次回作はこんな感じになる
- 2016/01/11
- 12:13
(以下、次回作の断片です)
やはり自己評価を高く持つと天罰が下るものなのだろうか?
俺が昨日に築き上げた自信はいとも簡単に粉砕された。あの暗黒の朝を思い出すと今でも身震いがする。
朝会社に行くと、同僚が同情を浮かべた顔で俺を瞥見した。嫌な予感がしつつも、前方で陽炎を揺らめかせている上司の所まで歩いていく。
俺の上司に当たる中年女性のチームリーダーは、苦虫を三匹ぐらい噛み殺したような顔でこちらを見ている。
「何かありましたか?」
怖いけど今の空気に耐えられなかった俺は、思わず質問する。
「昨日の仕事だけどさ、ちょっと酷いよ、これは」
リーダーは紙束をデスクに叩きつけるように置いて、アゴで「見てみろ」というジェスチャーをした。
紙には赤いペンで修正点が記入されているのだが、俺の目の前に置いてある原稿はやたらと赤がたくさん入っていた。
「ずいぶんと修正の多い原稿ですね」
「アンタが打ったデータだよ!」
完全に狙っていたクロスカウンターのような一喝は、巨大なフロアーを一撃で沈黙に包む。
「アンタさあ、本当に何やってんの? 自分で打ってておかしいと思わなかったの?」
リーダーは心からご立腹だった。俺はさっきの一喝で泣きそうだし足が震えているし軽く失禁もしそうなのだが。
「な、何があったんでしょうか?」
「これは原稿なんかじゃなくてアンタが昨日入力したデータだよ。たかだか紙に書いてある事をデータに移すだけなのに、ここまで間違えるなんて私に何か恨みでもあるの?」
リーダーは手の平をバンと机に叩きつける。原稿を手に取って見てみると、たしかに第三者的に酷い出来だった。どこをどうやったらここまで誤入力が出来るのだろうか。
「全く、アンタのせいでチーム全体の仕事が遅れてるよ。部下の評価まで査定に響くのに、やる気の無い新人を受け持った上司の気持ちが分かる?」
分かりません、と言いたいところだが、それを言ったら余計激怒されそうなので自重する。いやしかしつらい。社会人というのはこうも堂々と面罵されながら仕事をしていくのか。メンタルが豆腐レベルの俺が生き抜ける気がしない。
「今日中に直しと新しい原稿を仕上げておきなさいよ」
捨て台詞を吐くと、リーダーは新しい原稿を俺の前に放り投げて歩き去った。タイトスカートに包まれた小ぶりな尻が左右に揺れている。美人だった形跡があるし、昔はモテたのだろう。怒っている内にその美貌を加速度的に失っていったのだろうか。ああいう中年にはなりたくない。
強気な口調で語っているものの、現在の俺は目下泣きそうだ。後ろからちょんと指で押したら涙がナイアガラの滝よろしく流れていくのは間違いない。今にも壊れそうなマイハートをなんとか励ましつつ、俺は自分の作業机まで戻る。
だが、真っ赤にされた校正刷りを見るとたしかに酷い出来だった。何をどうすればここまで間違う事が出来るのだろうか。あっ……そういえば制作の事を考えながら入力作業をしていたのだった。「てへぺろ」とおどけたいところだが、なにせ俺は目下泣きそうだ。そんな精神的余裕は無い。
パソコンを立ち上げると、すぐにまた作業に戻る。ああ、これから八時間も仕事をしないといけないのに、俺の精神的ライフゲージはゼロに程近い。視界は滲んで、明日どころか目の前のディスプレイすらよく見えない。
どちらにしても今日中にこの作業を終わらせないと帰してもらえないのだろう。それは嫌なので、俺は黙々とキーを打った。
しかし俺は何をしているのだろう?
曲がりなりにも俺は六大学レベルの学力があったわけで、その経験がこの入力業務に必要だったのかと自問すると空しさしか沸いてこない。
ディスプレイ上に表示されるどうでもいいアンケートの回答達。おそらく俺が結果を捏造しても誰も気付かないだろう。そんなものをわざわざ徹頭徹尾間違えないように入力する事にいかほどの意味があるのか。やめておけばいいのに、俺の自問自答は止まらない。
ディスプレイに映る文字列をひたすら眺めていると、かつて面接前のトイレで見た映像の記憶が蘇ってきた。
俺はこのまま半機械のような生活をして生きていくのだろうか?
俺はこのまま変化のない仕事に、自分の創造性を喰われながら執筆の才能を枯渇させていくのか。そう思うと、怖くなった。
気付けば俺の手には汚らしい筆致で書かれた辞表が握られていた。辞の字を書き損じて、途中から行書体にしてごまかしているのがありありと分かった。まるで、今の俺を象徴しているような醜い字だった。
……ダメだ。これでは前と同じではないか……!
この仕事を仲介した親の立場はどうなる?
何よりも、こんな短期間でギブアップしたら俺はこの先どうなる?
色々と自問が浮かぶが、俺の魂とは相反して、この体はチームリーダーの机へとずかずかと歩いていく。
俺は俺を止めようと必死だった。だが、俺の体は勝手に動く。まるで、このままここにいたら俺は死んでしまうかのように。
懸命に抵抗したが、もう何をしても無駄なのだと分かった。魂とは独立した意識を持った俺の体は、あっけに取られるチームリーダーの机に辞表を叩きつけると、静まり返った事務所を横切って行った。その背中を見送った本体の俺は、呆然とするリーダーに目礼だけして体を追いかけて行った。
――二日と二時間。
それが俺の初社会人生活の期間だった。
やはり自己評価を高く持つと天罰が下るものなのだろうか?
