好き勝手やれる幸せと
- 2021/08/08
- 09:31
前に似たような話をした気もしますが、KDP――いわゆる個人出版をやっている小説家としての強みってなんですか? と訊かれると筆頭に挙げたいのは「好き勝手自分の書きたいものが書ける」というところなのだと思います。
私の場合、小説を書き始めたのが大人になってからなのですが、小学生の時は(おそらく作家になれなかったババアである)先生から目をつけられまして(笑)、書きたくもない文章を書いてはコンクールに出して銅賞とか、中途半端な実績を持っていました。
これがかなり苦痛だったんですけど(笑)、私は文章で「大人がそう望む子供の視点」というのを演じる事を強要されておりまして(こういう風に書きなさい等)、しかも書いた文章はほぼ別の文章になるまで強制リライトされ、それを自分の手で書きなおすよう強要されるという最悪な感じで作文を書かされていました。
(それならあんたが書けばいいじゃんと思っていました)
ほとんど国語教師が代筆しているようなものなので、そりゃ受賞しますよね。でも、自分で書いたものとはほぼ別物なので少しも嬉しくないのです。〇〇と思ったって書いてますけど、実際には思ってないし(笑)。
そんな苦痛のサイクルから解放されて何年も経ち、いわゆるノワール小説とか、そこまで行かないにしても山田詠美とかの「人間の嫌な部分」をガッツリ書いている作品を見て衝撃を受けました。「え? こんなん書いていいですか?」と。
で、そういう作品の方が実際に面白いのですよね。
そういった体験もあり、私の書く作品が全般的に人間の嫌な部分だったり性&暴力描写が容赦なくなったのってその辺の背景もあるんだと思います。
話はだいぶ逸れたんですけど、上記の事もあるので、自分の書きたいものを書きたいように書いて発表出来る事自体がすごい事なわけですよ。
公募にしても見えない同意点みたいなものはありまして、「ここを自分の書きたいように書いたら落ちるんだろうな」というポイントはあります。傾向は無いですと言っている賞ですらそれは存在します。それを本当に無視出来るのは誰が見ても一目で分かるような天才だけです。
個人出版だと「これ、公募だったら100%落ちるけどあったら読みたいよね」という作品を発表出来る場があり、実際そのような作品は結構あります。
今回私が書いた新作はアウトロー+小学生(どう見てもオッサンですが)+格闘技というゲテモノ一直線な組み合わせになりました。でも、あったら俺は読むだろうなという作品でもあるのです。
そういう自分が望んでいるものを市場に出す場合、出版社経由だとどうしても採算がとれるかどうかという部分が関わってくるのですけど、個人だったら大丈夫なので、それを利用しない手は無いだろうと。
過去に紹介してきた好きなマンガとかもあんなに面白いのに打ち切られてしまったりする事があるわけですよ。それは商売だからしょうがないところもある。
だけど、個人出版は採算度外視でいいので(笑)、売れなかったら書いた人が悲しい思いをするだけで終わるわけです。
見方によっては個人作家っていくら売れなくても打ち切りの無い「無敵の人」にもあたると思いますので、そこを活かして「一人でも観客がいるのなら、それに向かって全力でやっていこうぜ」という姿勢でいいんじゃないかと思うのです。
売れた方がいいのは間違いないのですけど、売れなかったら売れなかったで別にいいやと。そういう開き直りも必要かなと。KDP初期なんかは作品を世に出したいというよりはチヤホヤされたいが先行している感じの人もたくさんいた気がしますが、大体別のところに行きましたからね。まあ自分にまったくその要素が無いとは言いませんけど、それだけじゃこんなに続きませんぜっていうのもあるので。
新作を書き終わって今はお休み中ではありますけど、またすぐに何か降ってくるんだろうな、という予感はしています。心のウンコが出そうな、便意的な何かが蠢いているのを感じるのです。
私の場合、小説を書き始めたのが大人になってからなのですが、小学生の時は(おそらく作家になれなかったババアである)先生から目をつけられまして(笑)、書きたくもない文章を書いてはコンクールに出して銅賞とか、中途半端な実績を持っていました。
これがかなり苦痛だったんですけど(笑)、私は文章で「大人がそう望む子供の視点」というのを演じる事を強要されておりまして(こういう風に書きなさい等)、しかも書いた文章はほぼ別の文章になるまで強制リライトされ、それを自分の手で書きなおすよう強要されるという最悪な感じで作文を書かされていました。
(それならあんたが書けばいいじゃんと思っていました)
ほとんど国語教師が代筆しているようなものなので、そりゃ受賞しますよね。でも、自分で書いたものとはほぼ別物なので少しも嬉しくないのです。〇〇と思ったって書いてますけど、実際には思ってないし(笑)。
そんな苦痛のサイクルから解放されて何年も経ち、いわゆるノワール小説とか、そこまで行かないにしても山田詠美とかの「人間の嫌な部分」をガッツリ書いている作品を見て衝撃を受けました。「え? こんなん書いていいですか?」と。
で、そういう作品の方が実際に面白いのですよね。
そういった体験もあり、私の書く作品が全般的に人間の嫌な部分だったり性&暴力描写が容赦なくなったのってその辺の背景もあるんだと思います。
話はだいぶ逸れたんですけど、上記の事もあるので、自分の書きたいものを書きたいように書いて発表出来る事自体がすごい事なわけですよ。
公募にしても見えない同意点みたいなものはありまして、「ここを自分の書きたいように書いたら落ちるんだろうな」というポイントはあります。傾向は無いですと言っている賞ですらそれは存在します。それを本当に無視出来るのは誰が見ても一目で分かるような天才だけです。
個人出版だと「これ、公募だったら100%落ちるけどあったら読みたいよね」という作品を発表出来る場があり、実際そのような作品は結構あります。
今回私が書いた新作はアウトロー+小学生(どう見てもオッサンですが)+格闘技というゲテモノ一直線な組み合わせになりました。でも、あったら俺は読むだろうなという作品でもあるのです。
そういう自分が望んでいるものを市場に出す場合、出版社経由だとどうしても採算がとれるかどうかという部分が関わってくるのですけど、個人だったら大丈夫なので、それを利用しない手は無いだろうと。
過去に紹介してきた好きなマンガとかもあんなに面白いのに打ち切られてしまったりする事があるわけですよ。それは商売だからしょうがないところもある。
だけど、個人出版は採算度外視でいいので(笑)、売れなかったら書いた人が悲しい思いをするだけで終わるわけです。
見方によっては個人作家っていくら売れなくても打ち切りの無い「無敵の人」にもあたると思いますので、そこを活かして「一人でも観客がいるのなら、それに向かって全力でやっていこうぜ」という姿勢でいいんじゃないかと思うのです。
売れた方がいいのは間違いないのですけど、売れなかったら売れなかったで別にいいやと。そういう開き直りも必要かなと。KDP初期なんかは作品を世に出したいというよりはチヤホヤされたいが先行している感じの人もたくさんいた気がしますが、大体別のところに行きましたからね。まあ自分にまったくその要素が無いとは言いませんけど、それだけじゃこんなに続きませんぜっていうのもあるので。
新作を書き終わって今はお休み中ではありますけど、またすぐに何か降ってくるんだろうな、という予感はしています。心のウンコが出そうな、便意的な何かが蠢いているのを感じるのです。
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