人の書いた文章をブチ壊す暴君達
- 2014/10/28
- 22:41
最近になって急に思い出したのですが、私が小学生時代にすごく嫌だった記憶があります。
小3の時でしたが、私は友達をテーマにした作文を書きました。それがよく出来ていたという事で、区主催だった何だったかは忘れましたが、作文コンクールに出すという流れになりました。
書いたものをそのまんま出してくれれば何も問題なかったのですが、その時の担任の先生が勝手に人の作文を推敲するんですよね。こう書け、ああ書けと言われ、「うるせえなあ」と思いながらイヤイヤ作文を改稿していきました。
出来上がったものを見ると、もはや自分の作品ではない(笑)。それは私の声を聞いた先生のルポルタージュに近くなっていたと記憶しています。
そして、私はコンクールで銅賞を獲得しました。手に入れたのは達成感ではなく、虚無感と大人の見栄や汚さに対する嫌悪感、そして自分の作品とは言えないもので賞を取った事に対する残酷な賞賛でした。この下らない欺瞞が暴かれて欲しいと一番思ってたのは他ならぬ受賞者の私でした(笑)。
他にもあります。
小5時代、家族の作文を書いた時に、親から内容に口出しが入りました。
予定通り私の作文から家族にとって都合の悪い部分は抜き取られ、出来上がった作品は貴族の日記みたいになっていました(笑)。自分で言うのもなんですけど、まあクソつまんない文章でしたよ(笑)。自己愛が無くてもナルシズムに満ちた文章は書けるんだなと珍奇な発見はしましたけど。
この経験が糧になったのか、それともアダになったのか、私は自分の文章にケチをつけられるとキレやすい性格になってしまったようです。
経験上から考えると、やっぱり編集の人はあんまり作家に口出ししない方がいいんだろうなと思います。もし深いところまで介入するのであれば、ストーリーの破綻など失敗したら腹を切る覚悟でやってもらうか、それが嫌なら自分で執筆して本を出してもらえばいいんだと思います。
過去のコラムで私は「レビューは良いところばっかり取り上げた方がいい」と書きましたが、それに対して「良くないところを指摘してあげるのも優しさ」という旨の反論がありました。
一理はあります。ですが、この言葉に象徴される通り、「指摘してあげる」という感覚は致命的な事があります。センスの良い人が言うのであればいいアドバイスでしたという風になるんでしょうが、大体の場合「○○してあげる」という感覚の人は書き手を下に見ている事が多く、その人の関わった文章はロクな事になりません。ちなみにそういう人は自分自身が執筆している事が多く、中途半端にプライドが高いので扱いにくいです(笑)。人の作品には口を出すくせに、自分の作品に口を出されるとキレるんです。
というわけで、自分の書いた文章に自信が無いのであれば、中途半端な経験者ではなく、まったくの素人に読んでもらって面白いか面白くないかの二択で訊いた方が信用出来る答えが返ってきますよ。それは評価と作品の間に「いいところを見せたい」という邪心が介在しないからです。
時に鋭い観察眼を持つ人がいるとしても、結局は自分で自分の作品を研磨するしかありません。
小3の時でしたが、私は友達をテーマにした作文を書きました。それがよく出来ていたという事で、区主催だった何だったかは忘れましたが、作文コンクールに出すという流れになりました。
書いたものをそのまんま出してくれれば何も問題なかったのですが、その時の担任の先生が勝手に人の作文を推敲するんですよね。こう書け、ああ書けと言われ、「うるせえなあ」と思いながらイヤイヤ作文を改稿していきました。
出来上がったものを見ると、もはや自分の作品ではない(笑)。それは私の声を聞いた先生のルポルタージュに近くなっていたと記憶しています。
そして、私はコンクールで銅賞を獲得しました。手に入れたのは達成感ではなく、虚無感と大人の見栄や汚さに対する嫌悪感、そして自分の作品とは言えないもので賞を取った事に対する残酷な賞賛でした。この下らない欺瞞が暴かれて欲しいと一番思ってたのは他ならぬ受賞者の私でした(笑)。
他にもあります。
小5時代、家族の作文を書いた時に、親から内容に口出しが入りました。
予定通り私の作文から家族にとって都合の悪い部分は抜き取られ、出来上がった作品は貴族の日記みたいになっていました(笑)。自分で言うのもなんですけど、まあクソつまんない文章でしたよ(笑)。自己愛が無くてもナルシズムに満ちた文章は書けるんだなと珍奇な発見はしましたけど。
この経験が糧になったのか、それともアダになったのか、私は自分の文章にケチをつけられるとキレやすい性格になってしまったようです。
経験上から考えると、やっぱり編集の人はあんまり作家に口出ししない方がいいんだろうなと思います。もし深いところまで介入するのであれば、ストーリーの破綻など失敗したら腹を切る覚悟でやってもらうか、それが嫌なら自分で執筆して本を出してもらえばいいんだと思います。
過去のコラムで私は「レビューは良いところばっかり取り上げた方がいい」と書きましたが、それに対して「良くないところを指摘してあげるのも優しさ」という旨の反論がありました。
一理はあります。ですが、この言葉に象徴される通り、「指摘してあげる」という感覚は致命的な事があります。センスの良い人が言うのであればいいアドバイスでしたという風になるんでしょうが、大体の場合「○○してあげる」という感覚の人は書き手を下に見ている事が多く、その人の関わった文章はロクな事になりません。ちなみにそういう人は自分自身が執筆している事が多く、中途半端にプライドが高いので扱いにくいです(笑)。人の作品には口を出すくせに、自分の作品に口を出されるとキレるんです。
というわけで、自分の書いた文章に自信が無いのであれば、中途半端な経験者ではなく、まったくの素人に読んでもらって面白いか面白くないかの二択で訊いた方が信用出来る答えが返ってきますよ。それは評価と作品の間に「いいところを見せたい」という邪心が介在しないからです。
時に鋭い観察眼を持つ人がいるとしても、結局は自分で自分の作品を研磨するしかありません。
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