余白の話
- 2019/11/26
- 17:00
また過去の話になりますが、家庭教師のバイトをやっていたという友人が教え子だった元JK(が卒業して大学生になった女性)と連絡を取り、そのまま付き合ったという話を聞いた事がありました。
まあ、恋愛は自由ですし、生徒もちゃんと高校卒業したからいいだろうという意見はあるでしょうが、それでも私の中に何やらモヤっとした感覚が残りました。
今まであれだけ女にだらしなかった奴が何を言ってんだと言われるかもしれませんが、やっぱり体育会系の人間だったせいか、私の道徳律において、教え子に手を出すというのはキャバクラや風俗に行く事よりもアウトに感じてしまうのです。
だいぶ遠回りになりましたが、これについてもう少し考えたところ、私は道徳律云々よりも、余白を奪われた不快感に眉をひそめているのではないかと思い至ったのです。
たとえば、小説には書かれていない部分がたくさんあります。
それは単に不要だから書かれていない場合もあるし、作者が意図的にそうしているところもあります。
例を挙げるなら綿矢りさ(敬称略)に書かれた「夢を与える」があります。あれなんかは、読者が「それからどしたんでしょうか?」というところをあえて書いていません。
それについてレビューでは結構文句というか、「そこを知りたいのに」という苦情めいた感想が散見されました。
しかし私は言いたい。
あれで作者が読者に追従し、「書かれていない部分」を丁寧に描写し披露しようものなら、あの作品はたいそうつまらないものになっていただろうと。
なぜなら、その余白部分については百人百様の考え方があり、そこには願望やら未来への怖れが入り混じった非常に「おいしい」空間があるからです。
それをここはこう解釈するべきですとばかりに筆者が「正解」を提示してしまえば、読者の中で自由に彩られたはずの余白は消し飛んでしまいます。
ちなみに、WOWOWでは同作品のドラマが放送され、映像にて「一つの正解」が提示されました。あれはあれで面白かったし、考える方もかなり勇気のいる表現だったのだと思います。一人が絶賛しても九十九人がブーイングするリスクがあるからです。
と、だいぶ話は飛躍しましたが、冒頭の家庭教師の話はこの「余白」を奪われた感じを知らぬ間に知覚したのではないかと思い至りました。
まあ正直に言うなら家庭教師モノのAVとか大好きですし(笑)、「もし〇〇だったら」という妄想はアダルトに限らずなかなか楽しい行為ですよね?
おそらく、誰もが描かれていないものを想像する楽しみを知っているはずです。それを文字で表現したものがたまたま小説と呼ばれているに過ぎません。
そういう意味だと、物語に余白は必要不可欠なのかもしれません。
いつかに「自分の妄想には何テラバイトのグラフィックもかなわない」とゲームから離れていった記憶がありますが、余白を各々の妄想で最高の色に仕上げさせるという武器を持つ文学とは、娯楽の中ではもしかしたら最強なのかもしれませんね。
まあ、恋愛は自由ですし、生徒もちゃんと高校卒業したからいいだろうという意見はあるでしょうが、それでも私の中に何やらモヤっとした感覚が残りました。
今まであれだけ女にだらしなかった奴が何を言ってんだと言われるかもしれませんが、やっぱり体育会系の人間だったせいか、私の道徳律において、教え子に手を出すというのはキャバクラや風俗に行く事よりもアウトに感じてしまうのです。
だいぶ遠回りになりましたが、これについてもう少し考えたところ、私は道徳律云々よりも、余白を奪われた不快感に眉をひそめているのではないかと思い至ったのです。
たとえば、小説には書かれていない部分がたくさんあります。
それは単に不要だから書かれていない場合もあるし、作者が意図的にそうしているところもあります。
例を挙げるなら綿矢りさ(敬称略)に書かれた「夢を与える」があります。あれなんかは、読者が「それからどしたんでしょうか?」というところをあえて書いていません。
それについてレビューでは結構文句というか、「そこを知りたいのに」という苦情めいた感想が散見されました。
しかし私は言いたい。
あれで作者が読者に追従し、「書かれていない部分」を丁寧に描写し披露しようものなら、あの作品はたいそうつまらないものになっていただろうと。
なぜなら、その余白部分については百人百様の考え方があり、そこには願望やら未来への怖れが入り混じった非常に「おいしい」空間があるからです。
それをここはこう解釈するべきですとばかりに筆者が「正解」を提示してしまえば、読者の中で自由に彩られたはずの余白は消し飛んでしまいます。
ちなみに、WOWOWでは同作品のドラマが放送され、映像にて「一つの正解」が提示されました。あれはあれで面白かったし、考える方もかなり勇気のいる表現だったのだと思います。一人が絶賛しても九十九人がブーイングするリスクがあるからです。
と、だいぶ話は飛躍しましたが、冒頭の家庭教師の話はこの「余白」を奪われた感じを知らぬ間に知覚したのではないかと思い至りました。
まあ正直に言うなら家庭教師モノのAVとか大好きですし(笑)、「もし〇〇だったら」という妄想はアダルトに限らずなかなか楽しい行為ですよね?
おそらく、誰もが描かれていないものを想像する楽しみを知っているはずです。それを文字で表現したものがたまたま小説と呼ばれているに過ぎません。
そういう意味だと、物語に余白は必要不可欠なのかもしれません。
いつかに「自分の妄想には何テラバイトのグラフィックもかなわない」とゲームから離れていった記憶がありますが、余白を各々の妄想で最高の色に仕上げさせるという武器を持つ文学とは、娯楽の中ではもしかしたら最強なのかもしれませんね。
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