コメント
No title
今回は大いなる失敗作で自分以外は誰も最後まで読まないのではないかと危惧していました。
つまらないとか手を抜いたとかという意味ではなくて、心や魂の問題というのを誰も興味を持たないのではないかという危惧です。
いや、抜いたといえば保元町の白黒合戦はまだ2枚展開があったのですが長くなりすぎるので没にしました。月狂さんの言う通りで、あそこだけ抜き出して長編にできる話でした。でも大勢は同じですよ。
保元町の話は平家物語を下敷きにしたのですが気付かれましたか?
ツネクロウ→義経は九男だから経九郎でツネクロウ
ヨリサブロウ→頼朝は三男だから頼三郎でヨリサブロウ
カゲゾウ→景時も三男だから景三でカゲゾウ
白猫達も同じです。
大化町のアラーニャンとカラマーニャンの話ですが、少なくとも意識していた範囲では書いてある通りです。
猫から離れて人間に話を戻すと、目が見えない人、耳が聞こえない人、鼻の聞こえない人、しゃべれない人、手足の無い人。これらのように体を欠損していても、その人には確実に感情が存在しています。
体から離れてうつ病の人の場合。何の感情も湧いてこない感情の喪失というものがありますが、それでも感情の喪失を感じている主体が存在します。
その主体こそが猫又であり俗にいう"自分"であるということを言っているんですよ。
これを意識すると後のシラコさん七変化を理解いただけるかと思います。
三代続いた真論君家の猫は同一の猫かというのは、そうであるともそうでないとも解釈できます。
物語の最後に小さな救いがあるのですが、ムートンとミータン同一の魂であるのか別の魂であるのかという疑問を残しました。まあ名前を変える猫を出して、そう解釈するように誘導しましたが、結局はどっちだか分からない。
どっちにしろ真論君家の心に開いたミータンの穴はムートンが埋めてくれるでしょう。
この小説ではもっと大きなミステリーを密かに投げかけたつもりです。怖がらせるといけませんから、猫を間に挟んで間接的にです。
猫にしろ人にしろ、誰もが自分がどこから来てどこへ行くのかを知りません。
キリストがどうのアラーがどうの仏様がどうの科学的にはどうのと色々ありますが、結局どうなるのかは謎のままです。知らないからこそ信じたり疑ったりするわけです。こんな話を書いておいて言うのも何ですが私にだって分かりません。誰にだって分かるとも思えません。だから大きなミステリーなのです。
それにしても月狂さんの読書勘はいつも鋭いですね。心の中まで覗かれているようでゾクッとしました。でもそこまで読んでくれたのなら作者冥利に尽きました。
本当にありがとうございました。
牛野小雪より
Re: No title
保元町は平家物語ですか。確かに名前が源平合戦っぽいとは思っていました。まあ、白猫VS黒猫という対立構造から、もしかしたら人種差別から始まる紛争でも諷喩しているのか? という変なベクトルに行きましたけど(笑)。
レビューでは書くのを自重したのですが、アラーニャン・カラマーニャンは一見ペテン師のように見えて、実は違うのでは? と思っています。何でもかんでも五感で感じ取れるかと言ったら必ずしもそうじゃありませんからね。
カラマーニャンという名前からカラマーゾフの兄弟の大審問官をパロってるのか? なんて思いながら読みました。証拠不十分で書きませんでしたが(笑)。
返信を読んでいて気付きましたが、シラコさんがいなくなってミータンの心に穴が空き、ミータンがいなくなって真論君の心に穴が空いて、そこにムートンがやってきて空白を埋めるのだけど、でも、その穴はムートンだけで塞がれてるわけではなくて……なんて考えました。
誰かが死んで哀しかった時、誰かがその穴を埋めてくれても完全ではないというか、いなくなった人の残り香を人生のどこかに感じているのだな、と。本当の意味で誰かの代わりになれる人なんていないんですよね。
計算したのか天然でやったのかは分かりませんが、今作は今までの作品で一番深いですね。
ノルウェイの森は底の見えないデカダンスといった風で、正直なところラストに不快感を禁じえないのですが、今作は何か生きる希望を与える作品になったのだと思います。
タイトルから子供向けと早合点せず、人生に迷っている方はぜひ読んでほしいですね。