俺が昨日に築き上げた自信はいとも簡単に粉砕された。あの暗黒の朝を思い出すと今でも身震いがする。
朝会社に行くと、同僚が同情を浮かべた顔で俺を瞥見した。嫌な予感がしつつも、前方で陽炎を揺らめかせている上司の所まで歩いていく。
俺の上司に当たる中年女性のチームリーダーは、苦虫を三匹ぐらい噛み殺したような顔でこちらを見ている。
「何かありましたか?」
怖いけど今の空気に耐えられなかった俺は、思わず質問する。
「昨日の仕事だけどさ、ちょっと酷いよ、これは」
リーダーは紙束をデスクに叩きつけるように置いて、アゴで「見てみろ」というジェスチャーをした。
紙には赤いペンで修正点が記入されているのだが、俺の目の前に置いてある原稿はやたらと赤がたくさん入っていた。
「ずいぶんと修正の多い原稿ですね」
「アンタが打ったデータだよ!」
完全に狙っていたクロスカウンターのような一喝は、巨大なフロアーを一撃で沈黙に包む。
「アンタさあ、本当に何やってんの? 自分で打ってておかしいと思わなかったの?」
リーダーは心からご立腹だった。俺はさっきの一喝で泣きそうだし足が震えているし軽く失禁もしそうなのだが。
「な、何があったんでしょうか?」
「これは原稿なんかじゃなくてアンタが昨日入力したデータだよ。たかだか紙に書いてある事をデータに移すだけなのに、ここまで間違えるなんて私に何か恨みでもあるの?」
リーダーは手の平をバンと机に叩きつける。原稿を手に取って見てみると、たしかに第三者的に酷い出来だった。どこをどうやったらここまで誤入力が出来るのだろうか。
「全く、アンタのせいでチーム全体の仕事が遅れてるよ。部下の評価まで査定に響くのに、やる気の無い新人を受け持った上司の気持ちが分かる?」
分かりません、と言いたいところだが、それを言ったら余計激怒されそうなので自重する。いやしかしつらい。社会人というのはこうも堂々と面罵されながら仕事をしていくのか。メンタルが豆腐レベルの俺が生き抜ける気がしない。
「今日中に直しと新しい原稿を仕上げておきなさいよ」
捨て台詞を吐くと、リーダーは新しい原稿を俺の前に放り投げて歩き去った。タイトスカートに包まれた小ぶりな尻が左右に揺れている。美人だった形跡があるし、昔はモテたのだろう。怒っている内にその美貌を加速度的に失っていったのだろうか。ああいう中年にはなりたくない。
強気な口調で語っているものの、現在の俺は目下泣きそうだ。後ろからちょんと指で押したら涙がナイアガラの滝よろしく流れていくのは間違いない。今にも壊れそうなマイハートをなんとか励ましつつ、俺は自分の作業机まで戻る。
だが、真っ赤にされた校正刷りを見るとたしかに酷い出来だった。何をどうすればここまで間違う事が出来るのだろうか。あっ……そういえば制作の事を考えながら入力作業をしていたのだった。「てへぺろ」とおどけたいところだが、なにせ俺は目下泣きそうだ。そんな精神的余裕は無い。
パソコンを立ち上げると、すぐにまた作業に戻る。ああ、これから八時間も仕事をしないといけないのに、俺の精神的ライフゲージはゼロに程近い。視界は滲んで、明日どころか目の前のディスプレイすらよく見えない。
どちらにしても今日中にこの作業を終わらせないと帰してもらえないのだろう。それは嫌なので、俺は黙々とキーを打った。
しかし俺は何をしているのだろう?
曲がりなりにも俺は六大学レベルの学力があったわけで、その経験がこの入力業務に必要だったのかと自問すると空しさしか沸いてこない。
ディスプレイ上に表示されるどうでもいいアンケートの回答達。おそらく俺が結果を捏造しても誰も気付かないだろう。そんなものをわざわざ徹頭徹尾間違えないように入力する事にいかほどの意味があるのか。やめておけばいいのに、俺の自問自答は止まらない。
ディスプレイに映る文字列をひたすら眺めていると、かつて面接前のトイレで見た映像の記憶が蘇ってきた。
俺はこのまま半機械のような生活をして生きていくのだろうか?
俺はこのまま変化のない仕事に、自分の創造性を喰われながら執筆の才能を枯渇させていくのか。そう思うと、怖くなった。
気付けば俺の手には汚らしい筆致で書かれた辞表が握られていた。辞の字を書き損じて、途中から行書体にしてごまかしているのがありありと分かった。まるで、今の俺を象徴しているような醜い字だった。
……ダメだ。これでは前と同じではないか……!
この仕事を仲介した親の立場はどうなる?
何よりも、こんな短期間でギブアップしたら俺はこの先どうなる?
色々と自問が浮かぶが、俺の魂とは相反して、この体はチームリーダーの机へとずかずかと歩いていく。
俺は俺を止めようと必死だった。だが、俺の体は勝手に動く。まるで、このままここにいたら俺は死んでしまうかのように。
懸命に抵抗したが、もう何をしても無駄なのだと分かった。魂とは独立した意識を持った俺の体は、あっけに取られるチームリーダーの机に辞表を叩きつけると、静まり返った事務所を横切って行った。その背中を見送った本体の俺は、呆然とするリーダーに目礼だけして体を追いかけて行った。
――二日と二時間。
それが俺の初社会人生活の期間だった。
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