「幻の分人」書評
- 2014/08/05
- 17:52
もう一つKDP作品をご紹介します。
二作目は八幡謙介氏の「幻の分人」です。

平野啓一郎氏の分人思想をモデルとした作品だそうで、なんとご本人に許可を取って(!)書いたものだそうです。
付随情報はあえて仕入れずに本作を読んだのですが、第一印象は「あ、過激な純文学見っけ」という感じでした。そして、これ半分ぐらいは実話なんでは? という印象も受けました。
ストーリーを紹介していきます。
主人公はギター講師のKさん。言うのも野暮ですが、著者ご本人の視点で話は進んでいきます。
いきつけのバーで呑んでいたやは……じゃない、Kさんはいかにも謙虚そうな中年紳士に出会います。二人で音楽談義に華を咲かせ、意気投合する内に中年紳士は「もし自分がミューシャンであったら」という話になります。
Kさんは「いやぁでもねえ、長年やってるとめんどくさいことも多いんすよ」と返し、その後は素人レベルの人間から絡まれたりレビューでボロクソ書かれたりした過去を曝け出します。ハイ、リアルの誹謗中傷ですらネタにしましたね(笑)。
その話になった途端、中年紳士は急に神妙な顔つきになり、ふいに「分人」という単語を口にしだします。急な流れの転換に戸惑いながらも、Kさんはその話に耳を傾けていきます。
ストーリーの紹介はここで区切り、この作品のキーワードになっている分人という概念とは何か見てみましょう。
検索をかけたら分かりやすく書いてあるサイトがありました。
「分人」主義でいこう!――平野啓一郎『私とは何か 「個人」から「分人」へ』
間違っていたら赤っ恥ですが、私なりの解釈でその例を書いてみます。
たとえば職場の人と同じように家族には接しませんよね? 接待先のキャバ嬢と同じ接し方で同僚の女性社員と会話したりしないですよね?
こういった対応の違いを、従来の考えでは人によって別人格を使っているような解釈をしているととらえるのが大勢だったようです。つまり偽りの人格を使い分けているといった考え方です。
これに対して分人という考えは、上記の対応はすべて本当の自分であると考える思想ですね。つまり仕事で下げたくもない頭を下げていようが、腹いせに部下を怒鳴り散らそうが、帰ったら奥さんにフライパンでメッタ打ちにされていようが(笑)全部本当の自分である。それは虚飾ではないという事です。
話は少し逸れましたが、本作にはその分人という概念を骨子として、八幡氏自身の経験をメタ的な要素としてミックスした非常に実験的で面白い作品なわけです。ある意味、でんしょのうらがわ的な要素をミックスしたトンデモ純文学という見方も出来るでしょう。
個人的にこれは色々と議論したくなる類の作品なのではないかな? と思います。平野啓一郎氏ご本人が読んだら何と言うかも気になるところ。
平易な文章に隠された深みをぜひ感じ取っていただければと思います。
二作目は八幡謙介氏の「幻の分人」です。

平野啓一郎氏の分人思想をモデルとした作品だそうで、なんとご本人に許可を取って(!)書いたものだそうです。
付随情報はあえて仕入れずに本作を読んだのですが、第一印象は「あ、過激な純文学見っけ」という感じでした。そして、これ半分ぐらいは実話なんでは? という印象も受けました。
ストーリーを紹介していきます。
主人公はギター講師のKさん。言うのも野暮ですが、著者ご本人の視点で話は進んでいきます。
いきつけのバーで呑んでいたやは……じゃない、Kさんはいかにも謙虚そうな中年紳士に出会います。二人で音楽談義に華を咲かせ、意気投合する内に中年紳士は「もし自分がミューシャンであったら」という話になります。
Kさんは「いやぁでもねえ、長年やってるとめんどくさいことも多いんすよ」と返し、その後は素人レベルの人間から絡まれたりレビューでボロクソ書かれたりした過去を曝け出します。ハイ、リアルの誹謗中傷ですらネタにしましたね(笑)。
その話になった途端、中年紳士は急に神妙な顔つきになり、ふいに「分人」という単語を口にしだします。急な流れの転換に戸惑いながらも、Kさんはその話に耳を傾けていきます。
ストーリーの紹介はここで区切り、この作品のキーワードになっている分人という概念とは何か見てみましょう。
検索をかけたら分かりやすく書いてあるサイトがありました。
「分人」主義でいこう!――平野啓一郎『私とは何か 「個人」から「分人」へ』
間違っていたら赤っ恥ですが、私なりの解釈でその例を書いてみます。
たとえば職場の人と同じように家族には接しませんよね? 接待先のキャバ嬢と同じ接し方で同僚の女性社員と会話したりしないですよね?
こういった対応の違いを、従来の考えでは人によって別人格を使っているような解釈をしているととらえるのが大勢だったようです。つまり偽りの人格を使い分けているといった考え方です。
これに対して分人という考えは、上記の対応はすべて本当の自分であると考える思想ですね。つまり仕事で下げたくもない頭を下げていようが、腹いせに部下を怒鳴り散らそうが、帰ったら奥さんにフライパンでメッタ打ちにされていようが(笑)全部本当の自分である。それは虚飾ではないという事です。
話は少し逸れましたが、本作にはその分人という概念を骨子として、八幡氏自身の経験をメタ的な要素としてミックスした非常に実験的で面白い作品なわけです。ある意味、でんしょのうらがわ的な要素をミックスしたトンデモ純文学という見方も出来るでしょう。
個人的にこれは色々と議論したくなる類の作品なのではないかな? と思います。平野啓一郎氏ご本人が読んだら何と言うかも気になるところ。
平易な文章に隠された深みをぜひ感じ取っていただければと思います。
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