中二病を恐れてはいけません
- 2021/10/31
- 23:53
どの芸術分野でも「中二病」という言葉が侮蔑のニュアンスとともに使われます。
文藝の界隈だとファンタジー物であったり女性心理について深いところまで踏み込んだ作品であったり、太宰や三島チックな純文学もそのような言葉の槍玉に上がります。
言われた方はそれなりに腹を立てたり不快な思いをしたり、はたまた傷付く事だってあるのですが……私はあえてここでこう言い切りたい。
芸術表現なんぞ99%が中二病だと。
そもそも文学作品で有名なものでさえ、本にならずに「こういう妄想してるんだけどさ」と誰彼構わず喋っていたらその作者は相当ヤバい奴判定されるでしょう。世間には期待される思想や思考があり、そこから逸脱する人は必然的に大なり小なり変わった人判定をされます。
ですが、世間の人々を楽しませるのはその逸脱そのものです。
要はどのような芸術作品であれ、受け取り手にとって許容出来るか否かが世間でどれだけ受け入れられるかの指標になります。たくさんの人があなたの妄想に共感するなら中二病の謗りは免れるでしょう。
性と暴力に満ちた作品も大抵の作品は嫌われる傾向にありますが、それでも表現の仕方によっては大して珍しくないプロットでも多くの人に愛され、時には文学界で権威のある賞を獲る事さえあります。
話はだいぶ回りくどくなりましたが、何かを表現する時に意地の悪い批評家もどきの眼を気にするのは、あなた自身をつまらない人間にしますよという事です。
まあ世間では礼儀正しくそつなく生きている方が楽で賢いのでしょう。私もリアル社会ではどちらかというとそのように振舞っていると思います。
ですが、自分が創作する場においては自分というものを抑制しないようにしたいなと思うのです。幸い私はインディーズです。極端な話、一つも作品が売れなくても死ぬわけではありません。表現そのものはこの鼓動が止まるその時まで続ける事が出来ます。
音楽の世界でも「これだけ実力があるのに音楽だけで食っていけないのか」と衝撃を受けたアーティストが多々います。名前はあえて出しませんが。
そうなると「それだけで食っていく」事だけが本当に正義なのか、と思うのです。
生活に怯え、収入の低下を恐れて自分のしたい表現を抑えてまで「世間から受け入れられるもの」を「創造」していく必要がそれほどあるのか……。そのような気がするのです。
時としてあまりにも世間の需要と乖離してしまう事もありますが、それもひっくるめて自分のやりたい表現とそれを「受けて欲しい」層が抱いているであろう願望との釣り合いを取りつつ、自身の技巧や深みを研鑽していくのが一番健全なのかなと思うのです。
もっと簡単に言うと、チヤホヤされるのを目的にするのではなく、たとえ少数であったとしても誰かの心に響き、その余韻を残すような何かを届けていけばいいのではないでしょうかという事です。
このような考え自体を逃げのようにとらえる人も多々いますが、フォロワーの数を増やす事が知らぬ間に目的化しているネット有名人がそれほど幸せには見えないのです。
中二病を恐れてはいけません。それはクサく、黒歴史になるかもしれません。
ですが、だから何ですか?
実力が上がればゆくゆく過去作は嫌でも黒歴史になります。
ならないという事はすでに完成しているか、大して伸びていないかのどちらかです。
全力で突っ走って黒歴史を量産していく事です。
過去の最高傑作が黒歴史に変わっている時、あなたの実力は間違いなく伸びているはずなのですから。
追伸:公約通り「獄童アイソレーション」を11月1日の17時頃より3日間にわたって無料キャンペーンをやります。おそらく大してDLもされないでしょう。
それはそれで構いません。当たらないなら当たるまで打ち続けるだけです。
文藝の界隈だとファンタジー物であったり女性心理について深いところまで踏み込んだ作品であったり、太宰や三島チックな純文学もそのような言葉の槍玉に上がります。
言われた方はそれなりに腹を立てたり不快な思いをしたり、はたまた傷付く事だってあるのですが……私はあえてここでこう言い切りたい。
芸術表現なんぞ99%が中二病だと。
そもそも文学作品で有名なものでさえ、本にならずに「こういう妄想してるんだけどさ」と誰彼構わず喋っていたらその作者は相当ヤバい奴判定されるでしょう。世間には期待される思想や思考があり、そこから逸脱する人は必然的に大なり小なり変わった人判定をされます。
ですが、世間の人々を楽しませるのはその逸脱そのものです。
要はどのような芸術作品であれ、受け取り手にとって許容出来るか否かが世間でどれだけ受け入れられるかの指標になります。たくさんの人があなたの妄想に共感するなら中二病の謗りは免れるでしょう。
性と暴力に満ちた作品も大抵の作品は嫌われる傾向にありますが、それでも表現の仕方によっては大して珍しくないプロットでも多くの人に愛され、時には文学界で権威のある賞を獲る事さえあります。
話はだいぶ回りくどくなりましたが、何かを表現する時に意地の悪い批評家もどきの眼を気にするのは、あなた自身をつまらない人間にしますよという事です。
まあ世間では礼儀正しくそつなく生きている方が楽で賢いのでしょう。私もリアル社会ではどちらかというとそのように振舞っていると思います。
ですが、自分が創作する場においては自分というものを抑制しないようにしたいなと思うのです。幸い私はインディーズです。極端な話、一つも作品が売れなくても死ぬわけではありません。表現そのものはこの鼓動が止まるその時まで続ける事が出来ます。
音楽の世界でも「これだけ実力があるのに音楽だけで食っていけないのか」と衝撃を受けたアーティストが多々います。名前はあえて出しませんが。
そうなると「それだけで食っていく」事だけが本当に正義なのか、と思うのです。
生活に怯え、収入の低下を恐れて自分のしたい表現を抑えてまで「世間から受け入れられるもの」を「創造」していく必要がそれほどあるのか……。そのような気がするのです。
時としてあまりにも世間の需要と乖離してしまう事もありますが、それもひっくるめて自分のやりたい表現とそれを「受けて欲しい」層が抱いているであろう願望との釣り合いを取りつつ、自身の技巧や深みを研鑽していくのが一番健全なのかなと思うのです。
もっと簡単に言うと、チヤホヤされるのを目的にするのではなく、たとえ少数であったとしても誰かの心に響き、その余韻を残すような何かを届けていけばいいのではないでしょうかという事です。
このような考え自体を逃げのようにとらえる人も多々いますが、フォロワーの数を増やす事が知らぬ間に目的化しているネット有名人がそれほど幸せには見えないのです。
中二病を恐れてはいけません。それはクサく、黒歴史になるかもしれません。
ですが、だから何ですか?
実力が上がればゆくゆく過去作は嫌でも黒歴史になります。
ならないという事はすでに完成しているか、大して伸びていないかのどちらかです。
全力で突っ走って黒歴史を量産していく事です。
過去の最高傑作が黒歴史に変わっている時、あなたの実力は間違いなく伸びているはずなのですから。
追伸:公約通り「獄童アイソレーション」を11月1日の17時頃より3日間にわたって無料キャンペーンをやります。おそらく大してDLもされないでしょう。
それはそれで構いません。当たらないなら当たるまで打ち続けるだけです。
スポンサーサイト