映画「罪の余白」――私ならこう書く(藤崎さんパクってゴメンね)
- 2015/10/13
- 15:28
今日は休暇だったので珍しく連日で映画を見に行きました。
今回観たのは「罪の余白」です。
結果としては楽しめたのですが、この作品は映画・小説共々隔靴掻痒というか、「ここに手を加えたらいいのに」と素人ながらに思ってしまう要素が多い(でも目は離せないという 笑)不思議な誘引力を持っている創作物という印象でしたね。
先日に藤崎ほつま氏が「私ならこう書く」みたいな記事を書いていたので、これ幸いとパクってやろうというものですヘッヘッヘ(笑)。
無駄口はいいのでさっさと本編に入りましょう。
まず最初に「罪の余白」のCMがあるのでこれを観て下さい。
なかなかワクワクしますねえ。吉本実憂演じる木場咲がすげえ悪そうな女子高生に見えますね。
ただ、実際に観てみるとそんなに彼女悪くないんですよね(笑)。期待してたよりは小悪党というか、こんないけ好かない女いるよね、という……。なんで詳しいのかはあんまりツッコまないで欲しいのですが(笑)性悪女同士のガチの潰し合いはこんなもんじゃないよ、と。というわけで、ここをまず修正したい。
たしか別の映像で「木場咲はスクールカーストの頂点」みたいな事が書いてあったのですが、映画でも小説でもあんまり木場咲がそういう立場にいるのが分かる描写が無いんですよね。
たとえばですが、学園祭が近い設定だったので、彼女の一声で出し物がズバンと決まって誰も反論しないみたいなシーン(なるべく重苦しく)や、ファッションやら恋愛の相談を持ちかけるような場面があった方が生々しいカーストの匂いを出せたはずなんですよね。
で、あんまり調子に乗って女性の容姿について言及すると八つ裂きにされるので非常に気を遣うのですが(笑)、木場咲を演じる吉本実憂がクールビューティーっぽい感じだったので、擦れてるって言えば擦れてる女性に見えなくも無いというか、タレントさんをあんまり知らないのであんまりいい喩えが出てこないのですが、橋本環奈みたいなタイプの人選をして「虫も殺さなそうな女の子。だが裏の顔が……」という展開にした方が良かったのではないかと。
クールビューティー系はそういう陰の要素を持っていても不自然じゃないからです。それだと視聴者の憎悪を煽れない。
ついでにですが、劇中では「顔がいいだけで他に大した能力が無い高校生」として木場咲は描かれていたと理解しているのですが、嘘泣きが上手過ぎて設定が矛盾しています。演技バリバリ上手やんけ(笑)。
上記のカーストの部分と悪女っぽさの描き方がイマイチだったので、娘の事故に悲嘆する父親とそこに油を注いではなぜか自分の方に憎悪を向けて、単なる事故を自分の責任のように印象づけてしまう頭の悪い自爆型小悪党みたいな構図が出来ていると思うんです。
映画を観た限りだとやっぱり娘の加奈が亡くなったのはごく平凡な事故に見えたし、大してイジメられてなくてもあの流れなら事故は普通に起こったんじゃないか? と思うのです。
どうしても「不幸な」事故にしたいのであれば、序盤で木場咲と新海真帆を中心とした激しいイジメがあってもいいし――蛇足ですが、2桁の人間から袋叩きにされた事がある私としては、あの程度のイジメで自殺を決意するのは動機が不十分だと思います――そのお膳立てがあれば視聴者から木場咲への憎悪も煽れるし、「こんな思いをするぐらいなら」と加奈が半意識的に飛び降りたという解釈だって出来たはずなんです。この展開だとどうしても加奈がたまたま足を滑らせた「ついてない奴」に見えてしまう。
もう一個手を入れたくなったのはラストですかね。まだハードカバー版が手元にあったので軽く見直しましたが。
せっかく映画版は小説とは違う結末を書けるのだから、そこは自由にいじって欲しかったかな、と。
本作はよく湊かなえの「告白」と比較されるイメージがあります。「告白」の巧い所は、復讐する相手に自分の手でトリガーを引かせる展開を書いている所なんですね。
たしかに木場咲は主人公の安藤聡をベランダから突き落とすという点では自らの手で自分の未来を断ち切ってしまうのですが、これだとちょっと弱い。もっと彼女のアイデンティティーそのものを根本から自分で壊させるような展開を描いてこそ美しき報復です(笑)。
たとえば木場咲は女優を目指していましたから、女優になる手助けをしておいて記者会見のあるハレの日に「娘の自殺にはこの女が関与している」というスキャンダルが出るとか(笑)。
あともう一個いい展開を考えたんですよ。
木場咲の腰巾着である新海真帆は、ある種親友の木場咲を神として崇めていたわけです。で、最後の方でこの神に裏切られるじゃないですか。
だから、たとえば木場咲がベランダから安藤聡を落とそうとしていて、今まさに落っこちるというその時に新海真帆が灰皿で木場咲の後頭部をフルスイングでブン殴って殺すんです。
そうやって自分を捨てた神に復讐するわけです。彼女達はミッション系の学校に通う不信神者でしたから、この展開ならミッション系という設定そのものが複線になったはず。直前に二人は女性同士で手を繋いだりキスまでしてたのに、ここを使わないのは勿体無い! という気分で観ていました。
ちょっと読み返したらまあ長いですね。まあ駄文ですね(笑)。
まあ、たまにはいいでしょう。所詮は素人の戯言なのですから。
小説・映画ともども全体的に計算は張り巡らされていると感じましたが、肝心な所で拳一個分届いていないという感じがありましたかね。でもここまで書かせるという事はそれだけ楽しんだという事でしょう。
……なんか本格派の映画ファンには鼻で笑われそうですね(笑)。
