逆の事をやっていた
- 2021/05/25
- 22:01
そういえばという事で思い出したのですが、特に「PCM」を書いたあたりでは馳星周の文体をパク……じゃなくてかなり参考にした部分がありました。
馳星周の創作論(?)も収録されている「ミステリーの書き方」という本があるのですが、そちらを「PCM」執筆後に軽く読み返したら、書いてある事とは全然違う事をやっていると分かりました(笑)。
曰く、アクションシーンはダラダラ何ページも書いてもしょうがないという感じの事が書いてあるのですが、知っての通り「PCM」って格闘技小説なのでほぼ肉弾戦ばっかりなんですよね(笑)。
だけどそれなりに評価を得る事は出来た。というか、商業で「こういうの無いかな?」って思っていたのを「無いから自分で書いちゃえ」ってなったのが大きいと思いますけど、やっぱり技法も創作論も時と場合によるんだなというのを妙に感じてしまいました。
逆に最新作の「愛の惨禍」については「PCM」で省き気味だった心理描写をこれでもかって入れたし、そのためにあえて一人称視点にしましたからね。
視点が描くものもちょっと変わってくるのかなと。「愛の惨禍」が三人称だと「しょうもねえなこいつ」って思われてしまうような気もするし(笑)、「PCM」は一人称にすると右構えと左構えをスイッチしまくって戦うハメドスタイルの描き方が難しくなる。そういう意味では本能的にそういう描き方を選択していたのかな、というところもありますね。
そういう意味だと指南本っていうのはやっぱり自分を刺激する程度に留めて、いつでもどこでも公理のようには使わない事も大事なのかなと。
もちろん書かれたままにやる事も大事なのですけど、それだけにとどまっていると進化はない。だから自分なりに水のように形を変えていくしかないのでしょうね。
5年後に私の文体がまったく同じとはとても思えないのですよね。おそらくまた誰かの文体をパクっているかと思われますが(笑)。
成長したくば、「水になれ友よ」ってところですかね。
馳星周の創作論(?)も収録されている「ミステリーの書き方」という本があるのですが、そちらを「PCM」執筆後に軽く読み返したら、書いてある事とは全然違う事をやっていると分かりました(笑)。
曰く、アクションシーンはダラダラ何ページも書いてもしょうがないという感じの事が書いてあるのですが、知っての通り「PCM」って格闘技小説なのでほぼ肉弾戦ばっかりなんですよね(笑)。
だけどそれなりに評価を得る事は出来た。というか、商業で「こういうの無いかな?」って思っていたのを「無いから自分で書いちゃえ」ってなったのが大きいと思いますけど、やっぱり技法も創作論も時と場合によるんだなというのを妙に感じてしまいました。
逆に最新作の「愛の惨禍」については「PCM」で省き気味だった心理描写をこれでもかって入れたし、そのためにあえて一人称視点にしましたからね。
視点が描くものもちょっと変わってくるのかなと。「愛の惨禍」が三人称だと「しょうもねえなこいつ」って思われてしまうような気もするし(笑)、「PCM」は一人称にすると右構えと左構えをスイッチしまくって戦うハメドスタイルの描き方が難しくなる。そういう意味では本能的にそういう描き方を選択していたのかな、というところもありますね。
そういう意味だと指南本っていうのはやっぱり自分を刺激する程度に留めて、いつでもどこでも公理のようには使わない事も大事なのかなと。
もちろん書かれたままにやる事も大事なのですけど、それだけにとどまっていると進化はない。だから自分なりに水のように形を変えていくしかないのでしょうね。
5年後に私の文体がまったく同じとはとても思えないのですよね。おそらくまた誰かの文体をパクっているかと思われますが(笑)。
成長したくば、「水になれ友よ」ってところですかね。
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