知らぬ間に自著が50作超えていた
- 2019/09/18
- 17:00
最近気付いたのですが、知らぬ間に自著が50冊を超えていました。
短編中編が多く、エッセイも結構あるので純粋な小説の記録として見るにはちょっとアンフェアな気がしますが、それでもようこんなに書いたなとも思います。
何度も言っている事ですが、書く事はもはや生理現象の段階に達しており、夢とか希望のためでなく、行き場の無い思考を排泄する手段としての小説があるのだと思います。
おそらくツイッターやらバカ話を沢山する仲間がいる人達は主にそこで思考の排泄をするのだろうかと思いますが、私の場合はたまたま便所が小説だったというところでしょうか。
今までも大して売れない作品を書いてきましたし、これからも大して売れない作品ばかり書いていくのでしょうけど(笑)、個人作家として小銭稼ぎにあえて妄執し、創作の世界にありがちなドロドロに関わらずにあえて外側からそれを書き続けた(そして、時には頼まれてもいないのになぜかその中へ飛び込んでいった)事が良かったのかもしれません。
思えばある日ボクシングジムで干されたりしなければ読書なんぞ始めず、小説の世界なんぞ完全に無縁だったのだろうなと思うと、人生というものは本当に数奇なものでございますね。
KDP黎明期から活躍してきた方々もだんだんいなくなり、最近だといわゆる「界隈(笑)」とはまったく無縁の方々が勝手に売れている印象を受けます。いい事だと思います。
まあ、だからといってロートル化したので引退しましょうとはなりませんし、個人作家のいいところはやりたいだけ続けられて、休みたい時には休んで復帰したい時には復帰できる点にございます。たとえ世間の需要が無くても……。
あと50作ぐらい何がしか上梓して、それで何か見えてくるものがあったら面白いですね。
その時には俺の名著BEST100という読者にとっては罰ゲームみたいな電子書籍でも出してやりましょうか。
その時にはもうちょっと豊かな小銭稼ぎになっているといいですねえ。
可能性は低い気がしますが(笑)。
というわけで、単なる気付きでした。頑張るかどうかはさておいて、これからもウンコをするように執筆は続けていくのでしょう。
短編中編が多く、エッセイも結構あるので純粋な小説の記録として見るにはちょっとアンフェアな気がしますが、それでもようこんなに書いたなとも思います。
何度も言っている事ですが、書く事はもはや生理現象の段階に達しており、夢とか希望のためでなく、行き場の無い思考を排泄する手段としての小説があるのだと思います。
おそらくツイッターやらバカ話を沢山する仲間がいる人達は主にそこで思考の排泄をするのだろうかと思いますが、私の場合はたまたま便所が小説だったというところでしょうか。
今までも大して売れない作品を書いてきましたし、これからも大して売れない作品ばかり書いていくのでしょうけど(笑)、個人作家として小銭稼ぎにあえて妄執し、創作の世界にありがちなドロドロに関わらずにあえて外側からそれを書き続けた(そして、時には頼まれてもいないのになぜかその中へ飛び込んでいった)事が良かったのかもしれません。
思えばある日ボクシングジムで干されたりしなければ読書なんぞ始めず、小説の世界なんぞ完全に無縁だったのだろうなと思うと、人生というものは本当に数奇なものでございますね。
KDP黎明期から活躍してきた方々もだんだんいなくなり、最近だといわゆる「界隈(笑)」とはまったく無縁の方々が勝手に売れている印象を受けます。いい事だと思います。
まあ、だからといってロートル化したので引退しましょうとはなりませんし、個人作家のいいところはやりたいだけ続けられて、休みたい時には休んで復帰したい時には復帰できる点にございます。たとえ世間の需要が無くても……。
あと50作ぐらい何がしか上梓して、それで何か見えてくるものがあったら面白いですね。
その時には俺の名著BEST100という読者にとっては罰ゲームみたいな電子書籍でも出してやりましょうか。
その時にはもうちょっと豊かな小銭稼ぎになっているといいですねえ。
可能性は低い気がしますが(笑)。
というわけで、単なる気付きでした。頑張るかどうかはさておいて、これからもウンコをするように執筆は続けていくのでしょう。
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