幸せを幸せとして享受する能力っていうのも一つの才能なのですよ
- 2020/05/15
- 22:05
和楽器バンドの鈴華ゆう子のYouTube生放送を観ながらこの記事を書いています。本当に神がかり的にいい声をしていますね、この人は。まさか季節感を完全無視して「細雪」を聴けるとは(笑)。
新作の「PCM」ジワジワ読まれていますが、コロナの時期であるし作中でコロナを思いっきり扱っているのもあり、「PCR」ってタイトルにしといた方が良かったんじゃねえかと(笑)。パチンコリベンジの略とかで。
ちなみにですが、実はわたくしパチンコをやった事が一回も無いという(笑)。
ただ、リアル仕事の方でPCMという言葉は使っていたので、この単語を使っていた元ボクサーを探したら私の身バレは案外早いのかもしれません(笑)。
過去作を振り返って、たとえば「鬼娘の千倍返し」なんかはどっちかというとバッドエンドっぽい終わり方だったのですが、今回はハッピーエンドの作品が多いような気がしないでもないですね。
ある意味これも変に背伸びしなくなった結果だったのかもしれません。
鬼娘の千倍返しについては「復讐を肯定してはいけない」みたいな思いが強くありまして、「復讐するはあなたの勝手だが、それをやった先に幸せがあると信じているのだったら大きな間違いだぞ」みたいな意味合いがあったので、ああいう終わり方になったという一面がありました。
あんまりネタバレするわけにはいかないので詳述は出来ませんが、「PCM」はわりとスッキリした終わり方ではあると思うのですよね。それはある意味時代背景からハッピーエンドに飢えていた部分もあったんでしょうし、どん底に落ちてもなんとかなるみたいな意味合いが今回前面に出てきたのかなと。そう思うとある意味私自身が成長してきたのかもしれません。
最近思ったのですが、ある意味幸せを幸せとして感じる事自体も一つの能力であり、それが無い人は幸せが向こうから来ても弾いてしまったり保持出来なかったりするのかもな、なんて思うのです。
そう考えるとよ~く読んでいればものすごい「おめでたい」ラストを飾った「PCM」はある意味過去最高傑作かもしれません(笑)。
あんまりワンパターンになってもいけないのですが、やっぱり読者に「読んでいて良かった」と思ってもらえるような作品を書いていきたいですね。不快な思いや絶望を与えるよりも、誰かに希望を与える能力の方が本当は遥かに賛美されるべき能力なんだろうなと。
そういう能力をバカにせず、素直に向き合っていきたいなと。
新作の「PCM」ジワジワ読まれていますが、コロナの時期であるし作中でコロナを思いっきり扱っているのもあり、「PCR」ってタイトルにしといた方が良かったんじゃねえかと(笑)。パチンコリベンジの略とかで。
ちなみにですが、実はわたくしパチンコをやった事が一回も無いという(笑)。
ただ、リアル仕事の方でPCMという言葉は使っていたので、この単語を使っていた元ボクサーを探したら私の身バレは案外早いのかもしれません(笑)。
過去作を振り返って、たとえば「鬼娘の千倍返し」なんかはどっちかというとバッドエンドっぽい終わり方だったのですが、今回はハッピーエンドの作品が多いような気がしないでもないですね。
ある意味これも変に背伸びしなくなった結果だったのかもしれません。
鬼娘の千倍返しについては「復讐を肯定してはいけない」みたいな思いが強くありまして、「復讐するはあなたの勝手だが、それをやった先に幸せがあると信じているのだったら大きな間違いだぞ」みたいな意味合いがあったので、ああいう終わり方になったという一面がありました。
あんまりネタバレするわけにはいかないので詳述は出来ませんが、「PCM」はわりとスッキリした終わり方ではあると思うのですよね。それはある意味時代背景からハッピーエンドに飢えていた部分もあったんでしょうし、どん底に落ちてもなんとかなるみたいな意味合いが今回前面に出てきたのかなと。そう思うとある意味私自身が成長してきたのかもしれません。
最近思ったのですが、ある意味幸せを幸せとして感じる事自体も一つの能力であり、それが無い人は幸せが向こうから来ても弾いてしまったり保持出来なかったりするのかもな、なんて思うのです。
そう考えるとよ~く読んでいればものすごい「おめでたい」ラストを飾った「PCM」はある意味過去最高傑作かもしれません(笑)。
あんまりワンパターンになってもいけないのですが、やっぱり読者に「読んでいて良かった」と思ってもらえるような作品を書いていきたいですね。不快な思いや絶望を与えるよりも、誰かに希望を与える能力の方が本当は遥かに賛美されるべき能力なんだろうなと。
そういう能力をバカにせず、素直に向き合っていきたいなと。
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