ごった煮上等
- 2019/06/06
- 17:00
電子書籍の世界は良くも悪くも自由です。
どんな尖った作品を書こうが、どんな黒歴史小説だろうが控除陵辱……もとい、公序良俗や法に反しない限りは平等に上梓させてくれます。
だからこそびっくりするような黒歴史小説もちょいちょいストアで見つかるのですが、そういう作品をバカにする役目は有名な掲示板に任せて、今回は建設的な話をしましょう。
前の話題でも散々似たような事は書いているのですが、電子書籍はあらゆるしがらみから解放されているので、やろうと思えば好きなだけ自分の趣向に合わせてマニアックな路線を突き進む事も可能です。それをやって売れなくなったのがまさに私なのですが(笑)。
自虐はさておき、ジャンルすらも自由という事は色んなジャンルの本を読んでいる個人作家はカオスな組み合わせを考案する事が可能となります。
どの作品? と訊かれると実例を挙げた時に作者の方から「違うわい」と反論される気もしないでもないので、自著の妙ちきりんな組み合わせの作品を例に挙げてみます。
たとえば「ジャスティス」という作品ではスプラッターと道徳を組み合わせました。一見共存不可能なジャンルに見えなくもないのですが、いやいやそんな事はございません。あえて残忍さを見せる事で、読者の心におのおのの正義を思い描く事が可能なのです。
この流れは折羽ル子氏にテキストを提供した「ゑぐゐ道徳」でも引き継がれています。
最近だと夏目漱石の「坊っちゃん」をベースにしたアウトロー小説「暴っちゃん」(文豪のパロディー+アウトロー)、「成功している人はなぜゾンビなのか」(怪しいノウハウ本というか情報商材+ゾンビ。まったく人生の役に立たないという実用性の点では本家と肩を並べている)など、KDPとはほぼやりたい放題する事が可能な聖域でもあるわけです。
自戒も込めていいますが、もちろんただ奇をてらってばかりいてもしょうがないのは当たり前だし、企画倒れで実力が伴っていないものが出回ればそれは読者からバカにされます。それはそうでしょう。
ですが、どのようなごった煮もつまるところ筆力次第でどうとでもなるという事です。
今まで思いつきはしたがメフィスト賞に送るにはちとふざけすぎているとか、縦書きにしたら面白そうだけどネット小説だとあんまり面白くなくなる(理解出来る層が読まないから)ような作品は案外個人出版に居場所があるのかもしれません。
最近だと官能小説の凝った遊びをパクってやろうと躍起になっています。
このように、見方を変えればいくらでも斬新になる組み合わせを考えるのは可能なわけです。
問題は、それをちゃんと作品として成立させる筆力があるかどうかなんですけどね。
どんな尖った作品を書こうが、どんな黒歴史小説だろうが控除陵辱……もとい、公序良俗や法に反しない限りは平等に上梓させてくれます。
だからこそびっくりするような黒歴史小説もちょいちょいストアで見つかるのですが、そういう作品をバカにする役目は有名な掲示板に任せて、今回は建設的な話をしましょう。
前の話題でも散々似たような事は書いているのですが、電子書籍はあらゆるしがらみから解放されているので、やろうと思えば好きなだけ自分の趣向に合わせてマニアックな路線を突き進む事も可能です。それをやって売れなくなったのがまさに私なのですが(笑)。
自虐はさておき、ジャンルすらも自由という事は色んなジャンルの本を読んでいる個人作家はカオスな組み合わせを考案する事が可能となります。
どの作品? と訊かれると実例を挙げた時に作者の方から「違うわい」と反論される気もしないでもないので、自著の妙ちきりんな組み合わせの作品を例に挙げてみます。
たとえば「ジャスティス」という作品ではスプラッターと道徳を組み合わせました。一見共存不可能なジャンルに見えなくもないのですが、いやいやそんな事はございません。あえて残忍さを見せる事で、読者の心におのおのの正義を思い描く事が可能なのです。
この流れは折羽ル子氏にテキストを提供した「ゑぐゐ道徳」でも引き継がれています。
最近だと夏目漱石の「坊っちゃん」をベースにしたアウトロー小説「暴っちゃん」(文豪のパロディー+アウトロー)、「成功している人はなぜゾンビなのか」(怪しいノウハウ本というか情報商材+ゾンビ。まったく人生の役に立たないという実用性の点では本家と肩を並べている)など、KDPとはほぼやりたい放題する事が可能な聖域でもあるわけです。
自戒も込めていいますが、もちろんただ奇をてらってばかりいてもしょうがないのは当たり前だし、企画倒れで実力が伴っていないものが出回ればそれは読者からバカにされます。それはそうでしょう。
ですが、どのようなごった煮もつまるところ筆力次第でどうとでもなるという事です。
今まで思いつきはしたがメフィスト賞に送るにはちとふざけすぎているとか、縦書きにしたら面白そうだけどネット小説だとあんまり面白くなくなる(理解出来る層が読まないから)ような作品は案外個人出版に居場所があるのかもしれません。
最近だと官能小説の凝った遊びをパクってやろうと躍起になっています。
このように、見方を変えればいくらでも斬新になる組み合わせを考えるのは可能なわけです。
問題は、それをちゃんと作品として成立させる筆力があるかどうかなんですけどね。
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