リーダビリティーの話
- 2015/12/12
- 21:59
新作の推敲にまだ時間がかかっています。書いている過程で発生した矛盾を消したり、歯切れの悪い文章を修正するのはなかなか時間がかかりますね。
先日にリーダビリティーの話をしましたが、推敲の作業も相まってこのトピックを掘り下げようと思います。
KDPに参入して以来、リーダビリティーという要素には結構な重点を置いてきました。
というのも、特にスマホ文化が発達してから、日本人にとって娯楽の種類がわけわからないぐらい増えてしまったんですね。敵は同業者ではなく、他コンテンツの発信者と考えた方が正しいようです。
で、電子書籍ってその数ある娯楽の一つでしかないわけで、小説を読み始めてつまらないと感じると、あっと言う間に読者はスマホゲームに流れていく。これは避けたい。
そういうわけで、電子書籍の小説には一気読みさせる力が必須であると考えるようになりました。そのためにはリーダビリティーがかなり重要な位置を占めてくる。
揚げ足取りの方が出てくる前に言っておきますが、リーダビリティーの確立とは、何も簡単な単語しか使わないという意味ではありません。一般人が読書に至るまでの敷居を下げるという事です。
本当は実力者のくせに自分の作品をゴミ呼ばわりする個人作家の方もいますが――ところで彼もリーダビリティーの高い作品を書きますね――最近になってゴミより下の評価がある事に気付きました。それは最後まで読んでもらえず、評価すらされないという状態ですね。なかなか悲惨です。
個人的に最後まで読めなかった作品を振り返ると、読みにくかったり「頭痛が痛い」式の贅肉が付いた文章が散見される小説ですね。何? ブーメラン?
逆にリーダビリティーが高い作品は内容の如何に関わらず最後まで読む確率が高い気がします。本ではないですが、お経なんか全然意味分からなくても延々と聞いていられるじゃないですか。自分の中にスルスルと言葉が入ってくる感じ。感覚的にはあれが近いと思います。
そうなるとリーダビリティーという要素はそれ自体が武器になるんですね。
リーダビリティーが高い個人作家と言われて真っ先に思いつくのが隙間社さん率いる個人作家の方々(?)ですね。
先鋭的でも一気読みさせる力があると知っているから、かなり気軽に手を出せる。加えて短編がメインだから、仮に作風が合わなくてもダメージが少ない(笑)。濃密な隙間時間を味わえるのが分かっているからついつい手を出してしまう。喩えるなら、ちょっと頑張ったらヤレそうな飲み屋のお姉ちゃん(笑)。
喩えはともかくとして、電子書籍というフィールドにおいてはかなり有用性の高い武器を持っていると思います。
長編だと「山彦」ですかね。ダヴィンチコード的なワクワク感で一気に引っ張ってくれるのが強い。ただ、あれは明らかに別格なので、マネ出来るかと言われると……(笑)。
「山彦」にはインディーズ作品にありがちな「序盤が弱い」という欠点が見当たりません。「山彦」は語彙も豊富で出来たら辞書を傍に置いておきたい作品ですが、それでも一気読みさせる力がある。
話は少しばかり逸れましたが、私の感覚では少なくとも序盤の読みやすさは確保しておきたいな、と。話を複雑に捻るのはもう少し後でいい。
また話は逸れるのですが、藤崎ほつま氏がツイッターで言及していた「ミステリーの書き方」をしれーっと読んでみました。ミステリー書いた事無いんですが(笑)。
目からウロコだったのは北方謙三と花村萬月の指南ですね。
この二人は推敲について触れているのですが、文章の削り方についてはかなり参考になりました。無駄の多い文章を見ると(作家目線もあって)どうしても赤を入れたくなるところがあり、そうなると作品に集中出来ないんですね。説明過多って怖いな、と。
贅肉の付いた文章をなんとかしたいという方はぜひ読んでみて下さい。特に北方謙三の削り方なんて「こんな大胆でいいの!?」と驚きました。
かなり話は脱線しましたけど、知らぬ間に読まされている文章は中毒性が高いです。
ファンでもないのにその作家の作品全部読んでいた、なんて事がありませんか?
