あなたが定義する正義とは?
- 2015/09/12
- 00:20
突然ですが、私は「正義の鉄槌」という言葉があまり好きではありません。
一見爽快感溢れそうなこの言葉は、人間の宿痾的な危険性を孕んでいる気がするのです。
最近リリースした「ジャスティス」のタイトルですが、第一稿が仕上がる前ぐらいまでは有罪を意味する「ギルティ」だったんですね。が、作品を書いている最中に「むしろ危険を象徴するのは罪悪感よりも正義感なのでは?」と思った経緯があり、本作のタイトルは「ジャスティス」に変更となりました。ちなみに「鉄槌」というタイトルでもいいかなとは思っていました。
作品を読んだら分かると思いますが、怨霊となった元イジメられっ子の復讐って一見スッキリするもんなんですよね。でも、それでスッキリしているのって対岸の火事としてそのストーリーを見ていられる私達だけなんじゃないかと。
もうちょっと分かりやすい事例を挙げましょうか。
今やネットでは犯罪者のプライバシーも人権も侵害されまくっているじゃないですか(被害者の権利がそれ以上に蹂躙されているのは同意します)。それで犯人の家族にまで誹謗中傷、そして暴力が及んだりするわけですけど、そういう私刑をする方々も(嘘みたいな話ですが)そもそもは正義感に駆られてやってるわけです。
ごく普通のニュースサイトでも見れば、この前某市で事件を起こした人に対して「裁判なんぞいらん。今すぐ極刑を!」みたいな物騒な言葉が踊っていますね。私も正直に申し上げればそっちの方の考え方に近いかもしれません。でも、ここであえて待てと言いたい。
たとえばですが、これが何かの間違いや陰謀で冤罪事件だった場合、その犯人を殺した後に誰が責任を取れるのか? という話です。結論から言うと誰もそんな責任は取れません。
仮にそうなると、今度は「なんで証拠を吟味しなかった!?」という非難が起こるわけです。しかもそいつはつい最近まで「今すぐ極刑を!」とか言ってた人なんですよ。
今の社会ではネットが普及して世界中の色んな情報が見られるわけですけど、反対に人間の視野は底なしに狭窄となり、脊椎反射の権化のような人達が大衆の意見を先導している感が否めません。でもそれも全部根底にあるのは正義感なんですね。
仮面ライダーとか観ていると分かりやすいじゃないですか。いかにも悪そうな怪人が出てきて、そいつをライダーキックでぶっ飛ばす。実に単純明快です。善と悪が白と黒の世界です。
でも、現実はそうじゃない。
家族を護るために銃を握る犯罪者だっているわけです。一族を殺された恨みからテロを起こす奴だっているわけです。それは一概に悪なんでしょうか? そいつらを爆撃して家族ごと殺すのは善なんですか? 一体どんな基準において善を定義しているのですか?
……という風に、正義をどう定義するかで人と人の間には争いが絶えません。
ちょいとネタバレにはなりますけど、復讐を果たした後に何が残るのか、というのを考えるきっかけになったらなという事で、今作のラストはああいう結末になりました。そして「ギルティ」というタイトルも嫌みったらしい響きの「ジャスティス」へと変わったわけです。
まあここだけの話、当初は「笑える呪怨が書けたら面白いな」ぐらいの感覚だったんですね。
ですが、作中の人物を殺しまくっている最中に「このままじゃ駄作一直線だな」という事に気付き、復讐だけ果たして終わるオチを全然違うものに書きかえたんですね。結果想像以上に真面目な作品になってしまいましたが(笑)。
そんなわけで、「ジャスティス」を読んだ人は一度自分の定義する正義とは何ぞと自問してみるのも面白いでしょう。
正義の対極は悪ではなく、もう一つの正義なのです。
一見爽快感溢れそうなこの言葉は、人間の宿痾的な危険性を孕んでいる気がするのです。
最近リリースした「ジャスティス」のタイトルですが、第一稿が仕上がる前ぐらいまでは有罪を意味する「ギルティ」だったんですね。が、作品を書いている最中に「むしろ危険を象徴するのは罪悪感よりも正義感なのでは?」と思った経緯があり、本作のタイトルは「ジャスティス」に変更となりました。ちなみに「鉄槌」というタイトルでもいいかなとは思っていました。
作品を読んだら分かると思いますが、怨霊となった元イジメられっ子の復讐って一見スッキリするもんなんですよね。でも、それでスッキリしているのって対岸の火事としてそのストーリーを見ていられる私達だけなんじゃないかと。
もうちょっと分かりやすい事例を挙げましょうか。
今やネットでは犯罪者のプライバシーも人権も侵害されまくっているじゃないですか(被害者の権利がそれ以上に蹂躙されているのは同意します)。それで犯人の家族にまで誹謗中傷、そして暴力が及んだりするわけですけど、そういう私刑をする方々も(嘘みたいな話ですが)そもそもは正義感に駆られてやってるわけです。
ごく普通のニュースサイトでも見れば、この前某市で事件を起こした人に対して「裁判なんぞいらん。今すぐ極刑を!」みたいな物騒な言葉が踊っていますね。私も正直に申し上げればそっちの方の考え方に近いかもしれません。でも、ここであえて待てと言いたい。
たとえばですが、これが何かの間違いや陰謀で冤罪事件だった場合、その犯人を殺した後に誰が責任を取れるのか? という話です。結論から言うと誰もそんな責任は取れません。
仮にそうなると、今度は「なんで証拠を吟味しなかった!?」という非難が起こるわけです。しかもそいつはつい最近まで「今すぐ極刑を!」とか言ってた人なんですよ。
今の社会ではネットが普及して世界中の色んな情報が見られるわけですけど、反対に人間の視野は底なしに狭窄となり、脊椎反射の権化のような人達が大衆の意見を先導している感が否めません。でもそれも全部根底にあるのは正義感なんですね。
仮面ライダーとか観ていると分かりやすいじゃないですか。いかにも悪そうな怪人が出てきて、そいつをライダーキックでぶっ飛ばす。実に単純明快です。善と悪が白と黒の世界です。
でも、現実はそうじゃない。
家族を護るために銃を握る犯罪者だっているわけです。一族を殺された恨みからテロを起こす奴だっているわけです。それは一概に悪なんでしょうか? そいつらを爆撃して家族ごと殺すのは善なんですか? 一体どんな基準において善を定義しているのですか?
……という風に、正義をどう定義するかで人と人の間には争いが絶えません。
ちょいとネタバレにはなりますけど、復讐を果たした後に何が残るのか、というのを考えるきっかけになったらなという事で、今作のラストはああいう結末になりました。そして「ギルティ」というタイトルも嫌みったらしい響きの「ジャスティス」へと変わったわけです。
まあここだけの話、当初は「笑える呪怨が書けたら面白いな」ぐらいの感覚だったんですね。
ですが、作中の人物を殺しまくっている最中に「このままじゃ駄作一直線だな」という事に気付き、復讐だけ果たして終わるオチを全然違うものに書きかえたんですね。結果想像以上に真面目な作品になってしまいましたが(笑)。
そんなわけで、「ジャスティス」を読んだ人は一度自分の定義する正義とは何ぞと自問してみるのも面白いでしょう。
正義の対極は悪ではなく、もう一つの正義なのです。
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