言い訳の達人になれ
- 2019/06/25
- 17:00
小説というものはしばしば荒唐無稽な話をガシガシと書かないといけません。それを楽しんでやるのはもちろんですが、荒唐無稽さを荒唐無稽と思わせないためには明らかに一定の技術が必要となります。
小説とは外れますが、たとえばどのような無茶な言い訳でもとっさにそれっぽい話をでっち上げて修羅場を巧く乗り切る人がいます。その人の話はよくよく聞いているとおかしいのに、妙にリアリティーがあったりします。
それは荒唐無稽さの中に、その人が聞き手の同意出来る点をうまく盛り込んでいるからです。
現実性とは基本話し手と聞き手の合意点の集積です。それを確立出来るからこそ、聞き手は話し手の言う事を信じる事が出来るのです。
つまり、荒唐無稽さをそのように感じさせない方法は純粋にこの一点だけに懸かっています。
どんなに荒唐無稽な話でも、核になる無茶苦茶な部分以外をリアルなもので固めると案外中核のおかしい部分はどうでもよくなるものです。
そのためには日頃より世間一般の人よりも新聞を読むなり読書するなりでより高い現実性を育んでおかねばなりません。これを商業作家は本能的に知り、実際にそのようにしています。
ですので作家を目指している人は「自分は作家だから世相なんぞ知らなくていい」と言ってはいけません。世相を知らない人が世相を超えられるとは思いません。そこには超えるべき線が見えていないからです。
勉強を重ねた上で言い訳の達人になるという事は、つまりどのような無茶苦茶な話でもそれっぽく話せるようになる、という事です。
小説とは外れますが、たとえばどのような無茶な言い訳でもとっさにそれっぽい話をでっち上げて修羅場を巧く乗り切る人がいます。その人の話はよくよく聞いているとおかしいのに、妙にリアリティーがあったりします。
それは荒唐無稽さの中に、その人が聞き手の同意出来る点をうまく盛り込んでいるからです。
現実性とは基本話し手と聞き手の合意点の集積です。それを確立出来るからこそ、聞き手は話し手の言う事を信じる事が出来るのです。
つまり、荒唐無稽さをそのように感じさせない方法は純粋にこの一点だけに懸かっています。
どんなに荒唐無稽な話でも、核になる無茶苦茶な部分以外をリアルなもので固めると案外中核のおかしい部分はどうでもよくなるものです。
そのためには日頃より世間一般の人よりも新聞を読むなり読書するなりでより高い現実性を育んでおかねばなりません。これを商業作家は本能的に知り、実際にそのようにしています。
ですので作家を目指している人は「自分は作家だから世相なんぞ知らなくていい」と言ってはいけません。世相を知らない人が世相を超えられるとは思いません。そこには超えるべき線が見えていないからです。
勉強を重ねた上で言い訳の達人になるという事は、つまりどのような無茶苦茶な話でもそれっぽく話せるようになる、という事です。
スポンサーサイト