もしそうなら、あなたはその作家の術中に嵌まっています(笑)。
先日にリーダビリティーの話をしましたが、推敲の作業も相まってこのトピックを掘り下げようと思います。
KDPに参入して以来、リーダビリティーという要素には結構な重点を置いてきました。
というのも、特にスマホ文化が発達してから、日本人にとって娯楽の種類がわけわからないぐらい増えてしまったんですね。敵は同業者ではなく、他コンテンツの発信者と考えた方が正しいようです。
で、電子書籍ってその数ある娯楽の一つでしかないわけで、小説を読み始めてつまらないと感じると、あっと言う間に読者はスマホゲームに流れていく。これは避けたい。
そういうわけで、電子書籍の小説には一気読みさせる力が必須であると考えるようになりました。そのためにはリーダビリティーがかなり重要な位置を占めてくる。
揚げ足取りの方が出てくる前に言っておきますが、リーダビリティーの確立とは、何も簡単な単語しか使わないという意味ではありません。一般人が読書に至るまでの敷居を下げるという事です。
本当は実力者のくせに自分の作品をゴミ呼ばわりする個人作家の方もいますが――ところで彼もリーダビリティーの高い作品を書きますね――最近になってゴミより下の評価がある事に気付きました。それは最後まで読んでもらえず、評価すらされないという状態ですね。なかなか悲惨です。
個人的に最後まで読めなかった作品を振り返ると、読みにくかったり「頭痛が痛い」式の贅肉が付いた文章が散見される小説ですね。何? ブーメラン?
逆にリーダビリティーが高い作品は内容の如何に関わらず最後まで読む確率が高い気がします。本ではないですが、お経なんか全然意味分からなくても延々と聞いていられるじゃないですか。自分の中にスルスルと言葉が入ってくる感じ。感覚的にはあれが近いと思います。
そうなるとリーダビリティーという要素はそれ自体が武器になるんですね。
リーダビリティーが高い個人作家と言われて真っ先に思いつくのが隙間社さん率いる個人作家の方々(?)ですね。
先鋭的でも一気読みさせる力があると知っているから、かなり気軽に手を出せる。加えて短編がメインだから、仮に作風が合わなくてもダメージが少ない(笑)。濃密な隙間時間を味わえるのが分かっているからついつい手を出してしまう。喩えるなら、ちょっと頑張ったらヤレそうな飲み屋のお姉ちゃん(笑)。
喩えはともかくとして、電子書籍というフィールドにおいてはかなり有用性の高い武器を持っていると思います。
長編だと「山彦」ですかね。ダヴィンチコード的なワクワク感で一気に引っ張ってくれるのが強い。ただ、あれは明らかに別格なので、マネ出来るかと言われると……(笑)。
「山彦」にはインディーズ作品にありがちな「序盤が弱い」という欠点が見当たりません。「山彦」は語彙も豊富で出来たら辞書を傍に置いておきたい作品ですが、それでも一気読みさせる力がある。
話は少しばかり逸れましたが、私の感覚では少なくとも序盤の読みやすさは確保しておきたいな、と。話を複雑に捻るのはもう少し後でいい。
また話は逸れるのですが、藤崎ほつま氏がツイッターで言及していた「ミステリーの書き方」をしれーっと読んでみました。ミステリー書いた事無いんですが(笑)。
目からウロコだったのは北方謙三と花村萬月の指南ですね。
この二人は推敲について触れているのですが、文章の削り方についてはかなり参考になりました。無駄の多い文章を見ると(作家目線もあって)どうしても赤を入れたくなるところがあり、そうなると作品に集中出来ないんですね。説明過多って怖いな、と。
贅肉の付いた文章をなんとかしたいという方はぜひ読んでみて下さい。特に北方謙三の削り方なんて「こんな大胆でいいの!?」と驚きました。
かなり話は脱線しましたけど、知らぬ間に読まされている文章は中毒性が高いです。
ファンでもないのにその作家の作品全部読んでいた、なんて事がありませんか?
もしそうなら、あなたはその作家の術中に嵌まっています(笑)。
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