才能があるかどうかなんて誰にも分かりゃしない
- 2014/11/01
- 22:02
10月の売上でなぜか「ドス黒純文学の書き方」が6部売れてました。急に人気出たのはなんでだろう? ちょっとはインディーズ作家として認められてきたという事でしょうか?
さて、今日はやめたほうが良い無駄な事について話しますかね。
よく他のインディーズ作家さんのブログやらツイートを見てると「俺には才能があるのか……」みたいな、わりと悲壮感に満ちた記述があったりします。この自問自答、ぶっちゃけ無駄ではないかと思います。
と言うのも、才能があったか無かったかは結局のところキャリアが終わった瞬間に分かるからです。この悲観的な自問自答でどんだけの天才が自ら沈んできたのかと考えると怖気がしますね。絶対的な評価が出来る人なんていないはずなのに、才能があるかどうかなんて分かるわけないじゃないですか。
冷静に考えて下さい。例えばわなび連中が崇拝している傾向のある三島由紀夫を引き合いに出しますね。これはあくまで私個人としての所感ですが、同氏の「金閣」はすごく好きなんですけど、「仮面の告白」はイカ臭いスノビズムが鼻について読めたもんじゃないと思いますよ。が、そうでないと感じると思う人(主に文藝に造詣のある人)も沢山いるわけです。でも、世間的な感覚はたぶん私の方が近い(そもそも難解な言葉を使い過ぎて普通の人には読めない)のではないかと思います。ちなみに村上春樹は「三島は(生理的に)無理」みたいな事を言ってましたね。
話は脱線しましたが、結局ところ、ある程度の数の人に認められれば才能があったと判断してもいいんでしょうね。それまで諦めなければ才能が無かったと言われる筋合いはございません(笑)。最後に勝てばいいんです。
それに本当の天才は自分に才能があるかどうかをまず気にしていません。そりゃそうでしょ?
ですから、才能を気にしていればその無駄になった時間や思考分、天才からさらに溝をあけられるわけです。これでは二重に差をつけられてしまいます。
ですから、まず自分に才能があるかどうかを思い悩む行為そのものが無駄である事を知る事です。被害妄想は、時に本物の才気すら枯らせてしまいます。
数値で表せないものを可視化させるのは不可能です。
さて、今日はやめたほうが良い無駄な事について話しますかね。
よく他のインディーズ作家さんのブログやらツイートを見てると「俺には才能があるのか……」みたいな、わりと悲壮感に満ちた記述があったりします。この自問自答、ぶっちゃけ無駄ではないかと思います。
と言うのも、才能があったか無かったかは結局のところキャリアが終わった瞬間に分かるからです。この悲観的な自問自答でどんだけの天才が自ら沈んできたのかと考えると怖気がしますね。絶対的な評価が出来る人なんていないはずなのに、才能があるかどうかなんて分かるわけないじゃないですか。
冷静に考えて下さい。例えばわなび連中が崇拝している傾向のある三島由紀夫を引き合いに出しますね。これはあくまで私個人としての所感ですが、同氏の「金閣」はすごく好きなんですけど、「仮面の告白」はイカ臭いスノビズムが鼻について読めたもんじゃないと思いますよ。が、そうでないと感じると思う人(主に文藝に造詣のある人)も沢山いるわけです。でも、世間的な感覚はたぶん私の方が近い(そもそも難解な言葉を使い過ぎて普通の人には読めない)のではないかと思います。ちなみに村上春樹は「三島は(生理的に)無理」みたいな事を言ってましたね。
話は脱線しましたが、結局ところ、ある程度の数の人に認められれば才能があったと判断してもいいんでしょうね。それまで諦めなければ才能が無かったと言われる筋合いはございません(笑)。最後に勝てばいいんです。
それに本当の天才は自分に才能があるかどうかをまず気にしていません。そりゃそうでしょ?
ですから、才能を気にしていればその無駄になった時間や思考分、天才からさらに溝をあけられるわけです。これでは二重に差をつけられてしまいます。
ですから、まず自分に才能があるかどうかを思い悩む行為そのものが無駄である事を知る事です。被害妄想は、時に本物の才気すら枯らせてしまいます。
数値で表せないものを可視化させるのは不可能です。
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