今回観たのは「罪の余白」です。
結果としては楽しめたのですが、この作品は映画・小説共々隔靴掻痒というか、「ここに手を加えたらいいのに」と素人ながらに思ってしまう要素が多い(でも目は離せないという 笑)不思議な誘引力を持っている創作物という印象でしたね。
先日に藤崎ほつま氏が「私ならこう書く」みたいな記事を書いていたので、これ幸いとパクってやろうというものですヘッヘッヘ(笑)。
無駄口はいいのでさっさと本編に入りましょう。
まず最初に「罪の余白」のCMがあるのでこれを観て下さい。
なかなかワクワクしますねえ。吉本実憂演じる木場咲がすげえ悪そうな女子高生に見えますね。
ただ、実際に観てみるとそんなに彼女悪くないんですよね(笑)。期待してたよりは小悪党というか、こんないけ好かない女いるよね、という……。なんで詳しいのかはあんまりツッコまないで欲しいのですが(笑)性悪女同士のガチの潰し合いはこんなもんじゃないよ、と。というわけで、ここをまず修正したい。
たしか別の映像で「木場咲はスクールカーストの頂点」みたいな事が書いてあったのですが、映画でも小説でもあんまり木場咲がそういう立場にいるのが分かる描写が無いんですよね。
たとえばですが、学園祭が近い設定だったので、彼女の一声で出し物がズバンと決まって誰も反論しないみたいなシーン(なるべく重苦しく)や、ファッションやら恋愛の相談を持ちかけるような場面があった方が生々しいカーストの匂いを出せたはずなんですよね。
で、あんまり調子に乗って女性の容姿について言及すると八つ裂きにされるので非常に気を遣うのですが(笑)、木場咲を演じる吉本実憂がクールビューティーっぽい感じだったので、擦れてるって言えば擦れてる女性に見えなくも無いというか、タレントさんをあんまり知らないのであんまりいい喩えが出てこないのですが、橋本環奈みたいなタイプの人選をして「虫も殺さなそうな女の子。だが裏の顔が……」という展開にした方が良かったのではないかと。
クールビューティー系はそういう陰の要素を持っていても不自然じゃないからです。それだと視聴者の憎悪を煽れない。
ついでにですが、劇中では「顔がいいだけで他に大した能力が無い高校生」として木場咲は描かれていたと理解しているのですが、嘘泣きが上手過ぎて設定が矛盾しています。演技バリバリ上手やんけ(笑)。
上記のカーストの部分と悪女っぽさの描き方がイマイチだったので、娘の事故に悲嘆する父親とそこに油を注いではなぜか自分の方に憎悪を向けて、単なる事故を自分の責任のように印象づけてしまう頭の悪い自爆型小悪党みたいな構図が出来ていると思うんです。
映画を観た限りだとやっぱり娘の加奈が亡くなったのはごく平凡な事故に見えたし、大してイジメられてなくてもあの流れなら事故は普通に起こったんじゃないか? と思うのです。
どうしても「不幸な」事故にしたいのであれば、序盤で木場咲と新海真帆を中心とした激しいイジメがあってもいいし――蛇足ですが、2桁の人間から袋叩きにされた事がある私としては、あの程度のイジメで自殺を決意するのは動機が不十分だと思います――そのお膳立てがあれば視聴者から木場咲への憎悪も煽れるし、「こんな思いをするぐらいなら」と加奈が半意識的に飛び降りたという解釈だって出来たはずなんです。この展開だとどうしても加奈がたまたま足を滑らせた「ついてない奴」に見えてしまう。
もう一個手を入れたくなったのはラストですかね。まだハードカバー版が手元にあったので軽く見直しましたが。
せっかく映画版は小説とは違う結末を書けるのだから、そこは自由にいじって欲しかったかな、と。
本作はよく湊かなえの「告白」と比較されるイメージがあります。「告白」の巧い所は、復讐する相手に自分の手でトリガーを引かせる展開を書いている所なんですね。
たしかに木場咲は主人公の安藤聡をベランダから突き落とすという点では自らの手で自分の未来を断ち切ってしまうのですが、これだとちょっと弱い。もっと彼女のアイデンティティーそのものを根本から自分で壊させるような展開を描いてこそ美しき報復です(笑)。
たとえば木場咲は女優を目指していましたから、女優になる手助けをしておいて記者会見のあるハレの日に「娘の自殺にはこの女が関与している」というスキャンダルが出るとか(笑)。
あともう一個いい展開を考えたんですよ。
木場咲の腰巾着である新海真帆は、ある種親友の木場咲を神として崇めていたわけです。で、最後の方でこの神に裏切られるじゃないですか。
だから、たとえば木場咲がベランダから安藤聡を落とそうとしていて、今まさに落っこちるというその時に新海真帆が灰皿で木場咲の後頭部をフルスイングでブン殴って殺すんです。
そうやって自分を捨てた神に復讐するわけです。彼女達はミッション系の学校に通う不信神者でしたから、この展開ならミッション系という設定そのものが複線になったはず。直前に二人は女性同士で手を繋いだりキスまでしてたのに、ここを使わないのは勿体無い! という気分で観ていました。
ちょっと読み返したらまあ長いですね。まあ駄文ですね(笑)。
まあ、たまにはいいでしょう。所詮は素人の戯言なのですから。
小説・映画ともども全体的に計算は張り巡らされていると感じましたが、肝心な所で拳一個分届いていないという感じがありましたかね。でもここまで書かせるという事はそれだけ楽しんだという事でしょう。
……なんか本格派の映画ファンには鼻で笑われそうですね(笑)。
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