕事で筋肉を増やしただけで、得るべきだった知識は何一つ獲得していなかったのだ。チャンチャン。
途方に暮れかけたが、もう一度殴られるのは嫌だったので、他に分かりそうな在庫から数えていく事にした。商品名が梱包に記載してあるような建材だ。それなら間違えようがない。
俺は梱包に商品名が記載されたグラスウールを皮切りに在庫を数えていく。カテゴリー的にはメチャクチャな順序で棚卸しをしているのだろうが、それでもまったく前進しないよりはいくらかマシなんだろう。
四苦八苦しながら作業を進めていると、不機嫌な顔をした増本がフォークリフトに乗って戻って来た。
「終わったか」
「いや、まだ全然……」
「何やってんだ!」
倉庫内に増本の怒号が飛ぶ。心のライフゲージが一気に削られる。このゲームバランスは間違えている。
「いや、あの、どれがどれだか分からなくて……」
俺は必死に弁明する。俺だって好きで無能ぶりを発揮しているんじゃない。何も知らないで仕事なんか出来るわけがない。
「ったく、これだからゆとりちゃんはよお!」
差別的な愚痴を発しながら、増本はフォークリフトから降りる。俺の手元から在庫の紙束をひったっくって眺めた。
「全然進んでねえじゃねえか!」
倉庫内には再び恐ろしいまでの咆哮が響く。「だからさっき全然進んでないって言ったじゃん」という反論など入り込む余地は無かった。そんな事をすればまたアトミック・ビンタ・クラシャーが待っているに違いない。それは嫌だ。
「ったくっよお、すげえ大学を出てるとか言うから期待してたけどよお、おめえ本当に何にも勉強してねえんだな、ああ?」
もうやめてくれ。それ以上怒鳴られたら俺は泣いてしまう。すごむ増本にに必死で謝った。これがバイトと正社員の違いなのか。想像以上に、正社員に求められるスキルは高かった。
その後は地獄だった。俺は三秒に一回怒鳴られながら、倉庫業を続けた。初めて乗ったフォークリフトではお約束のエンストを起こし、その度に「何やってんだコラ!」と盛大に怒られた。あまりにも怒られたせいか、仕事が終わると俺の耳には怒号がエコーのように鳴り響いていた。
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