「鬼娘の千倍返し: ガンズ・オブ・パクリオット」で伝えたかったもの
- 2015/09/25
- 23:09
「ジャスティス」をリリースしたわりとすぐ後に、牛野小雪氏から「鬼娘の千倍返し: ガンズ・オブ・パクリオット」の話に似ていると言われたのを思い出したので、それについて話してみようかと思います。
ちなみに、ややネタバレ気味の記事になるので、「鬼娘の千倍返し: ガンズ・オブ・パクリオット」を今の段階で読んでいる人は、変な先入観を入れないために読まない方がいいかもしれません。
この話は桃太郎に襲撃された鬼ヶ島に住む鬼ギャルが仇討ちの旅に出るというものですが、この話を書き始めた時から決まっていたのは、この作品を単なる勧善懲悪モノにはしないようにしようという事でした。
よく歴史モノで「実はこのヒーローは悪人だった」みたいな話がある気がしますが、善と悪というのは一元的には語れない部分があるのだと思います。
前にも書いたのですが、私は「正義の鉄槌」という言葉が好きじゃありません。というのも、巷でいわゆる「正義の鉄槌」が発動した時は、「その鉄槌は誰のためにあるのですか?」と訊きたくなるような事ばかりが溢れているからです。
いいでしょう。たとえば肉親を性的暴行の末に殺された人がいたとします。世間は当然の如く怒り、その犯人をこの世界から消そうと、ありとあらゆる事をやります。それは誹謗中傷だったり、プライバシーの過剰な侵害だったり、時には直接的な暴力だったりするわけですが、ここでちょっと待てと言いたい。
まあ、そういう事をやると世間がちゃぶ台をひっくり返した後よろしく、ある程度溜飲を下げるのは知っています。でも、被害者の人は溜飲を下げる事が出来ますか? という話です。
出来るわけないですよね。
そうなると、結局「正義の鉄槌」とやらは偽善者の自慰行為だったと言われても仕方の無い部分があるのだと思います。
で、話を「鬼娘の千倍返し: ガンズ・オブ・パクリオット」に戻します。
普通に考えたら、これという理由もなく鬼ヶ島を襲撃された鬼は、桃太郎の事を死ぬほど恨んでいるでしょう。彼らには桃太郎に報復する正当な理由があります。
そこで、桃太郎自身が時代の被害者だったとしたらどうなるのか? という仮定を入れてみました。善の反対は悪ではないんです。善の反対は、もう一つの善なのです。
もしかしたら、ある国を侵略する人は自国民を笑顔にするために闘っているのかもしれません。罵声を浴びせられながら処刑された戦犯は、死ぬ間際に愛しい子供の笑顔を思い浮かべたかもしれません。つまり、そういう事です。
そういうわけで、この物語は「報復してみんなハッピー」という終わり方にしてはいけないと思っていました。世界では今、この瞬間にも理不尽な理由で命を奪われている人間が沢山いるのです。
今まで「鬼娘の千倍返し: ガンズ・オブ・パクリオット」の感想をいくらかいただきましたが、大体共通している感想は「後味の悪い終わり方だった」というものです。一見あまり気持ちのいい感想ではないですが、物書きとしては読者の中に小さな爪痕を残せたという事でしょう。
ですから、色々と突っ込み所満載ではあるものの、本作を読んだら「正義の鉄槌」は何ぞ? と、少しでも考えてもらえたら嬉しいですね。
「正義の鉄槌」の先に何を見ているのか? 何を目指しているのか?
それを果たした先に誰かの幸福はあるのか? みんなが幸せになれるのか?
そういう事を考えると、安易な私刑というものも減るのかもしれません。
そのテーマをより諷喩的に扱ったのが「鬼娘の千倍返し: ガンズ・オブ・パクリオット」、もっと露骨に表現したのが「ジャスティス」というところですかね。
そうやって読むと、今までとは違う深みが出てくるかもしれません。
ほらね、私はたしかに問題児だったでしょう?(笑)
ちなみに、ややネタバレ気味の記事になるので、「鬼娘の千倍返し: ガンズ・オブ・パクリオット」を今の段階で読んでいる人は、変な先入観を入れないために読まない方がいいかもしれません。
この話は桃太郎に襲撃された鬼ヶ島に住む鬼ギャルが仇討ちの旅に出るというものですが、この話を書き始めた時から決まっていたのは、この作品を単なる勧善懲悪モノにはしないようにしようという事でした。
よく歴史モノで「実はこのヒーローは悪人だった」みたいな話がある気がしますが、善と悪というのは一元的には語れない部分があるのだと思います。
前にも書いたのですが、私は「正義の鉄槌」という言葉が好きじゃありません。というのも、巷でいわゆる「正義の鉄槌」が発動した時は、「その鉄槌は誰のためにあるのですか?」と訊きたくなるような事ばかりが溢れているからです。
いいでしょう。たとえば肉親を性的暴行の末に殺された人がいたとします。世間は当然の如く怒り、その犯人をこの世界から消そうと、ありとあらゆる事をやります。それは誹謗中傷だったり、プライバシーの過剰な侵害だったり、時には直接的な暴力だったりするわけですが、ここでちょっと待てと言いたい。
まあ、そういう事をやると世間がちゃぶ台をひっくり返した後よろしく、ある程度溜飲を下げるのは知っています。でも、被害者の人は溜飲を下げる事が出来ますか? という話です。
出来るわけないですよね。
そうなると、結局「正義の鉄槌」とやらは偽善者の自慰行為だったと言われても仕方の無い部分があるのだと思います。
で、話を「鬼娘の千倍返し: ガンズ・オブ・パクリオット」に戻します。
普通に考えたら、これという理由もなく鬼ヶ島を襲撃された鬼は、桃太郎の事を死ぬほど恨んでいるでしょう。彼らには桃太郎に報復する正当な理由があります。
そこで、桃太郎自身が時代の被害者だったとしたらどうなるのか? という仮定を入れてみました。善の反対は悪ではないんです。善の反対は、もう一つの善なのです。
もしかしたら、ある国を侵略する人は自国民を笑顔にするために闘っているのかもしれません。罵声を浴びせられながら処刑された戦犯は、死ぬ間際に愛しい子供の笑顔を思い浮かべたかもしれません。つまり、そういう事です。
そういうわけで、この物語は「報復してみんなハッピー」という終わり方にしてはいけないと思っていました。世界では今、この瞬間にも理不尽な理由で命を奪われている人間が沢山いるのです。
今まで「鬼娘の千倍返し: ガンズ・オブ・パクリオット」の感想をいくらかいただきましたが、大体共通している感想は「後味の悪い終わり方だった」というものです。一見あまり気持ちのいい感想ではないですが、物書きとしては読者の中に小さな爪痕を残せたという事でしょう。
ですから、色々と突っ込み所満載ではあるものの、本作を読んだら「正義の鉄槌」は何ぞ? と、少しでも考えてもらえたら嬉しいですね。
「正義の鉄槌」の先に何を見ているのか? 何を目指しているのか?
それを果たした先に誰かの幸福はあるのか? みんなが幸せになれるのか?
そういう事を考えると、安易な私刑というものも減るのかもしれません。
そのテーマをより諷喩的に扱ったのが「鬼娘の千倍返し: ガンズ・オブ・パクリオット」、もっと露骨に表現したのが「ジャスティス」というところですかね。
そうやって読むと、今までとは違う深みが出てくるかもしれません。
ほらね、私はたしかに問題児だったでしょう?(笑)
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