空気は読むものではない。壊すものだよ
- 2019/07/04
- 17:00
あらゆる創作の世界ではある程度ジャンルというくくりで見えざるフォーマットが存在します。音楽なんか分かりやすいですよね。クラシックなんて誰が聴いてもクラシックだって分かるし、ロックを聴いてクラシックだと言う人はいない。
文藝の世界でも当然そういうくくりはあるんですけど、やはりどこの世界でも言える事ですが、空気を読み過ぎてしまうのもどうなのかと。
ガッチガチの古典文学を書いたってゲーテやドストエフスキーに勝てる人は絶対に出て来ないし、仮に匹敵するものが書けても既視感があってあんまり感動出来ないかもしれません。
なのでこう考えてみましょう。
空気なんか読まないと(笑)。
思えば村上春樹はポルノ小説スレスレの描写があったし、山田風太郎の作品もリアリティという側面から見たら無茶苦茶です。
ですが面白いものは面白いのです。
それだけが真実で、読者は基本そこしか求めていません。
ですので、「こんなの書いても受け入れられないんじゃないか」とか「こんな無茶苦茶なジャンルで書いて大丈夫かな」とか自問自答するのはやめましょう。
ちゃんとした実力が備わっていれば――まあ、ここが一番大事なんですが――それはきっと面白いものになるはずです。
空気を読んだ作品はその通りの生き様になります。つまり吸われて吐かれて誰も味を憶えていない。
そうではなく、言い方は悪いですがウイルスぐらいに見られてもいいから何か心にひっかかる要素を入れてみましょう。
それはしばしば中二病のようになってしまいますが、中二病を恐れて新しい事に挑まない人はそれはそれで作家になれなかったオッサンになっていくのが相場です。
空気を読まず、自分独自の世界を構築していく事をもっと楽しんでみましょう。
一つだけ追記しておきますが、これは過去作を学ばなくてもいいというエクスキューズにはなりません。
昔の作品を読んで学んでいかない人はよほど才能に恵まれていない限り、永遠に中二病から抜け出す事は出来ません。
古いものを知った上で新しいものを創作していきましょう。
文藝の世界でも当然そういうくくりはあるんですけど、やはりどこの世界でも言える事ですが、空気を読み過ぎてしまうのもどうなのかと。
ガッチガチの古典文学を書いたってゲーテやドストエフスキーに勝てる人は絶対に出て来ないし、仮に匹敵するものが書けても既視感があってあんまり感動出来ないかもしれません。
なのでこう考えてみましょう。
空気なんか読まないと(笑)。
思えば村上春樹はポルノ小説スレスレの描写があったし、山田風太郎の作品もリアリティという側面から見たら無茶苦茶です。
ですが面白いものは面白いのです。
それだけが真実で、読者は基本そこしか求めていません。
ですので、「こんなの書いても受け入れられないんじゃないか」とか「こんな無茶苦茶なジャンルで書いて大丈夫かな」とか自問自答するのはやめましょう。
ちゃんとした実力が備わっていれば――まあ、ここが一番大事なんですが――それはきっと面白いものになるはずです。
空気を読んだ作品はその通りの生き様になります。つまり吸われて吐かれて誰も味を憶えていない。
そうではなく、言い方は悪いですがウイルスぐらいに見られてもいいから何か心にひっかかる要素を入れてみましょう。
それはしばしば中二病のようになってしまいますが、中二病を恐れて新しい事に挑まない人はそれはそれで作家になれなかったオッサンになっていくのが相場です。
空気を読まず、自分独自の世界を構築していく事をもっと楽しんでみましょう。
一つだけ追記しておきますが、これは過去作を学ばなくてもいいというエクスキューズにはなりません。
昔の作品を読んで学んでいかない人はよほど才能に恵まれていない限り、永遠に中二病から抜け出す事は出来ません。
古いものを知った上で新しいものを創作していきましょう。
スポンサーサイト